手土産
一方その頃。連邦の街ヴェルディアでは、《魔術工房》の面々と連邦軍が高級ホテルの一室に集められていた。山での戦闘を終えた直後らしく、誰の服にも焦げ跡と土が残っている。机の上には地図と報告書が散らばり、空気は重かった。
「兵が戻っていません。工作員もです」
幹部が苛立たしげに口を開く。その言葉に、部屋の何人かが無言で目を伏せた。
「どうする?」
魔術工房の副リーダーアデルの問いに答えたのは、部屋の中央に腰掛けるシエラ姫だった。
「どうするか、ではなく、どう連れ帰るかよ」
穏やかな声音だったが、異論を挟ませない響きがあった。自然と周囲が黙る。肩書き、権力共に彼女に刃向かえるものはいない。
「兵を見捨てれば軍の面子に傷がつく。工作員を切れば、こちらの統制に響く。どちらも放置はできないわ」
「ですが、奪還は――」
「論外ね」
シエラ姫は眼鏡の女の言葉を引き取るように続けた。
「王国側はすでに警戒している。あの場で仕掛けられなかったものを、あとから力ずくで通す意味はない。下手をすれば、今度は外交そのものが主戦場になるわ」
若い術士が眉を寄せる。
「では、交渉ですか」
「ええ」
シエラ姫は頷いた。
「名目は“越境した兵の保護と返還”。それで十分よ。工作員の方は、その流れに混ぜて引き取る。向こうがどこまで掴んでいるかは分からないけれど、少なくともこちらが見捨てていないと示す必要があるわ」
「王国が素直に応じるでしょうか」
「応じるかどうかは二の次よ」
シエラ姫は小さく笑う。
「こちらが交渉の形を作ること、そのものに意味があるの。兵を見捨てず、工作員も回収しようとする。それを内にも外にも見せる必要があるわ」
短い沈黙が落ちた。
「準備を進めなさい」
シエラ姫は最後にそう言った。
「次は、戦場ではなく席で連れ帰るわ」
報告を終えたレンがギルドを出た頃には、すっかり日が落ちていた。
街の喧騒は昼の慌ただしさから夜のざわめきへと移り、帰り道の酒場には仕事帰りの冒険者たちが流れ込み始めている。
表通りを少し外れた小さな酒場の戸を開けると、奥の席にシオンがいた。皿の上のつまみをつつきながら、こちらを見て片手を上げる。
「ひどい顔」
開口一番、それだった。
「会ってすぐそれか」
「事実でしょ」
シオンは当然のように言う。
「座る?お疲れ様会として今日は奢ってあげる」
お腹も減ったのは事実。レンは黙って向かいに腰を下ろした。店主に適当に酒ではないものを頼み、ようやく一息つく。
「で」
シオンが頬杖をつく。
「どうだった?」
「大変だったな」
「へえ」
簡単に起きたことを説明する。
「なかなか珍しい体験だ」
「こんなのが頻繁に起こったらそれは大変だ」
「”ネクロマンサー”、私も会ったけどあんなのが出てきたら大変だね」
シオンの話も聞きながら取り止めもなく会話をする。
「そういえば、病人もいたんだ」
「……病人?」
その一言で、シオンの目の色が変わる。
「怪我じゃない。熱もそこまで高くない。でも、立とうとすると力が抜けるらしい」
「何人?」
「見た限り三人。しかも難民だけじゃなくて、工作員にも似たのがいた」
「咳は」
「見てない」
「吐いた?」
「ないと思う」
「皮膚の色は?」
「そこまでは詳しく見てない」
シオンはしばらく黙っていた。
いつもの軽い調子が薄れ、珍しく考え込む顔になる。
「病気か・・・」
「何か知ってるのか?」
「まだ断定はできない」
シオンは低く言った。
「気になる」
そこでレンは気づく。
この話題が、思った以上にシオンの興味を引いていることに。
「……随分食いつくな」
「面白そうだから」
「ろくでもない意味でだろ」
「もちろん」
シオンはけろりと答えた。
「でも、その話は覚えとく。ありがと」
酒場を出る頃には、街の空気はすっかり夜のものになっていた。
人気のない裏道へ入ったところで、レンは足を止めた。
細い小道の先に、見慣れた顔がいくつもある。
壁にもたれているガドル。
石を蹴って遊んでいるリリィ。
その少し後ろには、猫の門番の面々もいた。
「お、いたいた」
リリィが手を振る。
「生きてる?」
「一応な」
「その顔だと半分死んでるだろ」
ガドルが鼻を鳴らした。
「お前らは?」
レンが聞く。
「まだザヴィルにいるのか」
「いや、次はヴァルディアだ」
ガドルがあっさり言った。
「ヴァルディア?」
「うん。連邦側の街」
リリィが楽しそうに答える。
「今度はフィエルも追加だって。さっき決まったの」
「交渉と確認を兼ねて、って話だ」
ガドルが続ける。
「暴力もセットだろ?」
「まあ、あいつが出てくるってのはそういうことだな。セリーナとレンは呼ばないのはせめてもの温情らしい。宰相はお怒りのそうだ」
「3人で行けばいいんじゃないか?猫の門番は置いていってやれよ」
「こっちの顔も、向こうの顔も知ってるやつがいた方がいいらしいね。それに、有名人ばかりだと動きにくいからさ。情報収集役」
猫の門番の面々は少しだけ疲れた顔をしていた。同行するのは、どうやら既定路線らしい。
「それだけじゃないよ」
リリィがくすくす笑う。
「手土産もあるし」
「手土産?」
「工作員を一人、セリーナが街中で確保した」
ガドルは面倒そうに肩をすくめた。
「向こうに持っていく材料としては十分だろ、ってな。こっちにもカードがあるぞって見せるには悪くねえ」
レンは少しだけ黙る。
いかにもセリーナらしい段取りだった。先に一枚押さえてから動く。そういうやり方だ。
「なるほどな」
「私はそのまま遊びに行ってもよかったんだけどねー」
リリィが口を尖らせる。
「でもフィエルいるなら、まあいいかって感じ。話が早そうだし」
レンは猫の門番を見る。
彼らもまた、これから連邦の街へ入るのだ。簡単な仕事になるはずがない。
「……頑張ってくれ」
レンは、リリィとガドル、それから猫の門番に向かって言った。
「ヴァルディアだろ。気をつけて行け」
「へえ」
リリィがにやにやする。
「ちゃんとそういうこと言うんだ」
「言う時は言う」
「自分で言うほどでもないだろって顔してるけど」
「実際そうだろ」
少し間を置いて、レンは続ける。
「フィエルにもよろしく伝えておいてくれ」
「了解」
ガドルが短く答える。
「気が向いたら言っとく」
「気が向かなくても言っといて」
「それもそうだな」
猫の門番のリーダー、ラウルが小さく笑った。張り詰めた顔のままではあったが、それでもほんの少しだけ空気が和らぐ。




