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マル印

ギルドの小部屋は、夜明け前だというのに妙な熱を帯びていた。

机の上には、港で回収された燃えかけの書類が広げられている。紙の端は黒く縮れ、ところどころ穴が空いていたが、名前らしき文字列と、その横に付けられた印だけは、いくつか読み取ることができた。

×。

●。

空欄。

そして、焼け焦げて判別できない印。

レン、テオ、ソフィア、ミナ、シオンが、その紙を囲んでいた。カリスは港と黄金の街灯側の後処理に回っている。セリーナもこの場にはいない。おかげで、部屋の空気はぎりぎり人間が呼吸できる程度には保たれていた。

「まず、読める名前から確認します」

ミナの声は、いつもの明るい受付嬢のものではなかった。表情は落ち着いている。だが、机に置かれた指先に、少しだけ力が入っている。

シオンが横から紙を覗き込む。

「……これ、消えたやつだ」

その一言で、部屋の温度が下がった気がした。

「分かるのか?」

レンが聞くと、シオンは頷いた。

「全部じゃない。でも、この名前と、この名前。最近、姿を消した冒険者だよ。こっちは港の荷運び。こっちは灰樽亭に通ってたやつ」

ミナも手元の記録を開き、名前を追っていく。

「この方は、依頼後に未帰還扱いになっています。こちらの方は、二週間前からギルドへ来ていません。こちらは……」

そこで言葉が止まった。

ソフィアが息を呑む。

「じゃあ、バツ印は……」

「消えたやつだと思う」

シオンが低く言った。

レンは燃えた紙を見下ろした。

名前を選び、印を付ける。誰かが、消える者を管理していた。

「偶然じゃないな」

「ええ」

ソフィアが小さく頷く。

「人がやってる」

続いて、ミナは●印のついた名前を確認し始めた。こちらは、×印とは違う。まだザヴィルにいる者たちの名前が多かった。FランクからEランク。Dランク手前の冒険者。成長の早い若手。最近、酒場に出入りするようになった者。

そして、ミナの指が止まった。

「……ニコさん」

レンは顔を上げた。

「訓練場で会ったやつか」

「はい。レンさんと模擬戦をした方です」

ミナは記録を確認しながら頷く。

「最近、疲れが抜けないと言っていました。でも、毎日違う冒険者と立ち合っていましたし、訓練のしすぎだと思っていました」

「バツが消えたやつなら、丸は次の候補ってことか」

テオの声には、隠しきれない怒りが混じっていた。

シオンは否定しなかった。

「まだ断定はできない。でも、そう考えるのが自然だね」

部屋が重く沈む。

ミナはすぐに別紙を取り出し、●印の名前を書き写し始めた。

「全員、確認します。ただ、騒ぎにしすぎると相手に伝わります。依頼調整、担当面談、装備確認。自然な理由で呼び出します」

「受付って、そういうことまでやるのね」

ソフィアが呟くと、ミナは少しだけ笑った。

「こういう時のために、普段から顔を覚えているんです」

その笑顔は一瞬だけで、すぐに消えた。

次に、シオンが焦げた紙の別の部分を指差した。

「……これ、小鹿の誰かじゃないか?」

ミナの手が止まる。

「緑影の小鹿……」

レンはその名を聞き、以前シオンから聞いた話を思い出した。成長が早かったEランクチーム。依頼に真面目で、酒場通いが多くて、金遣いは荒い。だが、消える理由があるような連中ではなかった。

