1-27話:初対面の勇者が普通じゃない時点で、だいたい安全確認も落ち着かない
翌日。
仕事終わりの駅前は、いつものように人であふれていた。
会社帰りの人。
制服姿の学生。
買い物袋を下げた人。
誰かを待つ人。
その全部が、普通の夕方そのものだった。
けれど、コハルの心臓は全然普通ではなかった。
(……暁光の勇者)
昨日から何度も頭の中で反復している名前。
暁光。
字面だけでも強い。
というか、もう強そうを通り越して、何かの最終職みたいだった。
しかも、マナトが「かなり強い」と即答した人。
距離感が雑。
強引。
勘がいい。
女性。
そして、マナトが苦手そうにしている。
(情報だけで、もうだいぶ怖い……)
駅前の時計を見る。
十八時二十五分。
約束の五分前だった。
すでにマナトはいた。
「お疲れ様です」
「あ、お疲れ様です」
いつも通りの作業着ではなく、今日は私服に近い格好だった。
それだけで印象が違う。
だが、表情はいつも通り真面目で、やや硬い。
「大丈夫ですか?」
「何がですか?」
「顔が緊張してます」
「そりゃしますよ。これから勇者に会うんですよ」
「俺も勇者ですが」
「マナトさんはもう知ってるので」
「……そうですか」
マナトはわずかに目を伏せた。
何となく、そこだけ嬉しそうに見えてしまい、コハルは慌てて視線を逸らす。
(今の何? 何でちょっと安心したみたいな顔した? いや見間違い。たぶん見間違い)
「場所は近くの喫茶店です」
「はい」
「リンカさんはもう来てると思います」
「早いですね」
「そういう人です」
「そういう人……」
説明になっているようで、なっていない。
だが、それ以上聞く前に、マナトは歩き出した。
駅前から少し離れた通りにある、小さな喫茶店。
外観は落ち着いていて、木目調の看板がかかっている。
夕方の時間帯だからか、店内はそこまで混んでいなかった。
ベルの音を鳴らして中へ入る。
その瞬間、奥の席から片手が上がった。
「おー、来たな」
低めの声。
軽い調子。
けれど、その声が届いた瞬間、コハルは思わず足を止めた。
いた。
そこにいた。
窓際の席に座っている女性。
黒に近い濃色の服。
すらりと長い手足。
座っているのに、かなり長身だと分かる。
力を抜いているのに、姿勢が妙に綺麗だった。
短く整えられた髪。
鋭い目つき。
目つきは、かなり悪い。
けれど、それが怖いというより、妙に似合っていた。
(なにこの、スタイル抜群のかっこいい人!!)
コハルは完全に固まった。
(目つきめっちゃ悪いのに、悪そうな王子様タイプっていうの……? 同性なのにドキドキするんだけど……)
人をじろじろ見るのは失礼だ。
分かっている。
分かっているのに、目が離せない。
顔が綺麗。
雰囲気が強い。
周りの空気を少し支配している。
(この人、絶対男女ともにモテそう……)
隣でマナトが小さく咳払いをした。
「コハルさん」
「はっ」
我に返る。
完全に見ていた。
完全に見惚れていた。
「あ、す、すみません」
「いいよ。見慣れてる」
女性は軽く笑った。
その笑い方も、妙に余裕がある。
「思ったより、普通な感じだな。勇者って全員が頭おかしいわけじゃないって証明してくれそうな、稀有な存在だよ」
「……えっと」
いきなり何を言われたのか分からない。
褒められているのか。
貶されているのか。
それとも勇者全体が貶されているのか。
判断に困る。
「リンカさん」
マナトが低く言う。
「初対面です」
「分かってるよ。だから加減してる」
「それでですか」
「それでだよ」
加減とは。
コハルは心の中で突っ込んだが、口には出さなかった。
マナトに促され、リンカの向かい側に座る。
マナトはコハルの隣に座った。
その位置取りだけで、落ち着く。
自分でも、それがちょっと悔しい。
「あたしは、株式会社ヘリオス・サービスの副社長をしている、日高リンカという者さ」
リンカが名刺を渡してきた。
「暁光の勇者の名で知られているよ」
「……」
名乗りが強い。
あまりにも強い。
そして本人の雰囲気が、それにまったく負けていない。
「あ、月岡コハルです……」
「知ってる」
「あ、はい」
「登録型の人材派遣会社で、仕事をしたいやつと仕事を依頼したいやつのマッチングや、その他もろもろ汚れ仕事全般を受け持ってる。もちろん異世界関連のゴタゴタだな」
