1-46話:観覧車の前で手を取られた時点で、だいたい恋の空気は止まらない
よく晴れた翌日。
遊園地の入口前で、レンマは空を見上げた。
昨日と同じくらい、穏やかな空だった。
けれど昨日とは違う。
今日は、護衛ではない。
いや、護衛ではある。
あるのだけれど。
(……遊びに来た、ってことにしていいよね)
レンマは口元を緩めた。
隣では、コハルが入場ゲートの向こうを見ながら、どこか落ち着かない様子で立っている。
そのさらに横で、カイリが妙に背筋を伸ばしていた。
「大人になってからこういうところ来たことなくてさ、ちょっと童心に返るよね~」
レンマが軽く言うと、コハルが小さく頷いた。
「そうですね、私もかなり久々に来ました」
「だよね。なんか、入口の音楽だけでちょっと楽しい」
「分かります」
コハルが笑う。
その顔を見て、レンマは胸の奥が温かくなる。
昨日とは違う笑顔。
緊張はある。
でも、怖がってはいない。
それだけで、来てよかったと思った。
「そういえばカイリくんはレポート終わったの?」
レンマが何気なく聞く。
カイリの肩が、びくっと跳ねた。
「は、はい!! もちろんでしゅ」
「噛んだ!?」
「……噛みました」
「今、明らかに動揺したよね?」
「してません!!」
「してる声量だよ」
「してません!!」
コハルが困ったように笑った。
「カイリさん、本当に大丈夫ですか?」
「大丈夫です!! 今日は全力で楽しみます!!」
「レポートは?」
「……楽しみます!!」
「答えになってないねえ」
レンマは笑った。
でも、あえてそれ以上は突っ込まなかった。
カイリはたぶん、今日も何かしら無理をしている。
けれど、その無理の方向があまりにも分かりやすい。
(……気を遣ってるんだろうな)
ありがたい。
ありがたいが。
申し訳ない。
そして、少し面白い。
◇
最初に乗ったのは、コーヒーカップだった。
「まずは軽めにいこうか」
レンマがそう言った時点では、確かに軽めのつもりだった。
丸いカップに三人で乗り込む。
中央には、回転用のハンドル。
カイリはすでに緊張した顔をしている。
「カイリくん、これくらいは大丈夫でしょ?」
「大丈夫です!! 子ども向けですから!!」
「そういうこと言うと、だいたいフラグだよ」
「フラグではありません!!」
開始のベルが鳴る。
ゆっくりとカップが回り始めた。
「わ……」
コハルが目を丸くする。
最初は、ゆるやかだった。
ふわっと視界が揺れるくらい。
風が頬に当たって、音楽が遠くから聞こえてくる。
「おもしろいですね」
「でしょ?」
コハルが、そっと中央のハンドルに手を置いた。
そして。
ぐるり。
回した。
「ぎゃああああ!! 遠心力!!! 圧倒的な遠心力がぁ!!!」
カイリが叫んだ。
「ちょ!? カイリくん大丈夫!?」
「だ、大丈夫です!! まだ!! まだ俺は!!」
「おもしろいですねえ!! あはははは!!」
コハルが笑った。
普段よりずっと明るい声。
遠慮のない笑い声。
それを聞いた瞬間、レンマは言葉を忘れた。
(……こういう顔もするんだ)
コハルは、さらにハンドルを回した。
ぐるぐる。
ぐるぐる。
景色が溶ける。
空も、柵も、隣のカップも、全部が円になって流れていく。
「ちょ! コハルちゃん鬼だな!!」
「え、カイリさん気持ち悪いですか!?」
「だ、大丈夫です……」
「声が大丈夫じゃないよ!?」
「大丈夫です……俺は……学生なので……」
「学生関係ある?」
「あります……若さで……耐えます……」
カイリは顔を白くしながら、必死に前を見ていた。
コハルは慌ててハンドルから手を離す。
「す、すみません! 楽しくてつい……」
「いや、いいと思うよ」
レンマは笑った。
「今のコハルちゃん、すごく楽しそうだった」
「えっ」
コハルの顔が赤くなる。
「そ、そうですか?」
「うん」
言いながら、レンマは思う。
昨日の夜。
胸元の石を握って、動揺していたかもしれないコハル。
今は、コーヒーカップで笑っている。
たったそれだけのことが、妙に嬉しい。
◇
次は、ジェットコースターだった。
「これはどうする? 無理なら――」
「乗りたいです」
コハルの返事は早かった。
しかも、目が輝いている。
「コハルちゃん、絶叫系いけるタイプ?」
「たぶん、好きです」
「たぶんなんだ」
「久しぶりなので」
「俺も乗れます!!」
カイリが言った。
