1-28話:護衛初日が高級焼肉な時点で、だいたい日報の内容もおかしくなる
数日は、拍子抜けするほど平和に過ぎた。
何かが起きると思っていた。
変な帰還者が現れるとか。
怪しい組織に狙われるとか。
夜道で急に不穏な気配がするとか。
けれど、実際にあったのは。
『本日の食材です。受け取ってください』
マナトから届く、妙に健康的な食材配達だった。
野菜。
鶏肉。
卵。
ヨーグルト。
スープ。
なぜか小分けされた玄米。
(……私、勇者に護衛されてるんだよね?)
それなのに、生活の実感としては、ほぼ食生活改善プログラムだった。
しかも、配送メッセージが毎回妙に丁寧だった。
『夜に外出しないで済むよう、多めに入れてあります』
『栄養が偏ると判断力が鈍ります』
『甘いものも入れました。食べすぎないでください』
(食材配達サービスのお兄さんかな……?)
そんなことを思い始めた頃。
いよいよ、マナトの出張の日が来た。
朝。
スマホが鳴った。
『コハルさん、行ってきますね』
「あ、はい。行ってらっしゃい」
まだ朝なのに、マナトの声はいつも通り真面目だった。
むしろ、いつもより硬い。
『くれぐれも気をつけてください』
「はい」
『夜は出ないでください』
「はい」
『人気のない道は避けてください』
「はい」
『知らない人についていかないでください』
「小学生への注意みたいになってません?」
『必要なことです』
「否定しないんですね……」
電話の向こうで、マナトがわずかに息を吐く気配がした。
『レンマさんの距離が近くて嫌だったら、ちゃんと俺に報告してください』
「報告って……」
『俺が依頼人なので』
「………」
依頼人。
その言葉に、コハルは黙った。
そうなのだ。
今回の護衛は、マナトが依頼したものだ。
つまり、当然そこにはお金が発生している。
自分のために。
マナトが。
(……いや、考えると落ち着かなくなるやつだ、これ)
『お土産買ってきます』
「いいですって!」
『なかなか行ける距離じゃないので』
「いや、でも、出張ですよね? 遊びじゃないですよね?」
『空き時間に買えます』
「その真面目な声でお土産の話されると、なんか断りづらいんですけど……」
悩む。
ここで「何でもいいです」と言うと、マナトは本当に何かを真剣に選びそうだった。
それはそれで、申し訳ない。
「では、お言葉に甘えて、通りもんを……」
『わかりました。任せてください』
「あ、ありがとうございます」
『では、また夜電話しますから』
「毎日ですか?」
『当たり前です。レンマさんにも日報を提出してもらう予定です』
「日報って……」
護衛というより、もう業務委託の管理体制だった。
『大丈夫です。何か困ったことがあれば、絶対電話してください』
「分かりました」
『絶対です』
「分かりましたってば」
『それでは』
電話が切れた。
コハルはしばらくスマホを見つめた。
(……行っちゃった)
胸の奥が静かになる。
数日会えないだけだ。
二週間経てば戻ってくる。
そもそも、毎日電話すると言っていた。
なのに、どこか心細い。
(いやいや、レンマさんもいるし。リンカさんもいるし。大丈夫、大丈夫)
そう自分に言い聞かせて、コハルは仕事へ向かった。
その夜。
『やっほー! コハルちゃん! ちょっとご飯食べ行かない?』
仕事が終わった頃、レンマからメッセージが届いた。
軽い。
あまりにも軽い。
だが、二週間これから世話になる相手だ。
お互いのことを知るのも悪くない。
『分かりました』
そう返すと、すぐに返信が来た。
『じゃあ、ここに来て』
送られてきた住所を開く。
表示された店名を見て、コハルは固まった。
(……高級焼肉店)
明らかに、普段自分が気軽に入るような店ではなかった。
店名からして強い。
口コミも強い。
写真に写っている肉の霜降りが、もう暴力だった。
(マナトさんからの依頼ってことは、お金が当然発生してるんだよな……依頼料が高額なのかな? というか! マナトさんがその依頼料で私の護衛を頼んでるんでしょ!?)