「ゴタゴタ……」
ゴタゴタの内容を知りたい気もした。
だが、やめておいた。
たぶん聞くと後悔する。
絶対に後悔する。
「それで。話なんだが」
リンカの声が低くなる。
さっきまで軽かった空気が、わずかに変わった。
「マナトが出張で不在の二週間は、こちらの派遣した勇者が護衛をすることになった」
「え!?」
思わず声が出た。
隣のマナトを見る。
マナトはすでに説明を受けているのか、静かにこちらを見ていた。
「え、護衛って……」
「あたしらとしても、新米の勇者が奪われるのを黙って見ているわけにはいかないんだよ」
「奪われるって……」
言葉の意味が嫌すぎる。
比喩であってほしい。
だが、リンカの顔は笑っていなかった。
「過去にあったからだ」
「……」
喉が詰まった。
冗談ではなさそうだった。
「君のその身体は、もはや君だけのものじゃない。女神の加護が奪われるわけにはいかないんだ」
「え、えっと……」
理解が追いつかない。
いや、意味は分かる。
分かりたくないだけだ。
自分の身体。
血。
肉。
女神の加護。
それらが急に、自分以外の誰かにとって価値のあるものとして語られている。
怖い。
気持ち悪い。
どう反応すればいいのか分からない。
コハルは隣のマナトをちらっと見た。
助けを求めるように。
マナトはそれに気づいて、静かに口を開いた。
「リンカさんは信頼できる方です。手段や言動は乱暴でも、コハルさんを守るうえで必要なことはしてくれます」
「……」
安心させようとしているのは分かる。
分かるが、手段や言動は乱暴という言葉がまったく安心材料になっていない。
「言い方」
リンカが笑う。
「事実です」
「まあな」
否定しないのか。
コハルはますます不安になった。
「安心しろよ。こちらが用意した勇者は、君も知ってる相手だ」
「知ってる……」
コハルは数秒考えて、それから恐る恐る言った。
「レンマさん……?」
「そうだ。よく分かったな」
「いや、レンマさんしか勇者の人、他には知らないですし……」
「へえ。じゃあ、今度他の奴にも会わせてやるよ」
「……」
それはありがたいような、迷惑なような。
何とも言えなかった。
そもそも勇者をコレクションみたいに紹介されても困る。
マナトも、隣で眉を寄せている。
「リンカさん」
「冗談だ」
「冗談に聞こえないんですよ」
「紹介するのは、必要になったらだ」
「必要にならないことを祈ります」
「それは同感」
リンカは軽く肩をすくめた。
その仕草ひとつも様になる。
悔しいくらい格好いい。
(見た目だけならめちゃくちゃ憧れるのに、言ってることが全部物騒……)
コハルは内心で頭を抱えた。
その時だった。
店の入口のベルが鳴る。
「お、来た」
リンカが、窓の外を見るより早くそう言った。
コハルもつられて入口を見る。
入ってきたのは、見覚えのある長身の男だった。
少し長めの髪。
ゆるい雰囲気。
手を軽く振る仕草。
レンマだった。
「いやあ、コハルちゃん」
レンマは何でもない顔で近づいてくる。
そして、リンカの隣――つまり、コハルの正面に座った。
「随分と最悪なタイミングで福岡に行っちゃうマナトの代わりに、俺がコハルちゃんをサポートするから。よろしくね」
「……よろしく、お願いします」
反射的に頭を下げる。
だが、その言い方が引っかかった。
最悪なタイミング。
それは確かにそうだ。
だが、本人の前であまりにもさらっと言う。
マナトを見ると、案の定、眉間に皺が寄っていた。
「レンマさん」
「うん?」
「言い方」
「事実じゃん」
「事実でも言い方があります」
「じゃあ、すごく大事な時期に、会社都合で遠方へ飛ばされるマナトの代わりに?」
「悪化してます」
レンマは楽しそうに笑った。
その笑い方が昨日と同じで、少し安心する。
同時に、少し面倒な気もする。
「まあでも、仕事として受けたからにはちゃんとやるよ」
レンマはコハルをまっすぐ見た。
さっきまでの軽さが、少しだけ薄くなる。
「二週間。マナトが戻るまで。コハルちゃんが変な帰還者に連れ去られたり、変な組織に拾われたりしないように見る」
「変なことが多い……」
「多いよ。実際」
レンマは否定しなかった。
