1-16話:静かに休みたい日曜日ほど、なぜか来客が渋滞する
翌朝。
コハルは、日曜だというのにあまり爽やかではない目覚めを迎えた。
「痛……」
起き上がった瞬間、横腹がじわっと主張してくる。
昨日よりはマシだ。
だが、マシなだけで、痛いものは痛い。
ベッドの上でしばらく固まり、それからのそのそと起き出す。
カーテンを開けると、春らしいやわらかな日差しが部屋に流れ込んだ。
「……平和だ」
思わず呟く。
昨日の夜は、平和という単語から最も遠い場所にいた気がする。
帰還者に襲われて、見えない斬撃で助けられて、プリンを渡して喜ばれて、マナトに怒られた。
「情報量が多すぎるんだよなあ……」
ぼやきながら顔を洗う。
鏡の中の自分は少し疲れていた。
けれど、生きている。
そこは素直にありがたかった。
朝ごはんをどうするか考えながら冷蔵庫を開ける。
昨日食べずに残したおにぎりが一個、ぽつんと鎮座していた。
それ以外は、昨日とほとんど変わっていない。
「そりゃそうだよね……」
スーパーに買い出しに行ったわけでもないのだから、当然である。
「……買い物、行きたくない」
昨日あれだけ怒られたのだ。
行くわけがない。
最悪、出前を取ればいい。
今日は一日おとなしく家で過ごす。
そう決めた。
決めたのだ。
ぴろん。
「うわ」
スマホを見る。
マナトからだった。
『起きてますか』
短い。
短いのに、妙に緊張感がある。
『起きてます』
返信すると、すぐに既読がついた。
『痛みは』
『昨日よりはマシです』
『外出禁止です』
「命令文だ……」
思わず声に出る。
さらに続けてメッセージが来た。
『食べるものありますか? なければ持っていきます』
「えっ」
コハルは目を丸くした。
(来るの? いやでも、この流れだとそうなる……?)
悩んだ末、正直に返す。
『出前取ります』
しかし返ってきたのは、さらに強い文だった。
『不要です。昼前に俺が行きます』
「決定事項だった」
異論を挟む隙がない。
いや、昨日のことを思えば断る理由もあまりないのだが、問題はそこではない。
(部屋……うわ、下着干してた!)
コハルは慌てて洗濯物を取り込んだ。
「怒られた翌日に顔合わせるの、気まずい……」
自分でもよく分からない。
ただ、心臓の奥がきゅっと狭くなった気がした。
◇
そして、昼前。
ぴんぽーん。
「うっ」
思ったより早い。
コハルは深呼吸してから玄関へ向かった。
ドアを開けた瞬間、そこに立っていたのは――やはりマナトだった。
さすがに今日は、いつもの見慣れた紺色の作業着ではなく、黒いシャツを着ている。
「こんにちは」
「こんにちは……」
マナトは片手にスーパーの袋を持ち、もう片方にはドラッグストアの袋まで提げていた。
コハルが目を丸くする。
「え、それ何ですか」
「おかゆとゼリーと消毒液と絆創膏です」
「準備が本気すぎる」
マナトはさらりと言う。
「昨日の今日なんで」
「……すみません」
「謝る前に、入っていいですか」
「あ、はい」
コハルが慌てて身を引くと、マナトはきちんと靴を揃えて部屋に入った。
「お邪魔しますね」
そういうところが、妙にちゃんとしている。
コハルは変なところで感心してしまった。
「好きなところに座っててください」
マナトはソファに腰を下ろすと、テーブルに袋を置いて中身を取り出し始めた。
「プリンもあります」
「何で!?」
「食べやすいので」
「昨日の今日でプリン率が高いな……」
その呟きに、マナトの手がぴたりと止まる。
「昨日も食べたんですか」
「えっ」
しまった、と思った時には遅かった。
「いえ、その。あげたから、食べてなくて」
「レンマさんにあげたんですか?」
「……はい。助けてもらったので」
マナトは一瞬だけ黙った。
ほんの少しだけ、おもしろくなさそうな顔をした気がした。
(何その顔)
コハルが不思議に思った、その時だった。
ぴんぽーん。
「…………」
