【番外編】天川カイリの恋心
天川カイリは一級賢者である。
全国に五人しか存在しない最上位の賢者。
数だけで言えば、勇者よりも希少だ。
勇者は現在、月岡コハルを含めて七人。
対して、一級賢者は五人。
――つまり、レア度だけなら勝っている。
(いや、だから何だって話なんですけど)
カイリは今日も、ヘリオス・サービス本社ビルの廊下を歩きながら、真顔でそんなことを考えていた。
そもそも賢者というのは、ヘリオス・サービスが定めた制度である。
法令遵守。
スキルの悪用厳禁。
そして直属ではないにもかかわらず、原則として依頼は断れない。
――要するに、ほぼ派遣社員だ。
ヘリオス・サービスが受けた依頼を賢者たちが処理する。
実に分かりやすい仕組みだった。
(まあ……でも)
カイリは足を止めた。
ガラス張りの向こう。
会議室の中に、一人の女性がいる。
長い脚を組み、椅子へ深く腰掛けている。
ただ座っているだけなのに、その人を中心に空気が整っているように見えた。
日高リンカ。
ヘリオス・サービス副社長。
そして――暁光の勇者。
(……かっこいい)
それが、すべてだった。
カイリが賢者になった理由は単純である。
リンカに近づきたかったから。
以上。
(いや、ちゃんと努力はしましたよ!?)
才能もあった。
努力もした。
実績も積んだ。
だが、動機があまりにも不純だった。
ちなみに、同じ理由で賢者を目指した人間は山ほどいる。
むしろ、それが多数派だ。
(でも……その中で一級まで来たのは自分だけですし……!)
誇らしかった。
だいぶ方向性はおかしいが。
「カイリ」
「はいっ!!」
名前を呼ばれた瞬間、声量が跳ね上がった。会議室のドアからリンカがこちらを見ていた。
そして、つかつかとこちらに向かって歩いてくる。
近い。
思ったより近い。
心臓がうるさい。
「そんなに大声出さなくていいから」
「す、すみません!!」
「うん、今のも大きい」
リンカが笑う。
それだけで、嬉しくて死んでもいい。
(いや、死ぬな。落ち着け)
「ちょうどよかった。今、時間あるか?」
「あります!! いくらでも!! 無限に!!」
「無限はいらないな」
リンカは肩をすくめた。
「簡単な補助を手伝ってほしいんだが」
「やります!!」
即答だった。
考える余地などない。
◇
現場は、本社から三駅ほど離れた場所だった。
空気が歪んでいる。
昼間だというのに光が鈍く濁り、景色の輪郭が微妙にずれて見えた。
――異常領域。
通常、女神はワープゲートと呼ばれる空間を通って現れる。
だが中には、それすら面倒がって空間を直接裂いてやって来る迷惑な女神もいる。
その結果、向こう側のモンスターが漏れ出したり、一般人が吸い込まれたりする危険が生まれる。
だから異常領域は迅速に閉鎖しなければならない。
要するに。
女神の尻拭いである。
「来訪が雑なやつだな」
リンカが裂け目を見て呟いた。
その一言だけで、この場の主導権が彼女へ移ったように感じた。
足元の空間が揺れる。
裂け目の奥から、スライム状の個体が四体這い出てきた。
「カイリ、囲えるか」
「はいっ!!」
カイリは即座に魔力を展開する。
方陣結界。
四体を囲うように空間を固定する。
逃げ場を断ち、歪みを封じる。
「いいね」
リンカが一歩前へ出た。
その瞬間だった。
空気が変わる。
ただの光でも、ただの魔力でもない。
現象そのものが、リンカの意思へ従うように整列する。
指先が動く。
それだけで光が収束した。
「――光束穿撃」
発動ではない。
確定。
細く、異常な密度を持った光が無数に結界内を駆け巡る。
反射。
屈折。
再加速。
カイリの結界が壁となり、その内部で光が何度も軌道を変える。
逃げ場は存在しない。
スライムが分裂する。
再生する。
意味はなかった。
再生より先に削られ、
形を取り戻す前に焼き切られる。
存在そのものが追いつかない。
――消えた。
何事もなかったように。
(……え?)
気づけば終わっていた。
戦闘ですらない。
(強い……)
何度見ても規格外だった。
理屈では理解している。
それでも実感は毎回更新される。
その後、リンカは空間へ指を向けた。
光の糸が裂け目をなぞる。
ほつれた布を縫うように。
歪みが修復されていく。
いや、修復という表現すら遅い。
カイリが瞬きをする頃には、異常領域はほぼ消えていた。
(戦闘も修復も速い……!)
やっぱり勇者はおかしい。
いや、勇者の中でもリンカはおかしい。
「カイリのスキルは便利だな。相変わらず使い勝手がいい」
そう言って。
リンカはカイリの頭をぽんと撫でた。
思考が停止した。
(……え?)
同じくらいの身長。
同じ目線。
その距離で頭を撫でられる。
(た、たまらん……!!! これぞ一級賢者の特典!!)
遠巻きに見ている他の賢者たちの視線。
羨望。
嫉妬。
(勝った)
(一級賢者になって良かったああああああ!!!)
心の中で盛大にガッツポーズを決めた。
◇
――数日後。
「火岡さんが、リンカさんにプロポーズしたらしいわ」
雑談の中でそんな話を聞いた。
火岡ジュンタ。
烈火の勇者。
勇者の中でも突出した戦闘能力を持つ男だ。
「やっぱりリンカさんと釣り合うのは勇者だよな」
「まあ納得」
「普通にお似合い」
「ショックだけど」
周囲の反応は概ねそんな感じだった。
(……分かってる)
本気で付き合えるとは思っていない。
それでも。
(好きなんだよなあ……)
胸の奥がじくりと痛んだ。
◇
後日。
そのプロポーズは断られたわけではなく、保留にされたと聞いた。
気づけばカイリは本人へ尋ねていた。
「……どうして断ったんですか?」
「あ?」
リンカが眉をひそめる。
「なんで知ってるんだよ」
「噂で……」
「ほんと噂好きだな、お前ら」
ため息を吐きながらも、リンカは答えてくれた。
「あたしは今、月船の探究者を追ってる」
「はい」
「全員引きずり出して、全部片付けて。それからだ」
「……結婚は?」
「できるわけないだろ」
即答だった。
「それに、プロポーズしてるのはジュンタだけじゃないしな」
「え?」
「他も保留だよ」
カイリは絶句した。
「……多いですね」
「まあね」
リンカは笑った。
「全部終わるまでは誰の返事もできない。あたしが先に死んで、旦那になる男を泣かせるわけにはいかないだろ」
(やっぱりこの人、かっこいいな)
その感想しか出てこなかった。
◇
帰り道。
カイリは静かに決意する。
(……よし)
まだ自分は学生だ。
恋人になれる自信もない。
結婚相手に選ばれる自信など、なおさらない。
それでも。
何も言わずに終わるのだけは嫌だった。
(卒業したら)
ちゃんと言おう。
逃げずに。
真正面から。
(プロポーズ、します)
無謀だろうが関係ない。
それでもいい。
天川カイリは一級賢者である。
そして同時に。
少しズレていて、
少し声が大きくて、
誰よりも真っ直ぐに恋をしている、
――そんな青年だった。
カイリ主人公。
割と主人公のポテンシャルあるなぁーと。




