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1-18話:重い話をした直後ほど、だいたい帰り道の空気だけ妙に日常ぶってくる

 しばらく、三人とも黙っていた。

 公園の向こうでは、小さな子どもがきゃあきゃあと走り回っている。

 犬を散歩させている人もいる。

 ベンチの横では、春の風に揺れた葉が、さわさわと頼りなく鳴っていた。

 世界は、さっきと何も変わっていない。

 変わっていないのに、コハルの中だけが、別の場所に立ってしまった気がした。


(……血とか肉とか、そんな物騒な単語、日曜の公園で聞くと思わないじゃん……)


 思わず遠い目になる。

 だが、現実逃避したところで事態は何も軽くならない。


「……あの」


 コハルが、おそるおそる口を開いた。


「ひとつ確認してもいいですか」


「うん?」


 レンマが首を傾げる。


「何ですか」


 マナトも静かに聞き返した。


「私、今後ずっと“食べられるかもしれない人”として生きるんですか?」


 自分で言って、ぞっとした。

 レンマが少しだけ眉を下げる。


「言い方が最悪だけど、まあ方向性としてはそんな感じ」


「最悪!!」


「でも、常に誰かに狙われるってほどじゃないよ」


 レンマは肩をすくめた。


「勇者の血肉で魔力が増えるって言っても、実際にそれをやろうとするやつは限られるし」


「限られるんですね……」


「うん。だいたいろくでもないやつ」


「安心材料が一個もない」


 コハルが本気で顔をしかめると、隣でマナトが淡々と補足した。


「普通の帰還者は、そこまでしません」


「普通って何ですか?」


「比較的まともな帰還者です」


「その“比較的”が怖いんですけど」


「それはそうです」


 認めるんだ、と思った。

 レンマがくすっと笑う。


「でも、コハルちゃんが思ってるほど、全員が全員、飢えた獣みたいな感じじゃないよ」


「それはまあ……そうであってほしいですけど」


「ただ、勇者は少ないからね」


「……」


「珍しいものには、変なのも寄ってくる」


 さらっと言われたその一言が、妙に刺さった。

 珍しい。

 普通じゃない。

 少ない。

 目立つ。

 狙われる。

 なんだか、自分の人生の方向性が、急に治安の悪いレアカードみたいになってきた。


「……あの」


 コハルは真顔で言った。


「返品ってできませんか」


「何を?」


「勇者の称号です」


「無理だと思う」


「ですよね」


「思ったより諦めが早いですね」


 マナトが言う。


「だって無理そうじゃないですか!」


「無理ですね」


「そこは優しく嘘ついてくれてもいいんですよ!?」


 思わず半泣きで訴えると、レンマが吹き出し、マナトもさすがに目元を和らげた。

 なんだろう。

 怖い話をしているはずなのに、ずっと怖いままではいられないこの感じ。

 それがこの二人のせいなのか、自分の性格のせいなのかは、よく分からない。


「でもまあ」


 レンマが、ベンチの背に軽く腕を乗せながら言った。


「対策がないわけじゃないよ」


「対策?」


 コハルが食いつく。


「気配の消し方を覚える」


「はい」


「一人でふらふらしない」


「はい」


「やばそうな時はちゃんと連絡する」


「はい」


「あと、血を流さない」


「最後だけ急に難易度高くないですか!?」


「いや、大事だから」


「分かりますけど!」


 マナトが横から静かに言った。


「怪我をしたら、できるだけ早く処置してください」


「え」


「血の匂いで勘付かれる可能性があります」


「……うわあ」


「現実的でしょ」


 レンマが言う。


「現実的すぎて嫌なんですよ!」


 コハルは、自分の腕を抱きしめるようにさすった。

 今さら寒いわけでもないのに、肌の上を嫌な感覚がうっすら這っていく。

 すると、マナトが声を落とした。


「ただ、過剰に怯える必要もないです」


「……」


「怖がるべきものではあります。でも、怯え続けると判断が鈍るので」


「それは」


 コハルは小さく息を吐く。


「もうちょっと優しい言い方とかないんですか!?」


「本当のことを言っています」


「知ってるんですよ……」


 知っている。

 だから困る。

 この人は本当に、変な慰め方をしない。

 でも、その代わりに、変なごまかしもしないのだ。

 レンマが横からひょいと覗き込んだ。


「コハルちゃん、今けっこういっぱいいっぱい?」


「かなり」


「正直でよろしい」


「取り繕う余裕もないんですよ」


「そっか」


 そこでレンマは、珍しく考えるような顔をした。

 いつもの軽い笑顔ではなく、ほんの少しだけ静かな顔だった。


「……じゃあ、今はこれだけ覚えとけばいいよ」


「これだけ?」


「うん」


 レンマは、ひどくあっさりした口調で言った。


「狙われる可能性はある。だから一人で無茶しない。あとは、自分のスキルを理解して、使えるようにしておくこと」


「……」


「それだけ」


 それだけ、と言うには重い。

 けれど同時に、それ以上を今の自分が抱えきれないことも、コハルには分かっていた。


「……はい」


 小さく頷くと、今度はマナトが言った。


「守ります」


「え」


 あまりにも自然に言われて、コハルは思わず隣を見た。

 マナトは、いつもの真顔だった。

 真顔のまま、とんでもないことを言った自覚がまるでない顔だった。


「一人で無茶しないように、俺が見ます」

「いやいやいや」


 コハルは慌てた。


「その言い方だと何か、二十四時間監視みたいになりません?」

 

