1-33話:顔合わせが平和に終わる時点で、だいたい嵐の前である
夕方の駅前は、いつも通り人であふれていた。
仕事帰りの人。
買い物袋を下げた人。
誰かを待つ人。
その中で、コハルは落ち着かない気持ちでスマホを握っていた。
レンマから届いたメッセージ。
『今日は護衛体制の打ち合わせをしたいから、仕事終わったら迎えに行くね。新しいサポートの子も紹介するよ』
新しいサポートの子。
(……子?)
その言い方が妙に気になった。
ほどなくして、駅前のロータリーにレンマが現れた。
その隣に、知らない青年が立っている。
黒髪で、背筋がまっすぐで、表情が明るい。
若い。
かなり若い。
「コハルちゃん、お疲れ」
「あ、お疲れ様です」
コハルが頭を下げると、隣の青年も勢いよく頭を下げた。
「お疲れ様です!」
「わっ」
思わず肩が跳ねた。
青年はすぐに口を閉じる。
何かを思い出したように、一度咳払いをした。
「……お疲れ様です」
(元気だなぁ……)
控えめにしているのは分かる。
でも、隠しきれていない。
「とりあえず場所移動しよっか。予約してあるから」
「予約?」
コハルは嫌な予感がした。
そして、数分後。
その予感は当たった。
案内されたのは、駅前から少し離れた個室のイタリアンレストランだった。
落ち着いた照明。
きれいなテーブルクロス。
壁にはよく分からないけれど高そうな絵。
店員の声がやけに丁寧。
コハルは入口の時点で足を止めた。
「え、また高くないですか?」
「打ち合わせにはちょうどいいでしょ」
「そうかもですけど……」
「個室だし、話もしやすいし」
「それは分かりますけど、前回からお店の基準がおかしくないですか?」
「慣れよう」
「慣れたくないです」
レンマは楽しそうに笑った。
個室に通され、三人は席に着いた。
コハルはメニューを見た瞬間、そっと閉じた。
「見なかったことにしていいですか」
「駄目」
「パスタが、私の知ってるパスタの値段じゃないです」
「大丈夫。ちゃんとパスタだよ」
「そういう問題じゃないです」
レンマはメニューを開きながら、隣の青年へ視線を向ける。
「ほら、この子が話してた子。自己紹介して」
青年は背筋を伸ばした。
「天川カイリと申します。一級賢者です。これから、よろしくお願いします」
レンマの言いつけを守っているのだろう。
声はさっきより抑えめだった。
それでも、コハルには十分に元気だった。
「月岡コハルです。よろしくお願いします……」
コハルも慌てて頭を下げる。
一級賢者。
賢者。
しかも一級。
言葉の意味は分かるようで、分からない。
ただ、すごそうだということだけは分かった。
「二人とも好きなの頼んでね。経費だから」
「出た、経費」
コハルは思わず言った。
レンマが吹き出す。
「出たって何」
「レンマさんが言うと、だいたい怖い言葉です」
「便利な言葉なのに」
「便利に使いすぎなんです」
カイリはそのやり取りを、きらきらした目で見ていた。
「お二人は仲が良いんですね」
「え」
コハルの動きが止まった。
レンマはにこにこしている。
「そう見える?」
「はい!」
「違います」
コハルは即答した。
「仕事です。護衛です。打ち合わせです」
「なるほど。業務上の信頼関係ですね」
「そうです。それです」
「月岡さんは説明が丁寧ですね!」
「いえ、そんな……」
勢いに押されて、コハルは困った顔をした。
明るい。
悪い人ではなさそう。
むしろかなり良い人そう。
ただ、情報量が多い。
「なんか、めっちゃお若い……ですよね、カイリさん」
「二十歳の大学生です」
「大学生……」
「はい」
「学校は大丈夫なんですか?」
「はい。春休みですから」
「なるほど」
「まあ、今週で終わりですが」
「終わるんかいっ!」
反射的に突っ込んでしまった。
カイリはどこか嬉しそうにした。
「来週はお休みしますから!」
「春休み明け初っ端休むのって、あんまり良くないのでは……?」
「仕事ですから」
「強い……」
コハルは小さく呟いた。
レンマが笑う。
「カイリくん、仕事しすぎで留年してるらしいよ」
「えっ」
「はい!」
「はいじゃないです」
コハルは思わず真顔になった。
「いや、すみません。私が言うことじゃないんですけど、大学はちゃんと行った方がいいと思います」
