特殊兵
「夜中にずいぶん騒がしいですね」
静かな声が、張り詰めた空気を割った。
銀杯商会の前に現れたのは、連邦のSランクチーム《魔術工房》のアデルだった。数名の部下を連れてはいるが、剣を抜いているわけでも、魔法陣を展開しているわけでもない。ただ、その場を見ただけで状況をおおよそ理解したような顔をしている。
「偶然?」
「偶然ということにしておきましょう」
アデルは淡々と答える。
「とにかく、薬務局が関わる商会で、あなた方が夜中に足を止めた。その意味は軽くありません」
ガドルが鼻を鳴らした。
「説明なら簡単だ。中が怪しい」
「怪しい、だけで強行突破つもりでしたか?」
「止められたから、まだ何もしてないぞ」
「そうですか。それは幸いでしたね」
アデルの視線がラウルへ移る。ラウルは無言で深く息を吐いた。おそらく、ここまでで今日一番まともな行動をした自覚はあるのだろう。
アデルは警備員の代表へ向き直った。
「中に人がいるのですか」
「宿直です。薬務局認可品を扱っておりますので、夜間管理者がいるだけです」
リリィが首を傾げる。
「宿直にしては多いよ。二十人くらい。立ってる人、寝てる人、動けなさそうな人がいる」
警備員のうち数人が、明らかに息を止めた。
アデルの目が細くなる。
「では、私が確認します」
「いえ、夜間の内部確認には、責任者の許可が必要です」
「シエラ姫殿下の命により、この場の収拾と現場確認を預かっています」
アデルの声は変わらない。けれど、その場の誰もが逆らいづらい響きがあった。
「王国側の高位冒険者と、連邦薬務局認可商会の間で衝突が起きる前に、内部を確認する。何か問題がありますか?」
警備員は黙った。
しばらくして、商会の奥から中年の男が出てきた。身なりは整っているが、額には汗が浮いている。銀杯商会の夜間責任者、エドガー・ノルンと名乗った。
「当商会は薬務局の認可を受け、適切に活性水と滋養粉を扱っております。このような時間の立ち入りは困ります」
ラウルが一歩前へ出る。
「我々は不法侵入を望んでいるわけではありません。ただ、建物内に多数の人がいるようなので、安全確認を求めています」
フィエルも静かに言った。
「見せれば終わる話でしょう?」
エドガーは唇を結んだ。だが、アデルの視線と、フィエルの剣に添えられた指を見比べた末、しぶしぶ扉を開けた。
中は、拍子抜けするほど普通の卸問屋だった。
棚には粉袋が整然と並び、活性水の包み、薬草粉、旅人向けの滋養粉、薬務局認可の証明書が置かれている。壁際には出荷台帳。奥には木箱。匂いも、薬品臭いというより、乾いた草と紙の匂いが強かった。
ガドルが棚の袋を一つ持ち上げる。
「さっき飲んだやつだな」
エドガーはすぐ説明する。
「はい。一般流通品です。疲労回復を補助する滋養飲料で、危険性はありません」
フィエルが尋ねる。
「薬ではないの?」
「薬ではありません。あくまで飲料です」
説明としては筋が通っている。少なくとも、表に並んでいるものだけ見れば違法性はない。
だが、ラウルが台帳をめくった瞬間、空気が少し変わった。
ラウルは指で記録を追う。
「この“戻し”とは?」
エドガーは答える。
「品質不良品の回収です」
「不良品はどうしているのですか?」
「目視で問題があるものはまとめて薬務局に返還します」
その間も、リリィだけは台帳を見ていなかった。彼女は倉庫の奥、床の一角をじっと見つめている。
「下」
ガドルが振り返る。
「地下か?」
エドガーが即座に言った。
「地下はありません」
その直後、猫の門番の獣人メンバー、ミロが耳を立てた。
「……音がします」
アデルが問う。
「どこから?」
「床下です」
全員が静まった。
最初は、何も聞こえなかった。
だが、少しして。
コツン。
硬いものが、内側から叩かれるような音。
さらに、かすかに声が混じった。
「……けて」
ラウルの顔色が変わる。
エドガーはすぐに言った。
「配管です。古い建物ですので、夜間は音が――」
ガドルが低く笑う。
「配管が助けてくれって言うのか?」
リリィは笑わなかった。
「下に人がいるね。死体は・・・ないか」
フィエルがエドガーを見る。
「地下はないと言ったわね」
エドガーは答えなかった。
その沈黙を合図にしたように、同行していた警備員の一人が出口へ走った。
ガドルが一歩で進路を塞ぐ。
「どこ行くんだ?」