「しません」


「本当に?」


「仕事中は難しいです」


「そこを具体的に詰めないでください!」


 レンマがけらけら笑う。


「マナト、それちょっと怖いよ」


「必要なことを言っているだけです」


「本人が引いてる」


「引いてません!」


 反射で否定してから、コハルは一瞬止まった。


「……いや、少し引いてるかも」


「ほら」


「でも」


 コハルは、もごもごと言葉を探す。


「全然嫌ってわけでもなくて……」


「へえ」


 レンマが面白そうに目を細める。


「それ、今ここで言う?」


「わ、違っ、そういう意味じゃなくて!」


「どういう意味?」


「何で詰めるんですか!?」


「反応がいいから」


「最悪だこの人!」


 勢いよく言い返したところで、横から小さくため息が落ちた。


「……レンマさん」


「はいはい」


 だがレンマは、まったく懲りた様子がない。

 むしろ楽しそうですらある。

 本当にこの人、普段はドライなんだろうか。

 だいぶ疑わしい。


「でもまあ」


 レンマが立ち上がる。


「今日はこのへんで解散がいいかもね」


「え?」


「コハルちゃん、そろそろ頭いっぱいでしょ」


「……」


「顔に書いてあるよ。“処理落ち中”って」


「何でそんな分かるんですか……」


「分かりやすいから」


「みんなしてそれ言う……」


 マナトも立ち上がった。


「送ります」


「いや、あの」


「送ります」


「強い」


「強いねえ」


 レンマが笑う。

 コハルは二人を見上げて、それから、ふっと力なく笑った。


「……じゃあ、お願いします」


「はい」


 マナトが短く答える。

 その横で、レンマがひらりと手を振った。


「じゃ、俺はここで」


「えっ、帰るんですか?」


「うん。頼まれごとしててさ」


「討伐依頼とかですか?」


「異世界帰りらしい考え方だね」


「確かに……」


「まあ、似たようなもんだよ」


「は、はい……」


「今日は楽しかったよ」


 レンマはそう言って笑った。

 その笑顔は軽い。

 軽いのに、雑じゃない。

 だからコハルは言葉に詰まった。


「……今日は、ありがとうございました」


「うん」


「昨日助けてもらって、今日もご飯まで……」


「いいよいいよ」


 レンマはあっさり言う。


「また何かあったら、呼んで。あっ、そうだ」


 レンマは自分のスマホを操作し、画面をずいっと見せてきた。

 そこにはQRコードが映し出されている。


「俺の連絡先。登録して」


「えっ」


「マナトが駆けつけられない時もあるでしょ?」


「……」


 コハルは、恐る恐るマナトを見る。

 なんとも言えない微妙な表情をしていたが、連絡先交換を止めることはなかった。


「不要な連絡はしないでくださいね」


 マナトが釘を刺す。


「え、なんで? それは別に構わないでしょ」


「レンマさんといると、コハルさんが疲れます」


「そんなことないでしょ!」


 そのやり取りに、コハルが思わず笑う。

 すると、レンマも、マナトも、表情を緩めた。

 春の風が吹く。

 公園の木々が揺れる。

 日曜の午後は相変わらず平和で、でも自分の世界だけが少しずつ変わっていく。


「じゃあね、コハルちゃん」


 レンマが手を振る。

「今度はもうちょい平和な時に会おう」


「ぜひそうしてください」


「暇電してもいいよ」


「しませんよ!」


「はーい」


 最後まで軽い。

 でも、その軽さに救われている自分がいるのを、コハルはもう否定できなかった。

 レンマの背中が、公園の出口の方へ遠ざかっていく。

 その姿を見送りながら、コハルはぽつりと呟いた。


「……ほんと、何なんだろう、あの人」


「変な人です」


 マナトが即答した。


「即答」


「でも強いです」


「それは知ってます」


「あと、今日はかなり機嫌が良さそうでしたね」


「えっ」


「誘ってくるのは珍しいので」


「そうなんですか……」


 コハルは目を丸くした。

 珍しい。

 それはつまり、今日のこの騒がしさも、軽さも、距離感も、わりと特別寄りだったということだ。


「……」


「帰れますか?」


 マナトの声で、我に返る。


「はい」


「無理そうなら肩を貸します」


「そこまでは大丈夫です!」


「そうですか」


「ちょっと残念そうにしないでください」


「してません」


「今ちょっとしましたよね!?」


「気のせいです」


「その返し、今日何回目なんですか」


 言いながら立ち上がると、横腹が少しだけずきりとした。

 だが、さっきまでの不安の重さに比べれば、ずいぶんましだった。

 危ない立場だということは変わらない。

 面倒な世界の裏側に足を踏み入れてしまったのも変わらない。

 でも、そのことを知ったうえで、それでも隣にいてくれる人がいる。

 それは思っていたより大きかった。


「マナトさん」


「はい」


「……今日は、ちゃんと最後まで送ってくださいね」


「最初からそのつもりです」


「ですよね」


 コハルは苦笑した。

 日曜は静かに休みたかった。

 その願いは、たぶんもうしばらく叶わない。

 でも――。

 隣を歩き出したマナトの気配が、思ったよりずっと心強いことだけは、もうごまかしようがなかった。

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