「ごもっともです!」
「ごもっともなのに休むんですか?」
「今回は重要任務ですので!」
「説得力があるようで、学生としては不安しかないです」
「月岡さんは優しいですね!」
「今の流れでそうなります?」
コハルは混乱した。
この人、明るい。
素直。
でも、微妙に話が通じているようで通じていない。
レンマがメニューを指さす。
「まあまあ。先に注文しよ。コハルちゃん、苦手なものある?」
「いえ、特には……あ、でも高すぎるものは苦手です」
「食材の話じゃないね」
「精神的に苦手です」
「じゃあ、コースにしようか」
「今、逃げ道塞ぎました?」
「打ち合わせに集中できるでしょ」
「またそうやって」
結局、レンマが店員を呼び、三人分のコースを注文した。
コハルは最後まで値段を見ないようにした。
店員が出ていったあと、空気が落ち着いた。
レンマは水を一口飲んでから、声を低くする。
「じゃあ、改めて。カイリくんは今日から護衛サポートに入る」
カイリの表情が変わった。
さっきまでの明るさが、すっと引く。
消えたわけではない。
ただ、きちんと奥へしまわれた感じだった。
「主な担当は結界術による防御、周辺警戒、転移対策です」
「転移対策……」
コハルはその言葉に、手を止めた。
レンマが静かに続ける。
「昨日、コハルちゃんの周辺を見てた不審者がいた」
「……やっぱり」
コハルは小さく言った。
「レンマさん、昨日何かあったんですよね」
「うん」
今度は誤魔化さなかった。
「怖がらせると思って、その場では言わなかった。ごめん」
「……いえ」
コハルは首を横に振った。
「レンマさんが確認しに戻ってきた時点で、何かあるんだろうなとは思ってました」
「そっか」
「はい」
胸の奥が冷える。
でも、想像していたからか、思ったよりは落ち着いていた。
レンマは言葉を選びながら説明した。
焼肉店の外から視線があったこと。
帰宅確認後、レンマが接触したこと。
相手が短距離転移らしき能力を使ったこと。
コハルに被害はなかったこと。
全部ではない。
でも、必要なところは隠さない。
コハルは黙って聞いていた。
「……私、狙われてるんですね」
言葉にすると、現実感が増した。
レンマはすぐには答えなかった。
代わりに、ゆっくり頷く。
「可能性は高い」
「そうですか」
コハルは膝の上で手を握った。
怖くないわけではない。
むしろ怖い。
でも、目の前にはレンマがいる。
そして、カイリがいる。
昨日より、周りが厚くなっている気がした。
「だから、今日から二人体制にする。俺が前に出ても、カイリくんがコハルちゃんの近くに残る」
カイリが深く頭を下げた。
「月岡さん。怖がらせてしまったら申し訳ありません。でも、俺は必ず、あなたの安全を最優先します」
その声は、さっきまでよりずっと落ち着いていた。
コハルは驚いた。
元気なだけの人ではない。
ちゃんと、仕事の顔がある。
「……ありがとうございます」
「はい」
「あの、でも」
「はい」
「命に代えてとかは、言わないでくださいね」
カイリの目が一瞬だけ見開かれる。
レンマが横で肩を震わせた。
「レンマさんに言われてたので」
「はい。言わないようにします」
「言おうとしてたんですね」
「少しだけ」
「正直ですね」
コハルは思わず笑ってしまった。
緊張がほどける。
ちょうどその時、前菜が運ばれてきた。
白い皿の上に、きれいに盛られた料理。
名前はよく分からない。
けれど、見た目からして高い。
「……これ、一口で食べていいやつですか?」
「いいけど、もったいないから味わって」
「ですよね」
コハルが慎重にフォークを持つ。
カイリは真剣な顔で料理を見ていた。
「カイリくん?」
「はい」
「どうしたの?」
「こういうお店、あまり来ないので、どこから手をつけるべきか判断中です」
「意外」
コハルが言うと、カイリは照れたように笑った。
「依頼ではよく動きますが、食事はコンビニか学食が多いので」
「そこは大学生なんですね」
「はい!」
「安心しました」
「安心されました!」
「なんで嬉しそうなんですか」
レンマは水を飲みながら笑っている。
「二人、意外と会話できてるね」
「できてますか?」
「できてるよ」
「月岡さんが優しいので!」
「カイリくんも素直だからじゃないですか?」
