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1-41話:守れた夜ほど、だいたい心は静かじゃない

 廊下の結界を確認し終えたレンマは、マンションの外階段に出た。


 夜風は、もう荒れていない。


 さっきまで敵を切り刻んでいた風も、今はただ静かに吹いている。


 レンマは手すりにもたれ、端末を取り出した。


 マナトへ発信する。

 呼び出し音。


 一回。

 二回。

 三回。


 出ない。


「んー? マナトが電話に出ないな」


 ぼそっと呟いた。

 というか、この感じ。


「……通話してるね」


 レンマは画面を見つめたまま、目を細める。


 誰と、とは言わない。

 言わなくても分かる。


 コハルだ。


 今夜、あれだけ怖い目に遭った。

 敵に部屋へ入られた。

 自分とマナトの顔まで使われた。


 その直後なら、電話を切れないのも分かる。

 分かる。

 分かるのだけれど。


「……ふーん」


 胸の奥が、ざらついた。

 レンマは端末を下ろし、夜空を見上げる。


 嫉妬だ。

 かなり分かりやすい嫉妬だった。


 自分は外で本体を潰した。

 カイリと連携して捕まえた。

 コハルの部屋へ繋がる逃げ道を全部塞いだ。


 けれど、今コハルのそばにある声は、マナトだ。


「……やるじゃん、マナト」


 レンマは、にやりと笑った。


 悔しい。

 でも、悪くはない。

 あの真面目すぎる男が、ここぞというところで踏み込んだ。

 遠くにいながら、コハルを立たせた。


 その事実は認めるしかない。


「でも、そこで身を引く俺じゃないんだよね」


 小さく呟いて、端末をしまう。


 しばらくしてから、日報を送った。


 外敵本体の捕獲。

 分身体の封印。

 コハルの無事。

 ただし精神的消耗大。

 今後の警戒継続。


 送信。


 既読はつかない。


「はいはい。完全に通話中」


 一時間後、もう一度電話した。

 出ない。


「もしかして、コハルちゃんと寝落ち通話でもしてる?」


 言った瞬間、自分で笑った。

 けれど、笑いきれなかった。


 モヤっとする。

 かなりする。

 コハルが安心できるなら、それでいい。

 今夜はそれが一番だ。

 理屈では、そう思っている。


 でも、感情は別だった。


「……まあ今日くらいは、マナトのターンでいいよ。MVPだからさ」


 レンマは肩をすくめた。


 その声は軽かった。

 いつもの調子だった。

 けれど、目は笑っていなかった。


          ◇


 それから、レンマは一度、自分の部屋に戻った。


 服にはまだ、黒い影の気配がわずかに残っている気がした。


 頬の傷は浅い。

 血ももう止まっている。

 それでも、体の奥が重かった。

 風を細く使いすぎた。


 広域を塞ぎながら、敵だけを削り、人や建物に当てないように制御した。


 怒っていたのに、制御は切らさなかった。

 それが、思ったより神経を削っていた。


「……疲れた」


 珍しく素直に呟く。


 シャワーを浴びる。

 熱い湯が肩を流れる。

 その音に、一瞬だけコハルの顔が浮かんだ。


 浴室。

 水音。

 侵入。


 あれは、しばらく残るだろう。


 日常の音が怖くなる。

 自分の部屋なのに、安心できなくなる。

 そういう種類の傷だ。


「……最悪」


 レンマは小さく吐き捨てた。


 敵に対して。

 自分の見落としに対して。

 そして、今コハルのそばにいられないことに対して。


 シャワーを止める。

 風呂場を出て、髪を拭きながら端末を見る。


 着信履歴があった。


 リンカ。


「うわぁ……」


 レンマは露骨に嫌な顔をした。


 この時間にリンカから電話。

 内容はほぼ確定している。


 説教だ。


 嫌々ながら、折り返す。

 数コールもしないうちに繋がった。


「はーい、なんでしょう?」


『よう。昨日に続いて、また月岡コハルの家に侵入を許したんだって?』


「うわぁ……やっぱり?」


『当たり前だろ』


「こんな時間に説教ですか」


『何だ? 不満か?』


「きちんと捕まえられたし? コハルちゃんに怪我はなかったし? ね?」


『ふうん』


「いや、ダサかったな、今のは」