急に現実が襲ってくる。
(よく考えたら、私、相当マナトさんに過保護な感じにされてない!? いや……大事にされてるのか)
大事にされている。
そう思った瞬間、顔が熱くなった。
「……やめよう」
声に出して止める。
考えると危ない。
何かが危ない。
(でも、レンマさんならマナトさんのこと、私より知ってるよね)
出会ってまだ二週間ちょっとの自分より。
同じ勇者で、同じ異世界帰還者で、たぶん昔から知っているレンマの方が。
(聞いてみよう。ちょっとだけ)
そう決めて、コハルは店へ向かった。
駅から離れた通り。
明るい看板が並ぶ中で、その店だけ落ち着いた雰囲気をしていた。
暖簾。
黒い外壁。
入口横の控えめな照明。
(高そう)
第一印象はそれだった。
中に入ると、店員が丁寧に頭を下げた。
「いらっしゃいませ」
「あ、えっと、待ち合わせで……木崎さん、です」
「木崎様ですね。ご案内いたします」
案内されたのは、半個室の席だった。
暖簾で仕切られた奥に、すでにレンマが座っている。
「やっほー、コハルちゃん」
レンマはいつも通り、ゆるく手を振った。
「お疲れ様です」
「お疲れ。仕事終わりに呼び出してごめんね」
「いえ……あの、ここ、高くないですか?」
「高いよ」
「言い切った……」
レンマはメニューを開きながら、何でもない顔で言った。
「でも大丈夫。経費で落ちるから」
「経費……」
「ヘリオス経由の護衛案件だからね。食事しながら状況確認。つまり業務」
「焼肉で?」
「焼肉で」
「業務の概念が強い……」
コハルが呟くと、レンマは楽しそうに笑った。
「あと、マナトからも言われてる」
「何をですか?」
「ちゃんと食べさせろって」
「……」
コハルは一瞬、言葉を失った。
そして、ゆっくり目を伏せる。
(本当に食材配達サービスのお兄さんじゃん……)
「マナトさん、どこまで心配してるんですか」
「かなり」
「かなり……」
「たぶん、今頃も新幹線の中で心配してる」
「さすがにそれは……」
言いかけて、コハルは黙った。
ありそうだった。
普通にありそうだった。
「ほら、何食べる?」
「え、えっと……普通ので」
「普通とは」
「高すぎないやつで……」
「遠慮しなくていいよ。今日は俺が選ぶね」
「待ってください、その言い方が一番怖いです」
「大丈夫。食べられない量は頼まないから」
「量じゃなくて値段の話です」
「値段は見ない方が幸せな時もあるよ」
「見ますよ!?」
コハルは慌ててメニューを見る。
そして、見たことを後悔した。
(肉、一皿で私の昼ごはん何日分……?)
現実感が薄れる。
肉の名前が全部強そうだった。
特選。
極上。
希少部位。
数量限定。
(焼肉屋のメニューって、こんなに勇者みたいな名前してたっけ……)
その間に、レンマは慣れた様子で店員を呼び、いくつか注文していた。
タン。
ハラミ。
カルビ。
ロース。
サラダ。
スープ。
ご飯。
意外と、ちゃんとしている。
「ちゃんと野菜も頼むんですね」
「マナトがうるさそうだから」
「本人いないのに影響力がすごい……」
「いるようなもんだよ。日報あるし」
「本当に書くんですか?」
「書くよ。『一日目、コハルちゃんと焼肉。特に異常なし。タン塩を食べた』って」
「それ、日報として大丈夫なんですか?」
「大丈夫じゃない?」
「マナトさんに怒られません?」
「怒るだろうね」
「駄目じゃないですか」
レンマは笑った。
軽い。
けれど、その軽さが今はありがたい。
炭火が運ばれてくる。
網が熱を帯びて、空気が変わる。
店内に漂う肉の匂い。
静かなざわめき。
仕事終わりの疲れがほどけていく。
最初にタンが来た。
薄く切られた肉が、綺麗に皿に並んでいる。
「焼くね」
「あ、自分でやります」
「いいよ。今日は護衛兼焼き係だから」
「焼き係まで含まれてるんですか」
「たぶん」
「たぶんで仕事増やさないでください」
レンマは器用に肉を網へ置いた。
じゅう、と音がする。
その音だけで、お腹が鳴りそうになる。
「コハルちゃん」
「はい」
「マナトのこと、聞きたいんでしょ」
「……え」
トングを持ったまま、レンマがこちらを見た。
笑っている。
でも、目は鋭い。
「顔に出てたよ」
「そんなに出てました?」
「うん。マナトほどじゃないけど」
「比較対象が悪いです」
コハルは頬を押さえた。
聞こうと思っていた。
でも、自分から切り出す前に言われると、妙に恥ずかしい。
「……その、マナトさんって、昔からあんな感じなんですか?」
「あんな感じって?」
「真面目で、心配性で、過保護で……あと、ちょっと不器用な感じ」
「ああ」
