薬務局認可
交渉終了後、フィエル・リリィ・ガドルの三人はそのままヴァルディアの中心街へ向かった。猫の門番たちは、後で合流することにして宿と周辺情報の確認へ回ることになる。
ヴァルディアの街並みは、ザヴィルとはまるで違っていた。
道は広く、石畳はよく整えられている。商店の看板も統一感があり、衛兵の巡回も多い。薬局、滋養飲料の店、軍用品店、旅人向けの補給所。そういった店が、妙に目についた。
「整ってるわね」
フィエルが言う。
「窮屈とも言うな」
ガドルが返す。
リリィは、通りの端にある薬局の前で足を止めた。店の中では、疲れた顔の労働者らしき男が小袋を買っている。
「この街、死にかけてる人は多いけど、死体は少ないね」
「観光中に言うことじゃねえ」
ガドルが呆れる。
「病人が多いということ?」
フィエルが聞くと、リリィは首を傾げた。
「うーん。病気とも違うかな。薄い人が多い」
「薄い?」
「うん。中身が薄い感じ」
フィエルは少しだけ目を細めたが、それ以上は聞かなかった。
夜になり、宿へ戻ると受付が猫の門番から店の一覧を預かっていた。宿題をきちんと対応していたようだ。三人はその中の一軒へ向かった。
高級すぎるわけではない。だが、安酒場でもない。地元の商人や冒険者、軍関係者が気軽に使う、ほどよく賑やかな店だった。この三人が嫌がらない店を、ラウルはよく分かっていた。
ガドルが酒を頼み、リリィが肉料理をいくつも頼む。フィエルは魚料理と、よく分からない果実酒を頼んだ。
「王国の怪物が三人も来てるって聞いて、どんな連中かと思えば」
隣の席から声がした。
振り向くと、がっしりした体格の中年男が杯を掲げていた。髪には白いものが混じっているが、腕も肩もまだ現役の冒険者のように太い。
「あなたは?」
フィエルが静かに問う。
「レオン・バルツァー。元Aランクだ。今は半分引退して、酒場で昔話を売ってる」
「へえ」
ガドルが楽しそうに笑う。
「話が分かりそうなおっさんだな」
「お前らみたいなの相手に、震えても仕方ねえだろ。どうせ機嫌を損ねたら終わりだ」
「よく分かってるじゃない」
リリィがにこにこする。
しばらく、ヴァルディアの酒や料理、冒険者事情の話になった。レオンは地元では有名らしく、店員も客も彼を立てている。単なる元冒険者というより、顔役に近いのだろう。
やがてレオンが店員へ声をかけた。
「おい、活性水も持ってきてくれ。この三人、たぶん知らねえだろ」
ガドルが眉を上げる。
「酒か?」
「違う。疲れが抜ける水だ。粉を水に溶かして飲む。こっちじゃ珍しくもねえ」
「粉?」
フィエルの目がわずかに動いた。
「薬みたいなもの?」
「薬ってほどじゃねえな。滋養飲料だ。労働者も旅人も飲むし、冒険者も好きなやつは多い。酒を飲んだ後にもいい」
リリィが面白そうに身を乗り出す。
「元気になる水?」
「そんなところだ」
出された杯に手を伸ばしかけたリリィを、フィエルが止めた。
「ここではいいわ。反応を見られるのは面倒だもの」
レオンが笑う。
「なら、帰りに露店で買って飲め。どこでも売ってるぞ」
店を出た頃には、夜もかなり更けていた。
通りにはまだ灯りが残っている。酒場帰りの者、夜勤へ向かう労働者、露店を片付ける商人。その中に、活性水と書かれた小さな屋台があった。
「買ってみるか」
ガドルが言う。
店主は驚くほど普通に小袋を出した。白い粉が入った包みと、水の入った杯。粉を入れてかき混ぜると、うっすら白く濁った水になる。
ガドルが一口飲む。
「……お。普通に効くな」
「本当?」
フィエルも少し飲む。しばらくして、目を細めた。
「弱いけれど、確かに効くわね。身体が少し澄む感じ」
リリィも指先で少し舐めた。
「いいねこれ。いっぱい飲めばずっと元気に動ける?」
店主は笑った。
「効きすぎるものじゃありませんよ。粉を溶かすだけの滋養飲料です。薬ってほど大げさじゃありません」
その言葉で、三人の間に少しだけ沈黙が落ちた。
薬。
交渉の場で、セリーナから言われた通りにリリィが口にした言葉。あの瞬間、連邦側の空気は確かに変わった。