『分かってるならいい』


「よくないでしょ、それ」


『よくねえよ』


 リンカの声は冷たかった。

 怒鳴ってはいない。


 だからこそ怖い。


『外側の本体を抑えたのは評価する。分身体をカイリと連携して封じたのも悪くない。だが、二日続けて室内侵入を許した事実は消えねえ』


「……うん」


『お前、敵の戦闘力は見てる。移動経路も見てる。だが、対象者の心理的な隙を甘く見たな』


 レンマは黙った。


『水回りの恐怖。信頼している人間の顔。夜間。部屋の中。全部、月岡コハルの判断力を削るための条件だ。敵はそこを突いてきた』


「分かってる」


『本当に?』


「分かってるよ」


 レンマの声から、軽さが消えた。


「完全に俺のミス。コハルちゃんに、味方の格好で近づく可能性を伝えてなかったから」


『そうだな』


「……でも、捕まえた。最低限は、そこだけ」


『そこだけで帳消しにはならねえ』


「分かってるって」


 レンマは髪を拭く手を止めた。

 頭が重い。


 風を使いすぎたせいか、こめかみの奥が鈍く痛む。


『あたしと電話したくないだけだろ、お前』


「いやぁ、バレた?」


『分かりやすいわ』


「ちょっとスキルの使いすぎで、頭が痛いんですよぉ〜! 明日聞くから、ちょーっと待ってて欲しいな」


『ふん。分かった』


「ふぅ……」


 助かった。

 そう思った瞬間だった。


『あ、そうだ、レンマ』


「え、何?」


『この仕事終わったら、お前も東北に来い』


「ええ!? ヤダ!!」


 即答だった。


『緊急だ。他の勇者も集まる』


 レンマの表情が変わった。

 軽口が止まる。


「……何が起こってるの?」


『現地に着いたら話す。じゃあな』


「ちょ、リンカさん――」


 ツーツー。


 電話が切れた。

 レンマは端末を耳から離し、画面を見つめた。


「リンカさん……何かあったな」


 東北。

 緊急。

 他の勇者も集まる。


 ただの帰還者案件ではない。


 リンカが直接動いて、さらに勇者を集める。

 それはつまり、単独の勇者では足りない可能性があるということだ。


「勇者が集まるって……何事?」


 レンマは窓の外を見る。


 夜は静かだった。

 けれど、遠くの空気が妙に重い気がした。

 風が、嫌な方向から吹いている。


「……面倒だね」


 いつもの言葉が出た。

 だが、今度は意味が違った。


 コハルの件だけでも、まだ終わっていない。

 敵の仲間がいる可能性も残っている。


 マナトは遠くにいる。

 カイリは優秀だが若い。

 リンカは東北で何かを抱えている。


 そして、レンマ自身もそこへ呼ばれた。


「……マナト、早く帰ってきてくれないかな」


 ぽつりと呟いてから、レンマは苦笑した。


 恋敵に戻ってきてほしいと思う日が来るとは。

 けれど、それとこれとは別だ。

 コハルを守るなら、マナトは必要だ。


 あの真面目すぎる男の目と、情報処理と、馬鹿みたいな責任感は、今の状況でかなり頼れる。


 それに。


「俺が東北行くなら、誰がコハルちゃん見るんだって話だし」


 レンマは端末を操作し、マナトへメッセージを打つ。


『リンカさんから連絡。東北で勇者招集案件っぽい。俺も呼ばれた』


 送信。

 既読はつかない。


「まだ通話中かよ」


 レンマは笑った。

 少し悔しそうに。


「ほんと、やるじゃん」


 端末を伏せる。

 そのままベッドに腰を下ろし、天井を見上げた。


 コハルは今、眠れているだろうか。

 マナトの声を聞きながら、少しでも息ができているだろうか。

 外の風を、もう怖がっていないだろうか。


 レンマは目を閉じる。


 今夜はマナトの声が必要なんだろう。


 でも、明日は違う。

 コハルが目を覚ました時。

 部屋の外に、ちゃんと守りがあるようにする。

 怖い音がした時、すぐに呼べる相手でいる。

 水の音を、ただの生活音に戻す手伝いをする。


 それは、電話越しではできない自分の役目だ。


「……さて」


 レンマはゆっくり目を開けた。


「明日も忙しいね」


 軽く笑う。

 その笑みはいつも通りだった。

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