レンマはタンをひっくり返した。
「昔からそういうタイプってわけじゃないと思うよ」
「そうなんですか?」
「少なくとも、俺が知ってる限りだとね。コハルちゃんが初めての後輩だから」
「初めての後輩……」
「勇者って、そうそう現れるものじゃないからさ」
レンマは焼けたタンを皿に乗せながら、軽く言った。
「実に、三年ぶりの勇者誕生なんだよ。コハルちゃんは」
「三年ぶり……」
コハルは思わず復唱した。
数人しかいないとは聞いていた。
だが、「三年ぶり」と言われると、自分の特殊さが急に現実味を帯びた。
「じゃあ、マナトさんが最後の勇者だったんですか?」
「そう。マナトが三年前。で、その次がコハルちゃん」
「……私、本当に一個後輩なんですね」
「勇者歴で言えばね」
レンマはにこっと笑った。
「はい、食べて」
「あ、ありがとうございます」
コハルは一枚口に入れた。
おいしい。
悔しいくらい、おいしい。
「……おいしいです」
「よかった」
レンマは満足そうに笑う。
「でも、マナトさんが私の一個先輩って、なんか変な感じです」
「親近感出た?」
「出ました」
「でも実力差はかなりあるよ」
「急に現実を入れないでください」
「大事だからね」
レンマは楽しそうに笑った。
「ちなみに俺は六年前」
「六年前!?」
「うん。だから俺はかなり先輩だね」
「レンマさん、そんなに長いんですか」
「長いよ。いろいろあったよ。だいたい面倒だったけど」
「だいたい面倒……」
軽い言い方だった。
けれど、その奥に重いものが見えた気がした。
レンマはそれ以上詳しく話さなかった。
「で、リンカさんは八年前とかだったかな」
「八年前……!」
「あの人はめっちゃ先輩」
「めっちゃ先輩……」
「勇者としても、社会人としても、怖い人としても先輩」
「最後の分類いります?」
「いる」
レンマは真顔で言った。
「リンカさん、年齢はいくつなんですか?」
「あー」
レンマはそこで、視線を逸らした。
「年齢不詳」
「不詳なんですか?」
「本人が言わないからね」
「聞いたら教えてくれないんですか?」
「聞いてもキレられるから」
「そ、そうなんですね……」
コハルは真面目に頷いた。
リンカなら、たしかに怖い。
「まあ、三十二歳が濃厚らしいよ」
「濃厚」
「でも本人に言わない方がいい」
「絶対言いません」
「命は大事にしよう」
「年齢の話で命が出てくるの怖いです」
レンマは笑いながら、焼けた肉をひょいと皿に置いた。
「ちなみに俺は三十」
「三十歳なんですか?」
「うん」
「え、もっと若いかと思ってました」
「それは褒めてる?」
「え、もちろん」
「若作りしてる気はないんだけどな〜」
「違いますっ! そういう意味じゃなくて!」
コハルが慌てると、レンマは楽しそうに肩を揺らした。
「コハルちゃんは?」
「私は二十九です」
「え、二十九なの?」
「はい」
「もう少し下かと思ってた」
「それはどういう意味ですか」
「反応が素直だから」
「からかってます?」
「そんなことないよ」
でも、その口元は緩んでいた。
「私たち、一歳差だったんですね」
「そうだね。俺が三十、コハルちゃんが二十九」
「年齢的には、そんなに先輩感ないですね」
「勇者歴では大先輩だから」
「急にそこ押してきますね」
「大事だからね、先輩感」
「そこまで先輩感ほしいんですか」
「後輩ができる機会、あんまりないから」
「そういうものですか」
「そういうものだよ」
レンマは軽く笑った。
「ちなみにマナトは二十七」
「……え?」
コハルは、箸を止めた。
「マナトさん、二十七なんですか?」
「うん。二十七」
「……二十七」
「知らなかったの?」
「知りませんでした」
思わず、正直に言った。
たしかに、年齢の話などしたことがなかった。
マナトは落ち着いている。
真面目で、しっかりしていて、どこか老成している。
だから、何となく同じくらいか、少し上だと思っていた。
「……私より二つ下なんですか」
「そうだよ」
「……本当に?」
コハルは呟いた。
年下。
マナトが。
あのマナトが。
いつも自分に「夜は出ないでください」と言い、食材を送り、電話で釘を差し、護衛を手配し、日報まで提出させようとしているあの人が。
二つ下。
(……年下にめちゃくちゃ心配されてる)
急に現実が別方向から刺さった。
「マナトさん、全然年下感ないですね……」
「ないねえ」
「むしろ私の方が注意されてますし」
「それはコハルちゃんが危なっかしいから」
「否定しづらい……」
「あと、マナトがああいう性格だから」
レンマは軽く肩をすくめた。
「あいつ、年齢より責任感が前に出るタイプだから」