すでに声が震えている。
「本当に?」
「大丈夫です!! 若いので!!」
「また若さで乗り切ろうとしてる」
列に並び、順番が来る。
安全バーが降りる。
カタカタと音を立てながら、ゆっくり上がっていく。
頂上。
一瞬だけ、空が近くなる。
そして――落ちた。
「きゃははは!」
コハルの声が、風に混ざった。
心から楽しそうな声だった。
レンマは隣で、思わず笑う。
怖さよりも、その声の方が強かった。
楽しそうで。
無防備で。
ただ、今この瞬間を楽しんでいる。
(……いいな)
そう思った。
守りたい、ではなく。
この顔をもっと見たい。
その方が、今は近かった。
一方で。
「…………」
後ろの席のカイリは、真っ青だった。
降りたあと、しばらく無言だった。
「カイリくん?」
「……地面って、いいですね」
「だいぶやられてるね」
「地面は裏切りません……」
「乗り物に何かされたみたいに言わないで」
コハルが心配そうに覗き込む。
「大丈夫ですか?」
「はい……月岡さんが楽しそうだったので、俺は満足です……」
「それ、大丈夫じゃない人の言い方ですよ」
◇
その後、コハルが見つけたのはバイキングだった。
大きな船が、左右に振れる。
見上げるだけで、カイリの顔色がさらに悪くなった。
「端っこ乗りましょう!」
コハルが目をきらきらさせて言った。
「え!? 月岡さんマジですか!」
「バイキングは端っこじゃないと楽しめないですよ!」
「ちょ!! えええ!!?」
「大丈夫です、たぶん楽しいです!」
「たぶん!? そのたぶんに命を預けるんですか!?」
「命までは取られませんよ」
「心は取られます!!」
「無理なら真ん中でもいいですよ?」
「いえ!! 護衛として最後まで付き合います!!」
「よし! じゃあ行きましょう!!」
コハルに引っ張られるように、カイリが端の席へ連れていかれる。
レンマはその二人を見ながら、くすくす笑った。
(コハルちゃん、意外と容赦ないな)
船が揺れる。
最初は小さく。
だんだん大きく。
空に向かって上がるたび、コハルは楽しそうに笑った。
「わあ……!」
反対側へ落ちる。
「きゃあっ、すごい!」
「月岡さん!? すごいじゃなくて怖いです!!」
「でも楽しいです!」
「楽しいと怖いが同時に存在しています!!」
レンマは笑いながら、横目でコハルを見る。
髪が風で揺れる。
目が輝いている。
胸元には、見えないけれど、きっとあの石がある。
勇気を出して残したもの。
今日、形を変えて、ここに繋がっている気がした。
◇
バイキングを降りたあと。
カイリはベンチに座り込んだ。
「き、気持ち悪いですぅ……」
「大丈夫ですか!? 私がはしゃぎ過ぎたから……」
コハルが慌てる。
カイリは首を振った。
「いえ、月岡さんのせいじゃないです。俺の今日のコンディションが悪かったせいで……」
「コンディション?」
「実は、レポート終わってなくて……そのことを考えたら、いろいろ思い詰めてしまって、グロッキーに」
「終わってないんかいっ!!」
コハルが思わず突っ込んだ。
レンマも吹き出す。
「カイリくん、昨日終わらせてねって言ったよね?」
「言われました!!」
「終わらせたとは?」
「終わらせようとはしました!!」
「努力目標だったんだ」
「はい!!」
「胸張らないで」
カイリはゆっくり立ち上がった。
「俺はもう帰ります」
「ええ!? 大丈夫ですか?」
「大丈夫です。帰って、レポートと向き合います」
「最初から向き合っておけば……」
「それは言わないでください!!」
そして、カイリは急に真面目な顔になった。
「あとは二人で楽しんでください!!」
「えええ!??」
コハルが驚く。
レンマは目を細めた。
カイリがこちらを見る。
意味深なアイコンタクト。
全力の気遣い。
(カイリくん……気を遣いすぎだよ)
ありがたい。
ありがたいが。
その気遣いが露骨すぎる。
「それでは!!」
カイリは勢いよく頭を下げた。
そのまま出口方向へ走っていく。
「本当に帰っちゃいました……」
「行っちゃったね」
「行っちゃいましたね」
二人の間に、沈黙が落ちる。
さっきまでの騒がしさが消えて、急に遊園地の音が遠くなる。
笑い声。
アナウンス。
乗り物の機械音。
その中で、二人きりになったことだけが、やけにはっきりした。
その時、コハルが足を止めた。
「あ」
「ん?」
「これ、ちょっとやりたいです」