そこは否定してほしかった。
「ただし、四六時中べったり張りつくつもりはないよ」
「え」
「それやると、コハルちゃんが疲れるでしょ」
「あ……」
「だから基本は、必要な時に近くにいる。危ない気配があったら動く。夜の外出はできれば避ける。どうしても出る時は連絡。そんな感じ」
思ったより現実的だった。
もっと管理されるのかと思っていた。
もっと監視っぽいものを想像していた。
だが、レンマの説明は、意外とコハルの生活を壊さない形を考えているように聞こえた。
「それなら……」
言いかけたところで、マナトが口を挟む。
「どうしても出る時、ではなく、出ないでください」
「マナト、そこは現実的に」
「出ないでください」
「うん、過保護」
「必要です」
「まあ必要だけど」
レンマは笑いながら肩をすくめた。
リンカはそれを横で見て、面白そうに目を細めている。
「お前ら、相性悪いのに息は合うな」
「合ってません」
「合ってないよ」
二人が同時に言った。
コハルは思わず笑ってしまった。
笑ってから、はっとする。
この場は、本来かなり物騒な話をしているはずだ。
自分が狙われるかもしれない話。
二週間、勇者に護衛される話。
なのに、この人たちは普通に言い合いをしている。
そのせいで、怖さが薄まっている。
それが救いなのか、それとも感覚が麻痺しているだけなのかは分からない。
「ちなみに」
リンカがコーヒーカップを持ち上げながら言った。
「今回の契約上は、依頼主は金色マナト。護衛対象は月岡コハル。派遣される勇者は木崎レンマ。ヘリオスは仲介と事務処理。異常発生時のバックアップ窓口はあたし、日高リンカ。そういう形だ」
「依頼主、マナトさんなんですか?」
「はい」
マナトが静かに答える。
「俺が依頼しました」
「……」
何となく分かっていた。
けれど、改めて言われると、胸の奥が妙な感じになった。
自分のために。
マナトが。
会社の出張前に、わざわざ。
「……すみません」
思わず出た。
マナトはすぐに首を振る。
「コハルさんが謝ることじゃないです」
「でも」
「でもじゃないです」
「あ、はい……」
少し怒られた。
いつもの感じだった。
レンマがそれを見て、くすっと笑う。
「マナト、ほんと分かりやすいね」
「何がですか」
「いや、別に」
「言ってください」
「言ったら怒るでしょ」
「なら言わないでください」
「難しいなあ」
リンカがそこで、にやりと笑った。
「まあ、いいんじゃないか。守りたい相手がいるってのは、悪いことじゃない」
「リンカさん」
「怒るなよ。褒めてるんだぞ」
「からかってますよね」
マナトが苦い顔をする。
コハルはその横顔を見て、少し困った。
まただ。
こういう時、心臓が忙しくなる。
やめてほしい。
今は暁光の勇者と暴風の勇者に挟まれているような状況なのに、別方向で落ち着かない。
「コハルちゃん」
レンマに呼ばれて、コハルは顔を上げた。
「はい」
「二週間、俺が見るからって言っても、遠慮しすぎなくていいよ」
「遠慮……」
「うん。仕事だから。困ったら呼んで」
「でも……その、迷惑じゃないんですか?」
言ってから、声が小さくなる。
そもそも、自分はまだこの人と知り合って間もない。
先日助けてもらったばかりで、今度は二週間の護衛までしてもらう。
仕事と言われても、簡単に割り切れるほど図太くはなかった。
レンマは目を丸くして、それから軽く笑った。
「迷惑なら受けてないよ」
「……そうなんですか?」
「そうだよ。俺、やりたくないことはあんまりやらないし」
「それ、仕事として大丈夫なんですか……?」
「大丈夫じゃない時もあるね」
「言い切った……」
コハルが困ったように呟くと、レンマは楽しそうに肩をすくめた。
「でも今回は受けた。だから、ちゃんとやる」
「……」
軽い。
言い方は軽い。
でも、目は軽くなかった。
「それに」
レンマは目を細めた。
「新米の子が怖い目に遭うの、普通に嫌だからね」
「……」
その声は軽い。
でも、軽いだけではなかった。
「怖がらせる言い方はしたくないけど」
レンマは続ける。
「用心しておくに越したことはないから」
「……はい」
コハルは小さく頷いた。
その瞬間、マナトがこちらを見た。
「怖いなら、ちゃんと言ってください」