「……分かります」
「分かるでしょ」
「はい」
分かる。
マナトは、いつも何かを背負っているように見える。
ただ立っているだけでも。
ただ話しているだけでも。
誰かを守る側にいることが、当たり前みたいな顔をしている。
「でも、コハルちゃんの前だと、ちょっと年相応かもね」
「え?」
「心配しすぎて余裕なくなってるし」
「それ、年相応なんですか?」
「少なくとも、俺から見ると分かりやすい」
「……」
コハルは水を飲んだ。
なぜか喉が乾いた。
(二十七……)
頭の中で、マナトの顔を思い浮かべる。
真面目な顔。
困った顔。
怒っているようで、心配している顔。
安心したように目を伏せた顔。
(年下……)
思ったより破壊力があった。
「コハルちゃん、顔赤いよ」
「焼肉屋だからです」
「まだそんなに暑くないよ」
「焼肉屋だからです」
「二回言った」
「大事なので」
レンマは楽しそうに笑った。
「マナトさんの話、全部私にして大丈夫なんですか?」
「大事なところは言ってないから大丈夫」
「大事なところ……」
「そこは本人から聞いた方がいいよ」
レンマはさらっと言った。
軽い声だった。
でも、それ以上踏み込ませない響きがあった。
コハルは小さく頷く。
「……はい」
いつか。
マナト本人から聞ける日が来るのだろうか。
三年前。
マナトが勇者になった時のこと。
異世界でのこと。
帰ってきてからのこと。
そして、今なぜ、自分をここまで守ろうとしてくれるのか。
「……レンマさん」
「うん?」
「二週間、よろしくお願いします」
改めて言うと、レンマは目を丸くした。
それから、いつもの調子で笑った。
「こちらこそ。ちゃんと守るよ」
軽い言い方だった。
でも、その目は軽くなかった。
その時、コハルのスマホが震えた。
画面を見る。
マナトからだった。
『無事ですか?』
コハルは一瞬、固まる。
そして、レンマに画面を見せた。
「……もう来ました」
「早いねえ」
「まだ夜電話の時間じゃないですよね」
「心配なんだろうね」
レンマは楽しそうに笑う。
「返信してあげなよ」
コハルは考えて、文字を打った。
『無事です。レンマさんと焼肉を食べています』
送信。
数秒後。
『焼肉?』
すぐ返ってきた。
コハルは思わず笑ってしまった。
レンマが身を乗り出す。
「何て?」
「焼肉? って」
「ふふ。怒ってる?」
「たぶん、困惑してます」
さらに通知が来た。
『高級店ではありませんか?』
『レンマさんに変なところへ連れていかれていませんか?』
『帰りは必ず送ってもらってください』
「三連続……」
「日報に書くこと増えたなあ」
「怒られますよ」
「大丈夫。焼肉はおいしいから」
「理由になってないです」
コハルは返信を打つ。
『大丈夫です。ちゃんとしたお店です。帰りも送ってもらいます』
迷って、付け足した。
『心配してくれてありがとうございます』
送信したあと、なぜか恥ずかしくなった。
しばらくして、マナトから返事が来る。
『当然です』
たった四文字。
でも、それを見た瞬間、コハルの胸の奥が忙しくなった。
(……二十七歳なのに)
年下だと知ったばかりなのに。
この四文字だけで、胸が落ち着いたり、落ち着かなくなったりする。
かなり困る。
レンマがこちらを見る。
「何て?」
「……秘密です」
「お、いいね」
「何がですか」
「いや、マナトが見たらまた顔に出そうだなって」
「レンマさん」
「はいはい」
レンマは笑いながら、新しい肉を網に置いた。
じゅう、と音がした。
その音が、妙に平和だった。
マナトは遠くにいる。
リンカもここにはいない。
でも、自分は一人ではない。
普通の日常からは、少しずつ遠ざかっている。
けれど、焼肉はおいしい。
レンマは意外と気を遣ってくれる。
マナトは相変わらず心配性で、遠くからでもこちらを見ている。
(……まあ)
コハルは焼けた肉を口に運びながら、思った。
(初日としては、悪くないのかもしれない)
少なくとも。
高級焼肉店で護衛初日の説明を受ける人生になるとは、少し前の自分は想像もしていなかったけれど。
その頃。
店の外の通りを、一人の男が通り過ぎた。
足を止めたのは、ほんの一瞬だった。
黒い外壁。
控えめな照明。
半個室へ続く奥の暖簾。
男の視線が、店内の方へ向く。
だが、すぐに歩き出した。
何事もなかったかのように。
ただの通行人のように。
店内では、コハルがレンマの焼いた肉を受け取りながら、困ったように笑っていた。
だから、気づかなかった。
その視線が、一瞬だけ。
自分のいる席の方を捉えていたことに。




