【番外編】土産を渡すだけのつもりが、だいたい福岡転勤の話で空気が変わる
福岡出張から戻った翌日の日曜日。
昨日は何だかんだあって、すっかり機会を失ってしまっていたが。
金色マナトは、紙袋を片手に、コハルの部屋の前に立っていた。
中には、通りもん。
めんべい。
あまおう味の菓子。
明太子味の何か。
それから、カイリ用に買ったはずなのに、本人が「今はレポートが締切なので甘味で殴らないでください」と意味不明なことを言ったため、行き場を失った菓子がいくつか。
土産としては、多い。
少しだけ、多い。
たぶん。
「……買いすぎたかもしれない」
マナトは、紙袋の重みを見下ろして呟いた。
ただし、後悔はしていない。
福岡滞在中、土産売り場に寄るたびに思った。
これはコハルが好きそうだ。
これはレンマでも食べるだろう。
これはカイリに渡せば、勉強の合間に食べるかもしれない。
そうやって選んでいたら、気づけば両手が塞がっていた。
仕事より真剣に土産を選んでいた気もするが、そこは考えないことにした。
インターホンを押す。
「はーい」
中から、コハルの声が聞こえた。
その声だけで、胸の奥が緩む。
扉が開く。
「マナトさん! いらっしゃい……って、え、荷物多くないですか!?」
「福岡土産です」
「土産の量じゃないです!」
コハルが目を丸くする。
その後ろから、なぜかレンマが顔を出した。
「お、マナト。差し入れ?」
「土産です」
「量が差し入れなんだよね」
レンマは楽しそうに笑っている。
マナトは、眉を動かした。
「レンマさん、なぜここに?」
ざわつく心を抑えながら、理性を保つ。
「コハルちゃんの家の結界点検。あとお茶」
「後半が本命では?」
「まあまあ」
「否定しないんですね」
コハルが慌てて間に入る。
「と、とりあえず中どうぞ! お土産、ありがとうございます!」
「はい。失礼します」
部屋に入ると、マナトはテーブルの上に紙袋を置いた。
どさり、と音がする。
コハルが、その音だけで笑った。
「ほんとに多いですね……!」
「すみません。選んでいたら増えました」
「分かります。お土産屋さんって、全部おいしそうに見えますもんね」
「はい」
その一言で、マナトは救われた気がした。
レンマはさっそく紙袋を覗き込む。
「通りもんある?」
「あります。コハルさん用です」
「俺には?」
「レンマさんには、めんべいを買ってきました」
「めっちゃいいね」
レンマが即答した。
反応が軽い。
でも、普通に嬉しそうではある。
コハルは、通りもんの箱を見つけた瞬間、ぱっと顔を明るくした。
「あ、通りもん! 懐かしいです!」
「食べたことが?」
「あります! 前に会社の人がお土産で買ってきてくれて。これ、すごくおいしいですよね」
「それは良かったです」
コハルは大事そうに箱を持った。
その表情を見ただけで、福岡の土産売り場で悩んだ時間が、すべて報われた気がした。
「喜んでもらえてよかったです」
「ありがとうございます。嬉しいです」
「いえ」
そこで終われば、ただ穏やかな時間だった。
だが、レンマがめんべいの箱を開けながら、何気なく聞いた。
「そういえば、福岡どうだったの? 仕事」
「問題なく終わりました」
「へえ。評価された?」
「……まあ、それなりには」
「それなりって顔じゃないけど」
レンマがにやっと笑う。
コハルも、通りもんを開ける手を止めた。
「え、何かあったんですか?」
マナトは沈黙した。
できれば、この話は流したかった。
だが、二人の視線がこちらを向いている。
特にコハルの視線を避けるのは、難しい。
「……何度も福岡転勤を口説かれました」
「え、いいじゃん! 昇進するんじゃないの? 行ってきなよ」
レンマが、あまりにも軽く言った。
コハルも一瞬だけ「え」と声を漏らしたが、すぐに考える顔になる。
「福岡転勤……ですか」
「はい」
「すごいですね。マナトさん、仕事でも頼られてるんですね」
「いえ、そんな大したものでは」
「すごいことですよ」
コハルは真面目に言った。
それは素直な称賛だった。
だからこそ、マナトは困る。
喜ぶべき話なのだろう。
社会人として評価されること。
転勤を打診されること。
昇進の可能性があること。
普通なら、良い話だ。
でも。
「……行くわけないですよね」
「え?」
コハルが首を傾げた。
本気で分かっていない顔だった。
レンマが口元を押さえる。
笑っている。
確実に笑っている。
「行きません」