視線の先にあったのは、射的屋だった。
コルク銃で景品を狙う、昔ながらの屋台。
「いいよ」
レンマは笑う。
「かっこいいところ見せて」
「え、かっこいいところ……?」
「うん。期待してる」
「そんなに上手くないと思いますけど……」
コハルはそう言いながら、銃を受け取った。
その瞬間。
空気が、変わった。
「えっ……」
レンマは思わず息を止めた。
コハルの姿勢が、すっと整う。
肩の力が抜ける。
視線が鋭くなる。
指先が、迷わない。
(なに今の、コハルちゃんかっこいい……)
万能の心得。
完全発動ではない。けれど、その片鱗だけが、ほんの一瞬だけ指先に宿った。
コハルは、静かに狙いを定めた。
軽い音。
コルク弾が飛ぶ。
棚の上にあったキャラクターのストラップが、綺麗に撃ち抜かれて落ちた。
「おめでとうございます!」
店員が明るく声を上げる。
「あ、当たりました……」
コハル自身が驚いている。
商品を受け取ったコハルが振り向く。
レンマは黙った。
「コハルちゃん」
「なんですか?」
「これ、俺がもらってもいい?」
「え?」
コハルが目を丸くする。
レンマは、ストラップを指さした。
「さっきの、めっちゃかっこよかった」
「えっ」
「コハルちゃんからのプレゼント、これがいい」
「これ、ですか?」
「うん」
レンマは笑う。
でも、声は真剣だった。
「今日を思い出せるから」
「……」
コハルの顔が、ゆっくり赤くなる。
その反応を見て、レンマの胸も跳ねた。
(また言った)
でも、後悔はしない。
このくらいは、言わないと残らない。
「……もちろん、どうぞ」
コハルは、両手でストラップを差し出した。
「あの……変なのじゃなくて、普通にかわいいやつですけど」
「いいよ。これがいい」
レンマは受け取る。
小さなストラップ。
軽い。
安っぽい。
でも、さっきのコハルの横顔ごと、そこに残った気がした。
「ありがとう」
「……はい」
◇
気づけば、空は夕暮れに染まり始めていた。
昼の明るさがやわらぎ、遊園地の灯りがぽつぽつと目立ち始める。
楽しい時間ほど、終わりの気配が早い。
レンマは、ストラップをポケットにしまう。
それから、遠くに見える観覧車を見た。
ゆっくり回っている。
夕焼けを背に、丸い影が空に浮かんでいる。
「俺、最後にあれ乗りたい」
コハルが視線を追う。
「観覧車……ですか?」
「うん」
「えっ……」
コハルの声が揺れた。
ドキリとしたのが、表情で分かる。
レンマは気づかないふりをした。
「高いところ好きなんだよね、俺」
軽く言う。
いつも通りに。
何でもないみたいに。
本当は、何でもなくない。
夕暮れ。
二人きり。
観覧車。
さすがに意味がありすぎる。
(……分かってて誘ってるんだけどね)
でも、顔には出さない。
出したら、コハルが逃げるかもしれない。
だから、笑う。
「無理なら別のでもいいよ」
「い、いえ……大丈夫です」
「そっか」
二人は観覧車へ向かって歩き出した。
夕暮れの中。
人混みが減っていく。
子どもの声。
カップルの笑い声。
遠くの音楽。
全部が、柔らかく聞こえる。
コハルは、隣を歩いている。
昨日より近い。
でも、まだ遠い。
レンマはそれを感じながら、歩幅を合わせた。
(……今日くらいは)
そう思った。
今日くらいは、もう少しだけ近づいてもいい。
観覧車乗り場が見えてくる。
列はそれほど長くない。
あと少し。
あと少しで、二人きりの箱に乗る。
その手前だった。
「――コハルさん」
聞き覚えのある声がした。
低くて、落ち着いていて。
けれど、今日は息が乱れている声。
コハルの手が、横からそっと取られた。
「えっ――」
コハルが振り向く。
レンマも、足を止めた。
そこにいたのは。
紛れもなく、マナトだった。
「……マナトさん?」
コハルの声が、震える。
驚きと、安堵と、戸惑いが混ざっている。
マナトは、コハルの手を離さなかった。
その目はまっすぐで。
いつもの冷静さを残しているのに、どこか余裕がなかった。
「すみません」
マナトは短く息を吐いた。
「予定より早く戻りました」
レンマは、数秒だけ黙った。
それから、小さく笑った。
笑うしかなかった。
(……そう来るか)
ポケットの中で、コハルからもらったストラップが小さく揺れた。
夕暮れの観覧車の前。
近くにいた男と。
遠くから戻ってきた男。
その間で、コハルは声を失っていた。