「ありがとうございます!」
「声量」
「あ、すみません」
カイリは声を落とした。
コハルはその様子を見て、また笑う。
変な人だ。
でも、嫌な感じはしない。
むしろ、こういう人がそばにいてくれるのは安心する。
食事が進むにつれて、話題も軽くなった。
コハルの仕事の話。
カイリの大学の話。
レンマの「経費」への信頼感の話。
「レンマさんは、どうして毎回こういうお店なんですか?」
「個室があるから」
「それだけですか?」
「あと美味しいから」
「本音出ましたね」
「美味しい方がいいでしょ」
「それはそうですけど」
カイリが真面目な顔で頷く。
「食事の質は判断力に影響しますから」
「マナトさんみたいなこと言いますね」
コハルが言った瞬間、レンマがにやっとした。
「お、マナトの名前出た」
「え、いや、今のは普通に」
「普通にねえ」
「何ですか、その顔」
「別に」
カイリが首を傾げる。
「マナトさんは、月岡さんにとって重要な方なんですね」
「えっ」
コハルのフォークが止まった。
レンマは楽しそうに黙っている。
「重要というか……」
「はい」
「その、色々助けてもらっている方です」
「なるほど。恩人ですね」
「まあ……そう、ですね」
「大切な方なんですね」
「えっ」
コハルの頬が赤くなる。
「そういう意味ではなくてですね」
「すみません。言葉の選び方を間違えましたか?」
「間違っては……ない、かもしれないですけど」
自分で言って、さらに困った。
レンマが小さく笑う。
「カイリくん、なかなかいいところ突くね」
「え、俺、何かしましたか?」
「ううん。とてもいい仕事」
「仕事ですか?」
「違います」
コハルが即座に否定した。
その後も、特に何かが起こることはなかった。
怪しい気配もない。
店の外に不審な影もない。
カイリが張った薄い結界にも、異常はないらしい。
食事は普通に美味しかった。
値段のことを考えなければ、かなり美味しかった。
会話も、思ったより穏やかだった。
カイリは元気すぎるけれど、真面目で、素直で、危なっかしい。
レンマはいつも通り軽いけれど、必要なところではちゃんと線を引く。
その二人がいる空間は、不思議と安心できた。
店を出る頃には、空はすっかり暗くなっていた。
「今日はありがとうございました」
コハルは店の前で頭を下げた。
「こちらこそ。急にいろいろ話してごめんね」
「いえ。聞けてよかったです」
これは本心だった。
怖い。
でも、知らないまま怖がるよりはずっといい。
カイリも深く頭を下げる。
「月岡さん、本日はありがとうございました。明日からもよろしくお願いいたします」
「はい。こちらこそ」
「あ、声量、大丈夫でしたか?」
「大丈夫でした。たぶん」
「たぶん!」
「そこ拾わなくていいです」
コハルは笑った。
その笑い声は、夜の空気の中で柔らかく響いた。
レンマはその横顔を見て、わずかに安心する。
(今日は、何も起きなかったな)
それは良いことだ。
何も起きない日は、守れている日だ。
けれど。
何も起きなかったからといって、何も動いていないとは限らない。
レンマはコハルに気づかれないように、周囲へ薄く風を流した。
異常なし。
少なくとも今は。
「じゃあ、送っていくよ」
「はい。お願いします」
「カイリくん、周辺確認よろしく」
「了解しました」
その返事は、さっきまでより静かだった。
コハルは気づいていない。
でも、レンマには分かった。
カイリも、もう仕事に戻っている。
駅前の明かりから離れ、三人はゆっくり歩き出した。
前にレンマ。
少し後ろにコハル。
そして、その斜め後ろにカイリ。
昨日より、守りの形は整った。
それでも、レンマは油断しない。
敵はまだ来ない。
たぶん、今日は来ない。
けれど、見ている可能性はある。
どこかで。
暗がりの奥で。
こちらの数が増えたことを、確認しているかもしれない。
(まあ、見てるなら見てなよ)
レンマは心の中で呟いた。
(こっちも、もう昨日と同じじゃないから)
夜風が頬を撫でる。
その風は、今日はまだ澄んでいた。
黒く濁ることもなく、ただ静かに街を流れている。
護衛二日目。
何も起きないまま、平和に終わろうとしていた。
だからこそ、レンマは思った。
たぶん本当に面倒なのは、これからだ。




