3分
ラウルも猫の門番へ指示を飛ばす。
「ミロ、音を追え!エルナは外壁、シェルは警備員を抑えろ!誰も逃がすな!」
「了解!」
ミロは耳を伏せ、床へ手をついた。地下の空洞を探るように目を閉じる。
二人目の特殊兵が、棚へ向かって走る。そこには活性水の粉袋と、薬草酒の瓶が並んでいる。壊せば煙と粉で視界が潰れる。下手に火が入れば、地下にも影響が出るかもしれない。
「止めるぞ!」
ガドルが踏み出す。
だが、三人目の特殊兵がその前に滑り込んだ。真正面から受ける気はない。盾の軌道の内側へ潜り、ガドルの足首だけを狙う。
「小せえ動きしやがる!」
ガドルは盾を振れなかった。
本気で振れば、床ごと砕く。地下に何があるか分からない以上、それはできない。
代わりに、盾の縁をわずかに下げて特殊兵の短剣を受ける。金属音が鳴る。特殊兵は即座に退き、棚の影へ消えた。
ラウルが叫ぶ。
「彼らは戦っていません!時間を削っています!」
「見れば分かるわ」
フィエルは低く返した。
オルガは一歩も退かず、フィエルの進路だけを塞いでいる。剣を交えるたび、正面から勝つ気がないことが伝わってくる。刃を受けない。打ち合わない。傷を負っても、致命部位だけを外す。こちらの一瞬を奪うためだけに、身体を削っている。
フィエルは眉をひそめた。
「命の使い方が下手ね」
「任務に適した使い方です」
「つまらない」
フィエルの剣が走った。
オルガは半歩退く。避けきれない。外套の袖が裂け、白い布の下に黒い刻印のようなものが覗いた。腕に直接刻まれた魔術式。
アデルが息を呑む。
「軍用投与紋……実用化されていたとは」
オルガの視線が、一瞬だけアデルへ向いた。
「よく知っていますね」
「そういう立場ですから」
アデルの声は硬かった。
「古の禁じられた術式です。出力を上げれば、使用者自身を壊す。正式運用は禁じられているはずです」
「物は使いようです」
その言葉と同時に、棚の奥で瓶が割れた。
白い粉が舞う。甘いような、苦いような匂いが広がる。ミロが鼻を押さえ、ラウルが咄嗟に布で口元を覆う。
「吸うな!」
アデルが部下に命じる。
リリィは、煙の向こうではなく床を見ていた。
「下、燃えてる」
ガドルが聞く。
「地下か?」
リリィは頷かない。
ただ、床に手を置いた。
「紙と、薬と……人」
フィエルの目が冷える。
「人ね」
オルガの剣が、フィエルの視界を遮るように差し込まれた。
「確認は不要です」
「あなたが決めることではないわ」
フィエルが踏み込む。
だが、その一歩を待っていたように、負傷した特殊兵が背後から動いた。狙いはフィエルではない。床板の隙間へ向かうリリィだった。
「リリィ!」
ラウルの声が飛ぶ。
リリィは振り向かない。代わりに、足元から細い骨の手が伸びた。どこかの獣の骨だ。白い指が特殊兵の足首に絡む。
一瞬だけ、動きが止まる。
その一瞬で、ガドルの盾が横から押し込まれた。
「吹き飛ばせねえなら、押し潰すだけだ」
特殊兵の体が壁に叩きつけられる。だが、骨が折れる音がしても、男はまだ短剣を離さない。
ガドルの顔が険しくなる。
「本当に面倒な連中だな」
「面倒で済むならいい方です」
ラウルは床下の音を聞きながら言った。
「地下から、人の声が増えています」
「残り二分」
オルガが淡々と告げた。
フィエルの目が、わずかに冷える。
だが、その時、リリィが地下扉を見つめたまま言う。
「私がやる」
ガドルが振り返る。
「何をだ?」
「死んだばかりなら、まだ使える」
