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1-22話:見つかりたくない時に限って、だいたい向こうから見つけてくる

 不動産屋を出た瞬間、マナトは春の空気を吸い込み、長く息を吐いた。


 紙の資料が入った封筒は思ったより重く、腕にぶら下げているだけで、自分が何をしてきたのかを無言で主張してくる。


 見ただけだ。

 まだ決めたわけじゃない。

 仮押さえもしていない。

 詳細を聞いただけだ。


 そのどれもが事実だったが、それで安心できるほど中身は軽くなかった。


「……何やってんだろ」


 小さく呟く。

 だが、すぐに頭の中のもう一人が返してくる。


(何って、物件見に行ったんだろ?)

「だったら何だよ」

(しかもコハルさんの近く)

「うるさい」

(否定しないんだな)

「……」


 嫌な自問自答。


 駅前の通りは休日らしく人が多かった。

 買い物帰りらしい家族連れ。

 カップル。

 自転車を押す学生。

 誰も他人のことなんか見ていない。


 だからこそ、少し気が抜ける。


 この封筒を持って歩いていても、別に誰にも何も知られない。


 ――知られたくない。


 そう思った瞬間だった。


「よう、マナト」


 聞き覚えのありすぎる声。

 最悪のタイミング。

 予感というか、ほぼ確信に近い。


 マナトは足を止める。

 止めたくなかったが、止まるしかなかった。


 視線を向ける。


 目を引くほど長身の女。

 着崩したスーツ。

 ボーイッシュな髪型に、きりっとした顔立ち。

 強気そうなつり目の美人。

 いかにも面倒そうな笑み。


 暁光の勇者――日高リンカが、片手をポケットに突っ込んだまま立っていた。


「……何してるんですか」


「見りゃ分かるだろ。散歩だよ」


「絶対違うでしょう」


「まあな」


 悪びれもせずに言う。

 いつものことだった。


 休日の駅前にいるのに、この人のいる一角だけ空気が違って見える。

 体格のせいでも、勇者としての実績のせいでも、多分その両方でもある。


 雑そうに見えて、雑ではない。

 笑っていても、全然油断できない。

 そういう人間だ。


「ちょっと顔貸せよ」


「嫌です」


 即答した。


 リンカは一瞬だけ目を丸くし、それからおかしそうに笑う。


「おいおい、断っても無駄だって学習しろよなあ? 副社長様直々に会いに来てやったんだよ」


 意地悪そうな顔で、静かに歯を見せる。


 リンカは株式会社ヘリオス・サービスの副社長だ。

 犯罪を犯した帰還者に賞金をかけ、善良な帰還者へ討伐と回収を回している側の人間。


 とはいえ、マナトはその部下ではない。

 登録型の人材派遣みたいな距離感で、たまに賞金首を捕まえて引き渡す程度の関係だ。


 勇者同士の濃すぎるごたごたに深く首を突っ込む気は、本来なかった。


「頼んでません」


「可愛くねえなあ」


 そう言った直後、ぐいっと肩を組まれる。


「……」


 近い。

 普通に近い。

 顔も近い。

 身長差があまりないせいで逃げにくいのが、余計に腹立たしい。


「やめてください」


 呆れて言うが、リンカは意に介さなかった。


「コーヒー一杯くらい、いいだろ?」


「嫌です」


「じゃないと……そうだな――」


「わかりましたよ」


 嫌な予感がしたので、そこで遮った。


 この人は思いつきで面倒なことを言うし、思いついたことをわりと本当にやる。

 断り続けるメリットが薄い。


「最初からそう言えよ」


「脅したからでしょう」


「人聞き悪いな。交渉だって」


「だいぶ一方的でしたけど」


 言いながらも、マナトは諦めて駅前の喫茶店へ入った。


          ◇


 昼下がりの店内はほどよく混んでいて、コーヒーの匂いがして、妙に落ち着くようで落ち着かない。


 二人席に向かい合って座る。

 リンカはメニューをろくに見ずにアイスコーヒーを頼み、マナトも同じものを頼んだ。


「で、何の用事ですか」


 水が来たタイミングで、マナトはさっさと本題に入った。

 リンカはストローの袋を雑にいじりながら、こちらを見る。


「レンマのことで聞きたくて」


「はあ」


「全然今まで動かなかったあいつが、今朝仕事を引き受けたいと言い出してさ」


「……」


「何か知ってるか?」


 マナトは一瞬だけ黙った。


 知っている。

 少なくとも、心当たりはある。


 昨日、あの男が妙に機嫌よく現れて、やけに気軽な顔で賞金首の話をして、自然にコハルへ近づいていたことを思い出す。