「…………」
二人同時に動きが止まる。
「え」
「誰ですか」
それをコハルが知りたい。
恐る恐る玄関へ向かい、ドアスコープを覗いた瞬間、コハルは本気で固まった。
「……何で?」
背後からマナトの声が飛ぶ。
「誰でした?」
「レンマさんです」
「は?」
昨日も聞いた気がする声がした。
コハルがドアを開けると、そこにいたのは、やはり木崎レンマだった。
片手に紙袋。
爽やかな顔。
日曜の住宅街に似合わない軽さ。
「やっほー、コハルちゃん」
「ど、どうしたんですか!?」
「心配で結局、会いに来ちゃった」
「ええ!?」
「ちゃんと女の子に戻れたみたいで良かったね」
軽い。
言っていることは重めなのに、口調が軽い。
玄関先でそんなやり取りをしていると、マナトが立ち上がってこちらへやってきた。
「何でレンマさんが来るんですか?」
「いや、実はコハルちゃんと昨日知り合ったんだよね」
「それは知ってます」
マナトの声が低い。
「女性の家に急に押しかけるのは迷惑ですよ」
「え?」
レンマはきょとんとして、それからマナトを見た。
「マナトも同じじゃないの、それ」
「……俺は世話役だからいいんですよ」
「ふうん」
「何ですか」
「いや別に」
まったく別によくない空気だった。
だが、レンマはそんな空気をものともせず、さらっと言った。
「まあいいや。飯でも行こうよ。俺、ハンバーグ食べたい」
「え!? 急に!?」
話が飛んだ。
コハルが思わず声を上げると、レンマは紙袋を軽く持ち上げた。
「差し入れ持ってきたし」
「差し入れで全部許される流れじゃないんですよ」
コハルが言うより先に、マナトが一歩前に出る。
「あと、昨日のやつ」
レンマはマナトを気にした様子もなく続けた。
「コハルちゃんを襲ったあいつ、送ったあとに探しに戻ったんだよね。そしたら二等級賞金首だった」
「え!?」
それには、さすがのマナトも目を見開いた。
レンマはあっさりと言う。
「捕まえたから報酬出るんだよね〜」
「二等級って……かなりもらえたんじゃないっすか?」
「うん。だから、好きなの食っていいよ」
にこにこと笑うレンマ。
規模が急に大きい。
マナトはじっとレンマを見る。
だが、レンマはまったく気にした様子がない。
「……コハルさんが行くなら、行きます」
「えぇ!? 私次第!?」
二人同時にこちらを見るのはやめてほしい。
その視線の圧で小市民の休日を決めないでほしい。
コハルはたじろぎながら言った。
「いやでも、私まだ横腹ちょっと痛くて……」
「歩けないほどですか?」
と、マナト。
「そこまででは……」
「じゃあ軽く飯だけ」
と、レンマ。
「あ、マナトはどっちでもいいよ。俺はコハルちゃん誘ってるから」
「世話役だから行きます」
「責任感強くない!?」
マナトは一瞬だけ黙り、少しだけ視線を逸らした。
「痛みが強くなったら、すぐ帰ります」
「え、私の意思より進行が早い」
レンマがにっこり笑う。
「決まりね」
「決まってないですって!」
それでも、二人の顔を見比べて、コハルは観念した。
正直、一人で部屋にいても昨日のことを思い出して、ぐるぐるしていただろう。
それなら、少し外の空気を吸うのも悪くない……かもしれない。
「……本当に、近場ですよ」
「うん」
「無理そうなら、すぐ帰りますよ」
「はい」
「あと静かに食べたいです」
「それは無理かも」
「何で!?」
レンマが笑い、マナトが小さくため息をついた。
◇
近所のファミレスは、日曜の昼らしくそこそこ混んでいた。
店内は家族連れの声でにぎやかで、三人でいると逆に紛れやすい。
案内された四人席の前で、レンマが当然のように言った。
「俺、コハルちゃんの隣座りたい」
「ダメです」
即答したのはコハルではなく、マナトだった。
次の瞬間、マナトが当然のようにコハルの隣の席に座る。
「え」
「何でマナトさんが!?」
「レンマさんは世話役じゃないので」
「理屈がおかしい!」