「福岡いいところじゃん」
「それはそうですが、行きません」
「めっちゃ嫌がるじゃん」
「嫌がっているわけではありません」
「じゃあ何?」
「行かないだけです」
「同じじゃない?」
「違います」
レンマが、めんべいを一枚取り出してかじった。
ぱり、と軽い音がする。
「うま」
「よかったです」
「でもさ、マナト。福岡転勤って普通に栄転っぽくない?」
「可能性としては、そうかもしれません」
「なら行ってきなよ。コハルちゃんのことは俺が見てるし。何なら俺フリーランスだから近所越してこれるよ」
空気が、一瞬止まった。
コハルが通りもんを持ったまま固まる。
マナトは、静かにレンマを見た。
「それが一番、行かない理由になります」
「へえ」
「へえ、ではありません」
「俺、信用ない?」
「あるかないかで言えば、能力面ではあります」
「能力面では」
「はい」
「人間性は?」
「評価中です」
「厳しいなあ」
レンマは面白そうに目を細める。
コハルが慌てて通りもんを皿に置く。
「あ、あの! 私のために転勤を断るとか、そういうのは、さすがに……!」
「そういうのではありません」
マナトは即答した。
即答すぎて、逆に少し怪しかった。
コハルがほっとしたような、しきれていないような顔をする。
その顔を見てから、マナトは続けた。
「ただ、現状では、ここに残る必要があります」
「必要……」
「はい」
「私の件、ですか?」
「それも含みます」
「含むんですね……」
コハルが複雑そうな顔をした。
マナトは、言葉を選ぶ。
「ヘリオスの本社は東京です。危険な帰還者の動きも、今は東京に寄っています。認識阻害の結界もこちらにある。俺が離れる理由の方が少ないです」
そこで一度、息を置く。
「勇者の俺が、今この状況で遠く離れて隠居するわけにはいきません。合理的に考えれば、残るべきです」
「合理的だねえ」
レンマが小さく笑う。
「事実です」
「ふうん」
「何ですか」
「いや、マナトってさ」
レンマはめんべいをもう一枚取った。
「コハルちゃんのことが心配で離れたくないし、俺が側で守るのが気に食わないって、絶対そのまま言わないタイプだよね」
コハルがむせた。
「げほっ、げほっ!」
「コハルさん!?」
マナトは即座に立ち上がり、水を取る。
レンマも笑いながらティッシュを差し出した。
「ごめんごめん。通りもん詰まった?」
「詰まってません! 変なこと言うからです!」
「変じゃないでしょ」
「変です!」
コハルの顔が赤い。
マナトは水の入ったグラスを差し出しながら、レンマを見る。
「レンマさん」
「なに?」
「距離感だけでなく、発言も近いです」
「また心理的な話?」
「実害があります」
「あるかなあ」
「あります」
コハルが水を飲みながら、咳払いした。
「と、とにかく! マナトさんが評価されるのは、いいことだと思います」
「ありがとうございます」
「でも……」
コハルは、視線を落とした。
通りもんの包装紙を、指先でいじる。
「福岡に行くって聞いたら、びっくりはします」
マナトの胸が、静かに鳴った。
「……そうですか」
「はい。まだ、マナトさんが帰ってきたばっかりって感じなので」
「はい」
「また遠くに行くって聞いたら、ちょっと……寂しいかも、です」
沈黙。
レンマがめんべいを食べる音だけが、やけに大きく響いた。
「……レンマさん」
「ん?」
「今、食べる音が大きいです」
「いや、めんべいだから仕方なくない?」
「仕方なくてもです」
「理不尽」
マナトはコハルを見た。
コハルは、言ってから恥ずかしくなったのか、耳まで赤くしている。
「すみません、変な意味じゃなくて」
「分かっています」
「本当に?」
「はい」
分かっている。
分かっているつもりだ。
けれど、嬉しくないと言えば嘘になる。
マナトは、静かに息を吐いた。
「行きません」
「さっきからそればっかじゃん」
レンマが茶化すように笑った。
「必要なことなので」
「……はい」
コハルの表情が柔らかくなる。
「じゃあ、安心して通りもん食べます」
「そうしてください」
「なんか通りもんが安全確認みたいになってるね」
レンマが言う。
そのまま、めんべいをもう一枚かじった。
「でも、これうまいね。明太子の味するのに、ちゃんとお菓子として成立してる」
「めんべいは有名です」
「分かる。これは強い」
「レンマさんが気に入ると思いました」
「お、俺のこと考えて選んでくれたんだ?」