ミナは静かに言った。

「あの子たちは、私の担当でした。無茶はしました。でも、勝手に消える子たちではありません」

シオンが珍しく茶化さずに続ける。

「あいつら、少し格好つけててさ。Eランクなのに、胸元に小さい鹿の刺繍なんか入れてたんだよ。いっぱしのチームみたいに」

「鹿の刺繍……」

ソフィアが小さく繰り返す。

その時、小部屋の扉が叩かれた。

誰も返事をする前に、扉が開く。

入ってきたのは、セリーナだった。

部屋の空気が一瞬で引き締まる。ミナは背筋を伸ばし、シオンは明らかに目を逸らした。テオとソフィアも自然と姿勢を正す。

レンだけが少し疲れた顔で聞いた。

「港は?」

「カリスに任せました。こちらの方が早そうでしたので」

セリーナは机の上の名簿に一瞥をくれ、それから淡々と言った。

「ヴァルディア側から第一報が来ました」

ミナの表情が固まる。

「ヴァルディアの地下施設で、王国式装備の若い冒険者が一名保護されたそうです。意識混濁。名前はまだ確認できていません」

「何か特徴はありますか?」

ミナの問いかけに、セリーナは答える。

「胸元に、鹿に似た刺繍があったとのことです」

沈黙が落ちた。

シオンが、低く呟く。

「……緑影の小鹿」

ミナは何も言わなかった。笑顔を作ろうとして、失敗したように見えた。

「確認が必要です」

ようやく出た声は、受付としてのものだった。

「希望で判断してはいけません。本人確認が必要です」

だが、その手はわずかに震えていた。

レンは、机の上の名簿を見る。

灰樽亭。港。白い粉。動けない冒険者。ヴァルディア。鹿の刺繍。

ばらばらに見えていたものが、一本の線になり始めていた。

セリーナは場を見回し、短く言った。

「役割を分けなさい」

ミナはすぐに頷いた。

「レンさん、テオさん、ソフィアさん。ニコさんを探してください。大きく騒がず、自然に話を聞いてください」

「俺たちが?」

レンが聞くと、ミナは真剣な顔で頷く。

「はい。レンさんはニコさんと面識があるので探しやすいかと。また、最近疲れが取れない、という話は関連性があるかもしれません」

テオも立ち上がる。

「俺も行く。じっとしてられない」

ソフィアも当然のように続いた。

「私も。体調を見るなら、いた方がいいでしょ」

シオンは名簿を引き寄せる。

「小鹿の線は私が追う。ミナは担当記録を出して。消えた順番と、最後に飲んだ店も見たい」

「分かりました」

ミナは頷く。

セリーナはそれを見て、少しだけ目を細めた。

「悪くない分担ね」

レンたちはすぐに小部屋を出た。

最初に向かったのは訓練場だった。夜明け前にもかかわらず、数人の冒険者が木剣を振っている。だが、ニコの姿はなかった。

「ニコなら昨日は来てたぞ」

顔見知りらしい若手が教えてくれた。

「昨日はいつも以上に元気だったな。一日中、剣を振り回してたよ。あれだけ動いてたから、今日は休憩してるんじゃないか?」

「一日中?」

テオが聞き返すと、若手は苦笑した。

「ああ。こっちが止めても、まだやれるって言ってさ。最近、やけに訓練に熱が入ってるんだよ。前は途中でへばることも多かったんだけどな」

次にギルドの食堂。いない。

宿。出た後だった。

武器屋。来ていない。

依頼掲示板前。姿はない。

「思ったより見つからないな」

テオが焦りを隠せない声で言う。

「まだ消えたわけじゃないわ」

ソフィアはそう言ったが、表情は硬い。

レンは、ニコと模擬戦した時のことを思い出していた。勢い任せで、雑で、だが明るかった。自分の弱点を素直に聞ける、伸びそうな新人だった。

丸印。

まだ消えていない者。

その言葉が、頭に残る。

最後に向かったのは、ギルド近くの安い食堂だった。朝食を取る冒険者たちで賑わっている。その入り口付近で、聞き覚えのある声がした。

「お、レン!」

ニコだった。

木剣を背負い、片手にパンを持っている。顔にはいつもの明るい笑みが浮かんでいた。いや、いつも以上に明るい。眠そうでも、疲れているようにも見えない。

「それにテオさんとソフィアさんも。これから飯か?」

レンは少しだけ安堵した。

まだ消えていない。

まだ話せる。

「元気そうだな」

レンが言うと、ニコは得意げに笑った。

「おう! 最近、調子いいんだよ。身体が軽いっていうか、朝から動ける感じでさ」

「昨日、一日中訓練してたって聞いたぞ」

テオが言うと、ニコは照れたように頭をかいた。

「ああ、ちょっとやりすぎたかもな。でも、最近すごく集中できるんだ。前は初見の相手だとすぐ慌ててたけど、今は何回でもやれば慣れる気がしてさ」

「休まなくて大丈夫なの?」

ソフィアが尋ねる。

「大丈夫大丈夫。むしろ休む方がもったいないんだよ。ミナさんにも、引き出しを増やせって言われてるしな」

「武器を変える話は?」

レンが聞くと、ニコはぱっと顔を輝かせた。

「ああ、それも考えてる! 変わった武器、いいよな。今度、武器屋で見てみようと思ってるんだ。剣だけだと、どうしても相手に読まれるしさ」

言葉ははっきりしている。顔色も悪くない。むしろ活力がある。

だが、だからこそ、レンは違和感を覚えた。

最近まで疲れが抜けないと言っていた冒険者が、急に一日中剣を振れるほど元気になる。成長や気合いで片づけるには、少し変化が急すぎる。

「最何か変えたのか?」

レンが聞くと、ニコは少し考えた。

「変えた? ああ、そういえば」

ニコはパンをかじりながら、何でもないことのように言った。

「最近、飲み屋で元気が出る酒飲むんだ」

三人の空気が変わった。

「元気が出る酒?」

ソフィアの声が少し硬くなる。

「ああ。。疲れが抜けるからおすすめだって言われた」

テオの顔から笑みが消える。

「誰に?」

「店員だよ。感じは悪くなかったな。俺が訓練の話をしてたら、そんなに頑張るならこれ飲んでみろって」

「飲んだのか?」

レンが聞く。

ニコは頷いた。

「ああ、それを飲んでからは毎日元気なんだ。と言っても元気になるだけから強くなったわけでもないんだけどな……」

ソフィアが小さく息を呑む。

「なんて店?」

「灰樽亭って店。港の方にある安酒場だよ。俺らみたいな新人でも通えるぜ」


ニコは何も知らずに笑っている。

テオの表情が強張り、ソフィアは言葉を失った。

丸印は、まだ消えていない者。

だが、もう手は伸びていた。


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