ガドルが包みをつまみ上げる。
「粉って聞くと、さっきの薬を思い出すな」
フィエルも頷く。
「連邦側が反応した言葉と、無関係なのかしら」
リリィは粉をじっと見つめた。
「ない、とは思えないよね」
フィエルは露店の店主に尋ねた。
「これはどこから仕入れているの?」
店主は何も警戒せず答えた。
「銀杯商会です。街の北東にある卸問屋ですよ。薬務局の認可品を扱ってますから、安心です」
「薬務局、ね」
フィエルが呟いた。
「行ってみましょう」
「今からか?」
ガドルが笑う。
「夜の散歩だな」
「何か変なのあるかな」
リリィも楽しそうだった。
銀杯商会へ向かう途中、三人は複数の視線に気づいた。
ガドルが低く言う。
「見られてるな」
「何組?」
フィエルが問う。
リリィは周囲を見ずに答えた。
「三つかな。匂いが違う」
一組は距離を保っている。もう一組は、三人が向かう方向に気づいて少し慌てている。さらにもう一組は尾行が雑で、街の裏側にいる連中のようだった。
「人気者だな」
ガドルが言う。
「捕まえる?」
リリィが聞く。
「まだいいわ」
フィエルは前を向いたまま答えた。
「見られて困ることは、まだしていないもの」
「まだ、ね」
ガドルが笑った。
銀杯商会は、夜の商業区の奥にあった。小綺麗な看板。薬務局認可を示す金属札。裏手には荷車用の搬入口。窓は閉まり、灯りもない。商会としては閉店後の、ごく普通の姿に見えた。
ガドルが扉を押す。
「閉まってんな」
フィエルは鍵を見た。
「斬れば開くわ」
「鍵じゃなくて、壁から入ってみる?」
リリィが壁に手を当てた。
その瞬間、彼女の表情が変わった。
「……なんか、変」
ガドルが振り返る。
「死体か?」
リリィは首を横に振る。
「死体じゃない。死にかけでもない。でも普通じゃない」
フィエルの声が少し低くなる。
「生きているの?」
「たぶん。でも薄い。墓場じゃないのに、墓場みたい」
その言葉を聞いた瞬間、フィエルは剣に手をかけた。ガドルも扉の蝶番を見ている。リリィは壁の隙間から何かを入れられないか、楽しそうに指を動かしていた。
「お待ちください!」
背後から、息を切らした声が響いた。
ラウルだった。猫の門番の面々も一緒だ。どうやら、三人が宿に戻らず商業区へ向かったと聞いて追ってきたらしい。
「何?」
フィエルが不思議そうに振り返る。
ラウルは必死に言った。
「閉店後の商会に勝手に入るのは犯罪です」
「中に怪しいものがありそうなんだが」
ガドルが言う。
「違法なものがあるかは分かりません。今の状態は、興味本位で他人の店に侵入しようとしているだけです」
「でも、中に薄い人がいるよ?」
リリィが首を傾げる。
「それでも手順が必要です。ここで勝手に入れば、こちらを犯罪者扱いする口実を与えます」
フィエルは少し考えた。
「面倒ね」
「面倒でも必要です」
その時、周囲から足音が近づいてきた。
現れたのは警備員たちだった。商会の私兵らしき者、薬務局の警備員、衛兵風の男。数が多い。
代表らしき男が低く言った。
「ここは薬務局認可の商会だ。夜間の立ち入りは許可されていない」
ラウルが前に出る。
「我々は立ち入っていません。ただ、建物内に人の気配があるようなので確認を求めたい」
「……宿直だ」
警備員は即答した。
リリィが首を傾げる。
「宿直にしては多いね。20人くらい?」
警備員たちの表情が、わずかに変わった。
フィエルが静かに言う。
「中を見せれば終わる話では?」
「お断りする」
空気が張り詰めた。
ガドルが盾に手をかける。
「多いな。まあ、多い方が楽か」
「こんな奴ら、頭数に入らないでしょ」
リリィは笑っていた。
ラウルが本気で胃を押さえた、その時だった。
「夜中にずいぶん騒がしいですね」
静かな声が割り込んだ。
現れたのは、魔術工房のアデルだった。
彼は警備員たちを見て、次にフィエルたちを見た。最後に、閉ざされた銀杯商会の扉へ視線を向ける。
「……ここですか」
その一言で、警備員たちの顔色が変わった。