 だが、それを素直にここで言うのも違う気がした。


「……いや、知らないですね」


 答えると、リンカはすぐに眉を上げた。


「嘘下手かよ。なんか知ってるな」


「知らないです」


「ふうん、ばっくれるんか」


「……別に」


 そこで店員がアイスコーヒーを運んできた。


 逃げ場ができた気がして、マナトはすぐにグラスへ手を伸ばす。

 だが、その数秒後、リンカは何でもない声で言った。


「勇者の新入り――月岡コハルが原因か?」


「っ――」


 盛大にむせた。


 喉に入った。

 普通に痛い。

 咳き込みながらテーブルに肘をつき、どうにか呼吸を整える。


「……何でその名前が出てくるんですか」


「図星っぽい反応だったから」


 リンカはストローをくるくる回しながら、笑った。


「あいつさ。今朝になって急に、賞金首の案件に興味持ち始めたんだよ。しかも珍しく自分から連絡してきた」


「……」


「レンマって、面白そうなら首突っ込むけど、面白くないことには本当に動かねえだろ」


「そうですね」


「だから分かりやすいんだよ。何か見つけたんだろうなって」


 窓の外をちらっと見てから、リンカは続ける。


「で、最近の案件で“面白くなりそうな火種”って言ったら、まああれだろ」


 あれ。

 その言い方で十分すぎた。


 月岡コハル。

 帰還者。

 不安定なスキル。

 賞金首に狙われた件。

 全部まとめて、今の組織にとっては“案件”の一言で片付く。


 実に三年ぶりの勇者の誕生。


 その雑さに、マナトは眉をひそめた。


 リンカはそれを見逃さなかった。


「お、怖い顔」


「別に」


「いや、今ちょっと怒っただろ」


「怒ってません」


「へえ」


 返事が軽い。

 軽いのに、こっちの反応はちゃんと拾っている。


 やりにくい。


 現場の連中からすると、この人はいるだけで空気が変わるタイプでもある。

 雑そうに見えて、必要なところは全部見ているからだ。


「あいつ、新入りに接触したんだろ」


「……」


「した顔だな」


「顔で判定しないでください」


「じゃあ口で言えよ」


「言いません」


「強情だなあ」


 リンカは笑ったままアイスコーヒーを一口飲んだ。

 その表情からは、どこまで本気なのか読めない。

 だが、話題を振って遊んでいるだけではないことは分かる。


「まあいいや。別に詰問したいわけじゃない」


「じゃあ何ですか」


「確認だよ。レンマが本腰入れそうな案件なら、こっちも整理しとかないと面倒だろ」


 その言い方は、かなりリンカらしかった。


 情緒ではなく実務。

 好奇心で動く人間のくせに、最終的にはちゃんと仕事へ落とし込む。

 だから厄介だ。


「……整理って」


「監視の線引きとか、接触の頻度とか、保護対象にするかどうかとか、その辺」


「保護対象」


「月岡コハルがただの巻き込まれで終わらないならな」


 マナトはグラスに残った氷を見た。


 ただの巻き込まれ。

 終わらない。


 その二語が、嫌に重く耳に残る。


「まだ決まったわけじゃない」と言おうとして、言葉が止まる。


 昨日のあれを見て、その台詞はあまりにも弱かった。


 リンカがこちらをじっと見る。


「で、お前はどうなんだよ」


「……何がですか」


「ルナから頼まれたんだろ? それ以外の私情も混ざってんのかって話」


 真正面から来た。


 マナトは無言でリンカを見る。


 この人は本当に遠慮がない。

 そこだけ切り取れば最悪だが、回りくどく探られるよりはまだましな時もある。


「黙るってことは、混ざってるんだな」


「……リンカさんって、もう少し言い方とかないんですか」


「あるけど、面倒だから使ってない」


 リンカの目は少し真面目になっていた。


「別に責めてねえよ」


「……」


「現場で入れ込みすぎると事故る。だから聞いてるだけだ」


 その声音は、さっきまでより低かった。


 マナトは視線を逸らす。


 入れ込みすぎると事故る。

 それは正しい。

 守るつもりが判断を誤ることもある。

 個人的な感情が混ざると、見落とすものもある。


 分かっている。

 分かっているのに、今日、不動産屋へ行った。


「……自覚はあります」


 ようやくそう言うと、リンカは肩をすくめた。


「ならいい」


「よくないでしょう」


「よくないけど、自覚ないやつより百倍まし」


 それはそうかもしれなかった。


「で、レンマは」


 マナトが切り出すと、リンカは顎を引いた。