「適性を考慮しました」
「言い方」
コハルは二人を見比べて、ふふっと笑う。
「なんだかんだ、仲いいですよね」
「よくはありません」
「悪くもないよね」
「評価中です」
「俺、ずっと評価中じゃん」
「継続審査です」
「人事課の人なの?」
そのやり取りに、コハルがまた笑う。
マナトは、その笑顔を見て思った。
福岡は、確かにいい場所だった。
食べ物も美味しい。
人も温かい。
仕事の条件も悪くなかった。
転勤すれば、たぶん昇進の道も開ける。
それでも。
今、自分がいるべき場所はここだ。
通りもんを両手で持って、幸せそうに食べる人がいる。
めんべいを気に入って、軽い顔で笑っている男がいる。
レポートと戦っている賢者もいる。
乱暴な言葉で背中を押す副社長もいる。
そして、まだ何も終わっていない。
「マナトさん?」
コハルが首を傾げる。
「どうしました?」
「いえ」
マナトは、静かに首を振った。
「買ってきてよかったと思っていました」
「お土産ですか?」
「はい」
「すごく嬉しいです。ありがとうございます」
「こちらこそ、受け取っていただけてよかったです」
レンマが、最後のめんべいを手に取る。
「ねえ、マナト」
「はい」
「次、福岡行く時、俺も土産リクエストしていい?」
「仕事で行くので、確約はできません」
「じゃあ確約なしで」
「内容によります」
「明太子」
「要冷蔵は難しいです」
「じゃあ、めんべい追加で」
「それなら」
「やった」
コハルが笑いながら言う。
「私も、また通りもん食べたいです」
「分かりました」
「え、そこは即答なんだ」
レンマが目を細める。
マナトは、平然と答えた。
「優先順位があります」
「あるんだ」
「あります」
「分かりやすいねえ」
「何がですか」
「別に?」
レンマは笑う。
コハルはよく分かっていない顔で、通りもんをもう一つ手に取った。
「福岡、いつか旅行で行ってみたいですね」
「いいと思います」
マナトは頷いた。
「食べ物も多いですし、街も見やすいです」
「へえ……」
「行くなら、事前に行程を組みます」
「えっ、そこまで?」
「安全面を考えれば当然です」
「旅行ですよね?」
「旅行でもです」
レンマが横から口を挟む。
「マナト、旅行のしおり作るタイプ?」
「必要なら作ります」
「絶対作るじゃん」
「作る必要があれば」
「はいはい」
コハルは、楽しそうに笑った。
「じゃあ、いつかみんなで行けたらいいですね。福岡」
その言葉に、マナトは目を伏せた。
転勤ではなく。
仕事でもなく。
誰かを守るためだけでもなく。
ただ、同じ場所へ行く。
それは、悪くない未来に思えた。
「……はい」
マナトは静かに答えた。
「その時は、案内します」
「お願いします」
「俺も行っていいの?」
レンマが聞く。
コハルは当然のように頷いた。
「もちろんです。レンマさんも一緒です」
「やった」
「カイリさんとリンカさんも誘いましょう」
「リンカさんはちょっと……圧が強すぎるな」
「旅行というより遠征になりそうですね」
「それはそれで楽しそうです」
コハルは、そう言って笑った。
その笑顔を見て、マナトは思う。
福岡転勤を断る理由なら、いくつも並べられる。
帰還者案件。
安全管理。
組織間連携。
コハルの能力。
未解決の脅威。
どれも嘘ではない。
だが、一番奥にある理由は、たぶんもっと単純だ。
まだ、ここにいたい。
この人のそばで。
この日常が動いていくのを、見ていたい。
「マナトさん、通りもん食べます?」
コハルが、包みを一つ差し出してくる。
マナトは、それを受け取った。
「いただきます」
「おいしいですよ」
「はい。知っています」
「じゃあ、なんでそんなに真面目な顔で食べるんですか?」
「……癖です」
「お菓子食べる時くらい、もうちょっと気楽でいいと思います」
「努力します」
レンマが笑う。
「通りもんにまで努力する勇者、初めて見た」
「茶化さないでください」
「はいはい」
小さな部屋に、菓子の甘い匂いと、めんべいの香ばしい匂いが混ざる。
コハルが笑う。
レンマが軽口を叩く。
マナトは、それに反論する。
それだけの時間だった。
世界を救う話でもない。
誰かに襲われる話でもない。
運命が大きく動く話でもない。
ただ、土産を渡して。
話して。
笑うだけ。
それでも。
マナトにとっては、福岡で聞いたどんな昇進話よりも、ずっと手放しがたい時間だった。
お土産回。
番外編となります。