レンマは向かいの席に座りながら、少しだけ唇を尖らせた。
「じゃあ、正面からコハルちゃん眺めよ」
「何でですか!!?」
「面白いから」
「私を何だと思ってるんですか」
「男の子になれる子」
「その認識から離れてください!」
ちょうどそのタイミングで店員が水を置きに来て、三人とも一瞬だけ静かになった。
それが余計に恥ずかしい。
◇
席についてメニューを開くと、マナトが横から聞いてきた。
「コハルさん、何にします」
「え、いや、自分で見ます」
「じゃあ俺これ」
レンマが即決する。
「チーズハンバーグ二倍」
「早っ」
「昨日稼いだから」
「賞金の使い方が豪快だなあ……」
結局、コハルはおろしハンバーグ、マナトは和風ハンバーグになった。
全員ハンバーグである。
「仲いいね」
と、レンマ。
「違います」
「違います」
また被った。
レンマが声を立てずに笑う。
こっちは笑いごとではない。
レンマが水を飲みながら言う。
「そういえば、昨日ちゃんと怒られた?」
「何で知ってるんですか」
「マナトだし」
「雑な理解なのに妙に合ってる……」
マナトは表情を変えないまま言った。
「怒りました」
「へえ」
「当然です」
「過保護だねえ」
「普通です」
「普通かなあ」
二人の会話の温度差がすごい。
コハルはいたたまれなくなって口を挟む。
「その話、ここでしなくてよくないですか!?」
「だって気になるし」
「気にしないでください!」
「無理だよ。昨日あんな面白い出会い方して」
「面白くはなかったです! 命の危機でしたからね!?」
「結果、俺と知り合えたし」
「ポジティブが強い!」
対して、マナトはレンマを見たまま低く言う。
「知り合えた、で済ませないでください」
「お」
「危険だったんです」
「分かってるよ」
レンマの声が少しだけ落ちた。
軽いままではあるが、ふざけてはいない声だった。
「だから送ったし」
「……」
「様子見に来た」
コハルは目を瞬いた。
その一言は、ちょっとだけ予想外だった。
だが、レンマはすぐにいつもの調子へ戻る。
「あと、ハンバーグ食べたかった」
「絶対そっちが本音ですよね!?」
「さあどうかな?」
「何で濁すんだろ……」
そこへ、ジュウジュウと音を立てながらハンバーグが運ばれてきた。
湯気とソースの匂いが立ち上る。
さすがに食欲を刺激される。
「……おいしそう」
思わず呟くと、隣のマナトがちらりとこちらを見た。
「食べられそうですか」
「はい、それはもう全然」
「元気ですね」
「ハンバーグの前だと人は強くなるので」
「そんな理論あります?」
「今できました」
向かいでレンマが吹き出す。
「コハルちゃん、やっぱ面白いなあ」
「褒めてるなら、もうちょっと別の言い方があると思うんですけど」
「じゃあ、かわいい?」
「今それはダメです!!」
「何で?」
「何ででもです!」
隣で、マナトが無言のままナイフを置いた音が、やけに静かに響いた。
「……レンマさん」
「ん?」
「その辺にしてください」
「どの辺?」
「分かってて聞いてますよね」
「どうだろ」
レンマはにこにこしている。
マナトは真顔である。
挟まれているコハルの胃だけが先に死にそうだった。
(何これ。ハンバーグ食べに来ただけなのに……何でこんなに落ち着かないの)
だが、口に入れたハンバーグは普通においしかった。
「……おいしい」
「でしょ? おいしいものたくさん食べて、早く元気になってね」
そう言って、レンマは優しく微笑んだ。
その顔には、昨日敵に向けていた冷たさが微塵もない。
なんだか心が和らぐような笑顔だった。
コハルも気づけば、自然と笑っていた。
昨日の夜には想像もしていなかった日曜日だ。
静かではまったくない。
全然ない。
でも、思ったより悪くもなかった。
少なくとも今は、横腹の痛みよりも、向かいから飛んでくる軽口と、隣から漂ってくる無言の圧のほうが、よほど心臓に悪かった。