「あいつは自由に見えて、わりと勘がいい。気に入った相手には深入りするし、興味本位のまま放っておくような性格でもない」


「知ってます」


「だろうな」


 リンカはストローの先でグラスの氷をつつく。


「だからお前に一応言っとく。あいつが新入りちゃんに寄るなら、たぶん遊び半分だけじゃ終わらねえ」


「……」


「面白がってるうちに本気になるタイプだから」


 嫌な言い方だった。

 いや、正確には嫌ではない。

 腑に落ちるから嫌だった。


 レンマの軽さ。

 軽いのに、妙に核心へ触れてくる感じ。

 笑っているくせに、引く時と踏み込む時の判断が速いところ。


 思い出すと、確かにそういう男だ。


「何でそれを俺に」


「お前、分かりやすいから」


「……」


「今のうちに覚悟決めとけってこと」


「何のですか」


「何のだと思う?」


 リンカはそこで意地悪く笑った。


 マナトは答えなかった。

 答えたくなかったし、答えるとろくでもないことになりそうだった。


 数秒、沈黙が落ちる。


 店内には食器の音と、低い話し声が混ざっていた。

 窓の外は相変わらず明るい。

 なのに、目の前の話だけ日陰みたいだった。


「……コハルさんは」


 自分でも驚くくらい自然に、その名前が口から出た。


 リンカが目だけで続きを促す。


「普通の生活に戻りたいんです」


「……そりゃそうか」


「だから、あんまり……勇者の都合で振り回さないでください」


 言ってから、遅れて、自分が何を言ったのかが分かった。


 リンカは一瞬黙り、それから笑った。


「お前、思ったより重いな」


「うるさいです」


「いや、褒めてる」


「それも違います」


 だがリンカは気にせず、表情を緩めた。


「安心しろよ。いきなり回収する気はねえ」


「回収って言い方やめてください」


「じゃあ保護」


「それも雑です」


「注文多いなあ」


 そう言いながらも、リンカの口調はさっきより柔らかかった。


「でもまあ、分かった。少なくともお前がその温度なら、完全放置も危ねえし、過剰接触も逆効果だ」


「……」


「しばらくは様子見る。レンマにも釘は刺しとく。多分あいつは、あの事件を思い出して動いてるはずだから」


「………」


「お前は当時を知らないだろうけど、本当に嫌な事件だったんだよ」


 それは少しだけ想像できた。

 とても残酷だったと聞いたから。


「あと」


 リンカはそこで、ふっとマナトの手元を見た。


「その封筒、不動産?」


「……違います」


「へえ」


「見れば分かるくせに聞かないでください」


「引っ越すのか? 新入りの家の近くに」


「……」


「図星か」


「最悪ですね、本当に」


「今日それ何回目?」


 リンカは面白そうに笑い、立ち上がった。


「まあいいや。今日はその顔見られただけでも収穫だわ」


「ろくでもない収穫ですね」


「お互い様だろ」


 会計伝票をひょいと取る。

 マナトが止める前に、リンカはレジへ向かっていた。


「……自分で払います」


「いいって。副社長様だからな」


「そういうところだけ使いますよね」


「使える肩書は使うもんだろ」


 そのまま雑に手を振って、リンカは店を出ていく。


 嵐みたいな人だ、とマナトは本気で思った。


          ◇


 少し遅れて店を出る。


 外の空気はまだ明るく、春の匂いがした。

 封筒を持ち直す。


 コハルの近くに住みたいと思った。

 もう、それをただの善意だと言い切るのは苦しい。

 レンマが動き出した。

 組織も、彼女を見始めている。


 急に全部が現実味を帯びた気がした。


「……面倒だな」


 小さく呟く。


 だが、その言葉の中には、自分の感情だけではなくなった重さが混ざっていた。


 その時、数歩先を歩いていたリンカが、振り返りもせずに言った。


「あ、あたしもそろそろ本人に挨拶に行くよ。繋いでくれるよな?」


「………」


 本気で断りたかった。


 だが、ここで真正面から拒否しても余計に面倒になるのは分かりきっている。


 マナトは数秒黙ったあと、ぎこちなく頷くしかなかった。


 守りたい。

 近くにいたい。

 できれば、勇者の都合であの人の生活を壊したくない。


 その三つを抱えたまま、マナトは歩き出す。


 春の午後はまだ明るい。

 けれど胸の内側には、物件資料なんかよりずっと厄介な現実が、またひとつ増えていた。

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