警備員は答えず、腰の短剣に手を伸ばした。だが、ガドルの盾が軽く動いただけで、男の体は壁へ叩きつけられた。
外でも気配が動く。待機していた猫の門番が反応し、数人の警備員を押さえ込む声が聞こえた。
ラウルが低く言う。
「ここまでです。これ以上は、緊急確認の範囲でしょう」
フィエルが剣を抜いた。
「開けなさい」
アデルは迷っていた。ここで地下を開ければ、シエラ姫側も知らなかったものを見ることになるかもしれない。だが、止めればフィエルたちは強行する。そして何より、アデル自身も今の声を聞いてしまった。
やがて、彼は静かに告げた。
「開けてください」
エドガーが目を見開く。
「あなたにその権限は――」
「シエラ姫の名で命じます。開けてください」
「それでも――」
フィエルは剣を下ろさないまま、少しだけアデルを見る。
「止めないのね」
「止められる状況ではありません」
「賢いわ。私たちは連邦の体制に興味はないの」
剣を二、三振るう。床板が刻まれて落ちる。奥には、巧妙に隠された金属製の地下扉があった。
その瞬間、リリィがぴたりと動きを止めた。
ガドルが眉をひそめる。
「お前が止まるのかよ」
リリィは地下扉ではなく、倉庫奥の暗がりを見ていた。
「なんか来た」
暗がりから、四つの影が現れた。
三人は黒い軽装鎧を身にまとっていた。顔の下半分を布で覆い、短剣と細身の剣を持っている。足音がほとんどない。兵士というより、暗殺者に近い。
そして、その後ろに一人。
長い黒髪を束ねた女。白い軍用外套。腰には細身の剣と、小瓶がいくつも並んでいる。冷たい目をしたリーダー格だった。
アデルが低く呟く。
「軍の特殊兵ですね……」
ガドルが眉を上げる。
「軍人か?」
「ええ。軍人、という表現が適切かはわかりませんが」
女は静かに名乗った。
「オルガ・ヴェイン。連邦軍統合作戦令に基づき、この施設を封鎖します」」
特殊兵三人は、すぐには襲ってこなかった。ただ、地下扉とフィエルたちの間に立ち、進路を塞ぐ。
オルガが言う。
「盟主府の名を預かる者としての指示を繰り返します。地下管理区域は、これより閉鎖されます」
フィエルの目が細くなる。
「へえ」
リリィの声も低くなった。
「こんな夜中に急だね」
「偶然です」
その瞬間、リリィの顔から笑みが消えた。
「それ、嫌い。くだらない建前」
オルガは感情を動かさず続ける。
「事実です」
ガドルが盾を構える。
「ぶっ飛ばしゃ終わりだろ」
「駄目です! ここで手を出せば、相手は“連邦の正式権限への攻撃”として処理できます!」
ラウルが即座に叫ぶ。
フィエルも分かっていた。
「面倒ね」
リリィが地下扉を見つめる。
「下、急いでる。燃やす準備してるかも」
アデルの顔色が変わった。
「証拠隠滅……」
オルガは否定しない。
その時、フィエルが剣を抜き笑った。
「まあでも――」
「ぐっ」
エドガーが喉を押さえ、その場に崩れ落ちる。「あとは貴方達が死ねば、ここで起きたことは謎の悲劇になる、そうよね?」
オルガが剣を抜く。
「連邦政府を代表して狼藉を強く抗議します。この状況下における排除行動は、正当な権限行使です」
フィエルは静かに剣を構えた。
「番犬風情が偉そうね」
特殊兵の一人が動いた。
速い。
普通の冒険者の速さではない。低く滑り込み、ラウルの背後を狙う。
フィエルの剣が閃いた。
だが特殊兵は、致命傷だけを外した。肩を裂かれながらも姿勢を崩さず、距離を取る。痛みに反応しない。血が流れているのに、呼吸も乱れない。
ガドルが呟く。
「今のを避けるのか」
フィエルは淡々と言う。
「獣並みの回避能力ね」
リリィがその特殊兵を見た。
「この人たち、灰樽亭の犬よりずっと綺麗に壊れてる」
アデルが低く呟く。
「薬で調整されている……」
オルガが小瓶を一本割った。
白い霧が床を這う。活性水とは違う、もっと濃く、冷たい匂いがした。
特殊兵三人の姿勢が、さらに低くなる。
ガドルが盾を前に出す。
「最悪な戦闘場所だな」
ここは狭い。棚には粉袋や薬瓶が並ぶ。粉末が飛び散るなどの影響で何が起きるか分からない。
リリィは笑わないまま言った。
「下の子たち、燃やされたら嫌だから早くして」
ラウルが猫の門番へ叫ぶ。
「外を押さえろ! 誰も逃がすな!」
アデルも部下へ命じた。
「地下への別経路を探せ! 薬務局側を動かすな!」
次の瞬間、四つの影が同時に跳ねた。




