薬
「港か」
レンが低く呟くと、セリーナは静かに目を細めた。
捕まえた男は、床に押さえつけられたまま歯を食いしばっている。ただの飲み屋の店員ではない。港で見たことがある、とシオンが断言した男だ。マルセラとカリスの見立てでは、黒鈴会の下部構成員。
灰樽亭は、ただ活性水に似た飲料を酒に混ぜていただけではなかった。港のマフィア組織がこの店に流していた。
「やっぱり、ここで終わりじゃないのね」
ソフィアが押さえていた店員をテオと共に連れて戻ってきながら言った。テオは息を整えつつ、店内を見渡して顔をしかめる。
「……改めて見るとひどいな。中で戦争でもあったのか?」
「だいたいあいつのせいだ」
レンが答えると、ソフィアが引き攣る。
「あいつって・・・・・・言葉には気をつけた方がいいわ」
セリーナは涼しい顔で言った。
「まだ建物は残っているでしょう」
その時だった。
店の外から、重い足音が近づいてきた。ひとりやふたりではない。踏み込むたびに床板が軋むような、武装した者の足音。
「……嫌な予感」
マルセラも、わずかに表情を硬くした。
乱暴に扉が開いた。
現れたのは五人の男たちだった。先頭の大男が戦槌を担ぎ、その左右に剣士と斧使い。後ろには魔法使いらしき男と、短槍を持つ痩せた男が控えていた。
冒険者風の装備をまとっているが、ただのチンピラではない。革鎧も剣も使い込まれている。立ち姿に隙がなく、何より、店内の惨状を見てもほとんど怯まない。
先頭の男が、壁際で震える店長と、縛られた店員たちを見て笑った。
「ずいぶん派手にやってくれたな。ここ、うちの持ち場なんだが」
カリスが小声で告げる。
「元ヴェリディア帝土のAランクチーム、《鉄鎖の猟犬》です」
「Aランク?」
テオが眉を寄せる。
マルセラが続けた。
「護衛依頼中に商隊を襲い、依頼主まで殺したことで資格を剥奪されたはずです。帝土で追われ、王国へ流れ着いたと聞いていましたが……黒鈴会に飼われていたようですね」
先頭の男がこちらを見る。
「誰が犬だって?」
次の瞬間、男たちは動いた。
狙いはセリーナではない。入口近くにいたレンとテオだった。手近な相手を潰し、人質にする。判断が早い。元Aランクという評価は、ただの肩書きではないらしい。
「レン!」
ソフィアの声が飛ぶ。
一人が巨大な戦槌を振り上げ、テオへ叩きつけた。テオは咄嗟に剣で受ける。
だが、重さが違った。
「ぐっ――!」
テオの体が浮いた。剣ごと弾かれ、砕けた机を巻き込みながら壁際へ吹き飛ばされる。背中を強く打ち、声もなく崩れ落ちた。
「テオ!」
ソフィアが悲鳴を上げる。ソフィアはすぐにテオへ駆け寄ろうとしたが、店内にはまだ敵が残っている。動けば巻き込まれる。唇を噛みながら、彼女は治癒魔法の準備だけを整えた。
同時に、別の男の斧がレンへ迫っていた。腕輪のせいで体が重い。普段なら半歩で避けられる。だが今は、回避ではなく防御を選ぶしかなかった。
レンは剣を立てて受ける。
衝撃が骨まで響いた。足元の氷が砕け、靴底が床を削る。
「……重いな」
レンは表情を変えずに言ったが、内心では違和感が膨らんでいた。
元Aランクにしても、出力が高すぎる。ただ、出力の高さと動きが合わない。これは訓練で時間をかけて得た強さではない。
「薬か」
レンが呟くと、斧の男が笑った。
「よくわかったな、新人」
「新人に止められてる時点で終わりだろ」
男の顔が歪む。力任せに押し込もうとした瞬間、店内の温度が一段下がった。
「誰に向かって、手を出しているのかしら」
セリーナが一歩前に出ていた。
その声は静かだった。静かすぎて、店内の誰もが息を止めた。マルセラがすぐに一般客を奥へ下がらせる。ルミナが怯える客を壁際へ誘導し、カリスは扉の位置を確認する。
シオンは小さく呟いた。
「……終わった」
《鉄鎖の猟犬》の男たちは、それでも止まらなかった。普通なら、その圧力を前にして逃げる。だが彼らは、恐怖よりも興奮が勝っているように見えた。
先頭の男が吠える。
「女ひとりで――」
言い終える前に、足が凍った。
踏み込んだ勢いのまま、男は前のめりに転倒する。顎が床に叩きつけられ、鈍い音が響いた。
二人目が炎魔法を放つ。赤い火球がセリーナへ向かう。