ラウルが息を呑んだ。
「使う、とは……」
ガドルが苦い顔で言う。
「そういう意味だ。慣れろ」
リリィは目を閉じた。床下へ魔力が沈んでいく。地下で燃えた者の気配を探る。死んだ直後の魂の残り香。焼けた肉体に、まだ残っているわずかな形。
「暗い。熱い。煙が多い」
リリィの声が小さくなる。
「……生きてるのは、少ないね」
フィエルの目が細くなる。
「連れて来られる?」
「一人だけ」
「一人だけかよ」
ガドルが怒気を滲ませる。
リリィは珍しく苛立ったように答えた。
「地下の中、燃えてる。死んだ子も長くは動かない。選ぶ時間ない」
オルガがそれを見て、わずかに剣を振った。
「余計なことを」
フィエルの剣先が、わずかに下がる。
下がったのではない。
構えが変わった。
フィエルは、静かに言った。
「邪魔」
その瞬間、フィエルの姿が消えた。
いや、消えたように見えた。
白い残像だけが、倉庫の中を一本の線となって走る。
棚を避け、柱を避け、地下へ響く床板を避け、粉袋の隙間を縫うように、白い剣閃が空間を切り裂いた。
「白月・断界」
小さな呟き。
白月・断界は、広範囲を斬る技ではない。
斬るべき線だけを選び、それ以外を傷つけないための技だった。
「――っ」
オルガの体が、地下扉から引き剥がされるように吹き飛ぶ。
同時に、扉の表面を覆っていた金属の根のような封鎖具が、まとめて裂けた。扉そのものは地下へ落ちず、横へ弾かれて床の上を滑る。
建物は壊れていない。
地下も崩れていない。
ただ、オルガと扉の封鎖だけが、そこから消えていた。
オルガは壁際に叩きつけられ、片膝をついた。意識はある。だが、すぐに地下扉へ戻れる状態ではない。
ラウルは息を呑んだ。
「……今ので、壊していない?」
ガドルが苦い顔で笑う。
「だから嫌なんだよ、あいつの剣は。雑に見えて、気持ち悪いくらい正確なんだ」
フィエルは一度だけ剣を払った。
「斬る場所を間違えなければいいだけよ」
その時リリィの魔力が地下へ届く。
床下から、かすかな引きずる音がした。
ずる。
ずる。
ミロが耳を立てる。
「近づいています。二人……いや、一人は動いていない。一人は息があります!」
リリィは目を開けないまま言う。
「一番近い、生きてる子。連れてきて」
地下扉の隙間から、焦げた指先が覗いた。
それは死んだばかりの誰かだった。
リリィに呼ばれたそのアンデッドは、もう片方の腕で、若い男を引きずっていた。
白い煙と焦げた空気が漏れ出す。
その隙間から、半ば焼けたアンデッドが、一人の若い男を引きずり出した。
男は痩せていた。顔は煤で汚れ、意識は薄い。だが、胸はかすかに上下している。まだ、生きている。
アンデッドは役目を終えると、その場で崩れた。骨も肉も、灰のように床へ落ちる。
リリィはぽつりと言う。
「一人だけ。今、連れて来られるのはこれだけ」
ラウルが若者の服を見る。
「これは……王国式の冒険者装備ですね」
煤けた服。破れた外套。腰の装備や縫製、ブーツの型。王国の冒険者がよく使うものだった。胸元には、かすかに鹿の刺繍が残っている。
だが、それが何を示すのか、この場の誰にも分からない。
アデルの顔色が変わる。
「王国の冒険者が、なぜヴァルディアの地下に……」
フィエルは静かに言った。
「それを、こちらが聞きたいわね」
若い冒険者が、うっすらと目を開けた。焦点は合っていない。だが、口がかすかに動く。
「外か……」
そう呟くと、目をふたたび閉じた。




