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1-25話:引き返せないと気づくのは、だいたい全部決めたあと

 スマホを耳から離したあとも、マナトはしばらくその場に立ち尽くしていた。


 通話履歴に残った名前を見つめる。


「……何やってるんだ、ほんとに」


 小さく呟く。


 分かっている。

 やっていることは、明らかに過剰だ。


 出張が決まったからといって、ここまで準備する必要があるのかと言われれば、普通はない。


 だが。


(……普通じゃないだろ)


 頭の中で、あっさりと否定が返る。


 月岡コハル。

 帰還者。

 危険な帰還者に狙われている可能性。

 そして、レンマが動いた。


 どれか一つでも十分に厄介なのに、それが全部重なっている。


「……」


 スマホを握り直す。


 躊躇はあった。

 あるに決まっている。


 リンカに頼むということは、ヘリオスを通すということだ。

 線引きを一つ、明確に越えることになる。


 だが。


(もう越えてるだろ)


 今日、不動産屋に行った時点で。

 あの部屋を見た時点で。

 “近くにいたい”と思った時点で。


 とっくに、引き返せないところまで来ている。


 ため息を一つ吐き、通話ボタンを押した。


 数コールのあと、すぐに繋がる。


『お、もう月岡コハルに繋いでくれるんか?』


 軽い声。


 まるで最初から分かっていたかのような言い方だった。


「いえ。その前に、一度打ち合わせしたくて」


『何のだ?』


「仕事を頼みたいんですけど」


 一瞬、向こうが黙る。


 そして次の瞬間。


『へええ』


 面白がるような声。


 嫌な予感しかしない。


「明日、会えませんか?」


『いいよ。でも月曜日だろ。仕事は?』


「半休取ります」


 本当は、取れる状況ではない。

 引き継ぎもある。

 出張前で、やることは山ほどある。


 だが。


(福岡に行くんだ)


 二週間。


(それくらい、許してもらわないと困る)


『わかったよ』


 リンカは、くすっと含み笑いをした。


『楽しみにしとく』


 その一言で、通話は切れた。


「……楽しむなよ」


 誰に向けたでもない文句が、静かな部屋に落ちた。


          ◇


 翌日。


 約束の時間より五分前に着いたはずだった。


 だが。


「お疲れ様です。待たせました?」


「いいや、問題ない。今回のお前はクライアントだからな」


 すでに席についていたリンカは、片手をひらひらと振った。


「……」


 クライアント。


 その言い方に引っかかる。


 だが、否定もできない。


 今回は確かに、その立場でここに来ている。


「まさか、二週間の護衛をウチに依頼するとはな」


「……」


 “ウチ”という言葉に、自然と視線が上がる。


 ヘリオス・サービス。


 リンカ個人ではない。

 組織だ。


 つまりこれは、ただの個人的なお願いではない。


「んじゃ、この二週間やってくれそうな奴を挙げていくよ」


 リンカは指を一本立てた。


「まず、あらかた勇者には声をかけたけど、皆忙しいってさ。やりたくないって」


「……そうですか」


 予想はしていた。


 勇者が護衛。

 二週間拘束。


 割に合わない。


 少なくとも、普通の任務ではない。


「リンカさんは?」


「あたしからは、一日三十万円を提示するよ」


「高っ……」


 思わず声が出た。


 リンカは肩をすくめる。


「当たり前だろ、勇者なんだから。ヘリオスで好きにさせてくれるんなら、無償でいいぞ?」


「それはダメです」


 即答だった。


 それは護衛ではない。

 管理だ。


 最悪、監禁に近い。


 コハルの“普通”を壊すことになる。


「だろうな」


 リンカはあっさり頷いた。


「他にはいないんですか?」


「賢者だな」


 あっけらかんとした様子で言う。


 賢者。


 ヘリオスが定めた、善良で腕の立つ途中帰還者。

 一級から五級までの等級制。

 一級ともなれば、かなりの強者だ。


 だが。


「賢者は……考えてません」


 勇者との差は、歴然だった。


「強い奴もいるぞ? そりゃ、勇者に比べれば劣るのは確かだが」


「それは分かっていますが」


「煮え切らないな」


 リンカはさも分かっていたかのように引いた。

 そして、にやりと薄く笑う。


「勇者なら――レンマが引き受けてもいいらしいぞ」


「……」


 間が空く。


「さっき、引き受けた勇者はいないと……」


「あいつを候補に入れると、お前が嫌な顔すると思ってな」


「……そういうんじゃないです」


「正直じゃないな」


 リンカは楽しそうに笑った。


「一日千円だってさ」


「安っ……」


「仕事として受ける以上、無償というわけにはいかないからな。レンマ曰く――」


 声色を少し変える。


「『マナトも無償だと気を遣うでしょ! 俺個人で動いたらコハルちゃんも気を遣うし、仕事ってことにした方がいいよね!』だってよ」


「……」


 言葉が出ない。


 軽いようで、軽くない。

 ふざけているようで、線は引いている。


(……面倒な人だな)


 だが同時に、それが一番現実的だとも分かる。


「で、どうする?」


 リンカが肘をつき、こちらを見る。


「あたしを三十万円で雇うか、レンマを千円で雇うか」


「差が極端すぎません?」


「極端だな」


「……」


 マナトは視線を落とした。


 木目をぼんやりと眺める。


 答えは出ている。


 だが。


(……本当にそれでいいのか)


 レンマ。


 あの人を、コハルの近くに置く。


『面白がってるうちに本気になるタイプだから』


 昨日の言葉がよぎる。


(……でも)


 だからこそ、あの人が一番いい。


 危険だから排除するのか。

 危険だから、見える場所に置くのか。


(見えない方が、もっと面倒になる)


 結論は固まった。


「レンマさんでお願いします」


「ほう。即決か」


「結論は変わらないので」


「だろうな」


 リンカが笑う。


「いい判断だと思うぞ。少なくとも、悪くはない」


 そして、肩をすくめる。


「契約はこっちでまとめとく。期間は二週間、対象は月岡コハル。護衛兼監視」


「監視は外してください」


「言うと思った」


 即修正。


「護衛のみ。逸脱したら即切り上げ」


「それでお願いします」


「了解。契約書書いてくれ」


 差し出された紙に、マナトは迷わずサインした。


 リンカはそれを受け取り、スマホを操作する。


「ほい、通した」


「早いですね」


「こういうのは早い方がいい」


 顔も上げない。


「……これで最低限は整ったな」


「最低限、ですか」


「当たり前だろ。二週間、何も起きない保証なんてない」


「……」


「だからやれることは全部やる。それが“守る”だろ?」


 正しい。


 正しすぎる。


「……そうですね」


 小さく頷く。


「お前、分かりやすいな」


「何がですか」


「やりすぎるタイプだろ」


「……」


 否定できない。


「まあいい」


 リンカは立ち上がる。


「そのやりすぎが、今回はちょうどいいかもしれないしな」


「……どういう意味ですか」


「そのままだよ」


 意味ありげに笑う。


「じゃ、あとは任せとけ」


「……ありがとうございます」


「クライアント様だからな」


          ◇


 店を出る。


 昼の空気は、昨日より少し重い。


 だが。


(……やれることはやった)


 万全ではない。


 それでも。


(何もしないよりは、マシだ)


 スマホがやけに重い。


 連絡先。

 通話履歴。

 さっきの会話。


 全部が現実だ。


「……あとは」


 視線を上げる。


「戻ってくるだけだな」


 それが、一番難しいと分かっていながら。

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