セリーナは手を軽く振った。火球は空中で凍りつき、氷の槍へ変わる。そのまま逆方向へ飛び、男の肩を貫いて壁に縫い止めた。
「ぎゃああ!」
悲鳴を上げながらも、男は動こうとする。肩を貫かれているのに、腕を無理やり引き抜こうとしている。
セリーナの眉がわずかに動いた。
「痛覚まで鈍らせる薬ね。粗悪品だわ」
次の瞬間、男の膝、肘、足首が順番に凍りつき、完全に動かなくなる。
残る二人が左右へ散った。連携は鋭い。片方が低く入り、もう片方が上から剣を振るう。元Aランクらしく、薬で壊れていても身体に染みついた動きは残っている。
レンが一歩出ようとした。
「下がっていてください」
セリーナの声だけが飛ぶ。
床の氷が波のように動いた。左右から踏み込んだ二人の足元がわずかにずれる。その一瞬で、二人の攻撃は互いの進路を邪魔した。
剣と斧がぶつかる。
次の瞬間、氷の壁が二人をまとめて押し潰すように叩きつけた。骨の折れる音が響き、二人は床へ崩れた。
五人が、数十秒で沈黙した。
「……めちゃくちゃだ」
テオを抱き起こしながら、ソフィアが呟いた。テオは意識を失っている。呼吸はあるが、顔色は悪い。
レンは剣を下ろしながら、倒れた男たちを見た。
「強化というより、壊してるな」
「ええ」
セリーナは凍った男たちを見下ろす。
「戦力としては雑。けれど、使い捨ての駒としては便利でしょうね」
その時、顎を打って倒れていたリーダー格の男が、かすかに笑った。
「……もう遅えよ」
セリーナが視線を向ける。
「何が?」
「港は動いてる。俺たちは時間稼ぎだ。お前らがここで遊んでる間に、荷は出る」
レンの表情が変わる。
「荷?」
男は答えなかった。代わりに、口元から白い泡が溢れる。
「まずい!」
ソフィアが駆け寄る。だが男はすでに痙攣し、意識を手放していた。毒か、副作用か。どちらにせよ、口を割らせることはできない。
カリスが男の懐を探る。やがて、小さく折りたたまれた紙片を見つけた。
「これは……連邦語ですね」
マルセラが眉を寄せる。セリーナが紙片を受け取り、目を通した。
その瞳が、冷たく細まる。
「ヴァルディア経由。二級品は酒へ。一級品は選別後に送れ」
誰も言葉を発しなかった。
ヴァルディア。連邦側の街。
シエラ姫と《魔術工房》がいた街。
そして、これまで何度も影だけが見えていた、連邦の線。
レンは倒れた男たちを見る。
活性水。
高い白い粉。
神隠し。
薬物強化された元Aランク。
ばらばらだったものが、一本の線に繋がり始めていた。
「連邦が絡んでいるのか?」
レンが聞く。
セリーナは即答しなかった。
「連邦そのものか、連邦の誰かか。そこはまだ分からないわ」
そして、気を失った用心棒を見下ろす。
「けれど、この薬の流れは連邦側に繋がっている」」
ソフィアがテオの胸元に手を当て、治癒魔法をかける。
「命に別状はない。でも、肋骨にひびが入っているかもしれない。あんなの、普通の用心棒じゃない。テオが死んでてもおかしくなかった」
レンは黙った。
腕輪の重みが、手首に残っている。
普通の冒険者として過ごしたい。そう思っていた。だが、普通でいようとするせいで仲間を守れないなら、それは何なのか。
答えは出ない。
その時、店の外を見に出ていたシオンが、息を切らして戻ってきた。
「港の方、騒がしいです! 黒鈴会の連中が荷を動かしてる!」
マルセラもすぐに言う。
「港を封じるには、本来ならギルド長か領主の許可が必要です。ですが、今から取っていては間に合いません」
セリーナは当然のように歩き出した。
「なら、許可は後で取ればいいわ」
レンは苦笑する。
「またそれか」
レンは気を失ったテオを一度見た。ソフィアがこちらを向き、短く言う。
「私はテオを運ぶ。でも、逃がさないで」
「ああ」
レンは頷き、セリーナの後を追った。
「ところで・・・・」
残されたシオンがマルセラに問いかける。
「レンとあの方は関係あるのか?」
「あの方?」
「……氷の魔女。知り合いのようなもっと近いような気がしたんだが」
「……気のせいではないでしょうか。私は長生きをしたいのでもしそうだとしても気のせいだとしますね」
「……そうだねえ」
だが、その目はもう笑っていなかった。
氷の魔女が、あの新人冒険者を見る目。
あれは、ただの知り合いに向けるものではなかった。