「え」
「無理に平気な顔をしなくていいです」
「……」
真正面から言われて、言葉に詰まる。
怖い。
普通に怖い。
でも、怖いと言うと、何かが決定的になる気がしていた。
自分がもう普通の側に戻れないと、認めてしまうようで。
けれど。
「……怖いです」
小さく言った。
声は思ったより弱かった。
「でも、知らないままよりは、たぶんいいです」
マナトはしばらく黙って、それから小さく頷いた。
「はい」
レンマは何も茶化さなかった。
リンカも笑わなかった。
その沈黙が、ありがたかった。
「じゃあ、話を戻すぞ」
リンカがカップを置いた。
「二週間、レンマが主担当。何かあればマナトにも連絡していいが、福岡から戻れない可能性もある。緊急時はレンマ。レンマが捕まらない場合はあたし。これは覚えておけ」
「はい」
「あと、人気のない場所に一人で行くな。夜は特に。どうしても行くなら連絡。コンビニも含む」
「コンビニも……」
コハルが呟くと、マナトがすぐにこちらを見た。
「含みます」
「分かってますよ!」
また声が大きくなる。
レンマが楽しそうに笑う。
「昨日なんかあったの?」
「ありました」
「ありましたけど!」
「なるほどねえ」
「何も分かってないですよね!?」
「だいたい分かった」
「分からないでください!」
場が緩む。
その緩み方に、コハルは救われる。
怖い話だけでは息が詰まる。
でも、怖い話から逃げ続けるわけにもいかない。
その中間に、この人たちはいる。
物騒で。
強くて。
距離感が変で。
でも、不思議とこちらを一人にはしない。
「それじゃ、今日の顔合わせはこんなところか」
リンカが立ち上がる。
「レンマ、後は頼む」
「はーい」
「マナト。お前は出張準備しろ。あと顔に出すぎ」
「……出てません」
「出てるよ。なあ、月岡コハル」
「えっ、私に振らないでください」
急に振られて、コハルは慌てる。
リンカはそれを見て、面白そうに笑った。
「まあいい。普通そうで安心したよ」
「え?」
「勇者ってのは、だいたい面倒だからな。君くらい反応が普通な方が、こっちとしても分かりやすい」
「それ、褒めてます?」
「もちろんだ」
「からかわれてる……」
マナトと同じ反応をしてしまい、コハルは少し悔しくなった。
リンカは満足そうに笑い、伝票を取った。
「ここはあたしが払う。顔合わせの経費だ」
「え、そんな」
「気にするな。ヘリオス持ちだ」
「会社のお金の使い方が強い……」
「汚れ仕事全般よりは健全だろ」
「比較対象が怖いです」
「いい反応だ」
そう言って、リンカはレジへ向かった。
コハルはその背中を見送る。
やっぱり格好いい。
そして、やっぱり怖い。
(……暁光の勇者、すごい人だったな)
思ったより普通な感じだと言われた。
でも、コハルからすれば、リンカの方こそ全然普通ではなかった。
悪そうな王子様みたいで。
会社の副社長で。
暁光の勇者で。
汚れ仕事全般を平然と口にする人。
情報量が多すぎる。
「大丈夫?」
レンマが正面から聞いてくる。
「……たぶん」
「たぶんかあ」
「今日、たぶんって言う人多くないですか?」
「便利だからね」
「便利で済ませないでください」
マナトが隣で息を吐いた。
「コハルさん」
「はい」
「今日はこのまま送ります」
「はい」
「寄り道はなしで」
「分かってます」
「コンビニも」
「分かってますってば!」
レンマがまた笑う。
「マナト、俺の仕事取らないでよ」
「まだ出張前なので」
「独占欲?」
「違います」
「即答だ」
「レンマさん」
「はいはい」
そのやり取りを聞きながら、コハルは思った。
ノアに見られた日曜日の光景は、たぶん今日見られてもまた誤解される。
マナト。
レンマ。
リンカ。
普通ではない人たちに囲まれて、自分は普通の顔をしようとしている。
無理がある。
かなり無理がある。
それでも。
(……やっぱり、ワクワクしてる)
昨日と同じ結論が、また胸の奥に落ちる。
怖い。
面倒。
情報量が多い。
普通の日常から遠ざかっている。
それでも、一人で震えているよりはずっといい。
コハルは息を吐き、立ち上がった。
明日から、また面倒が増える。
でも今はとりあえず、目の前のこの二人と一緒に帰ることにした。




