連行
山の向こうで起きていることを、レンは考えないようにしていた。
考えたところで、どうせ碌なことになっていない。今、目の前にあるのはもっと具体的で、もっと面倒な現実だ。難民の列、担架の上の病人、拘束した工作員と連邦兵、そして騒ぎに引き寄せられて現れた魔物たち。片付けるべきことは、山ほどあった。
しかも体が重い。
手首に嵌めた能力抑制の腕輪は、走るたび、力を込めるたびに、じわじわと魔力を吸っていく。全力を出そうとした時の不快感は慣れたが、こうして長く動き続けると、今度は別の意味で堪える。脚は思ったより前に出ず、剣を振った後の戻しもわずかに鈍い。普段なら無視できるはずの疲労が、今日は妙に存在感を主張していた。
(腕輪を外して・・・ダメだ、いきなり冒険者生活が破綻してしまう)
それに、疲労や能力のダウンはあるが防御力は変わらないようで、リスクは感じない。面倒だ、という理由で力を奮うのはリリィと同じ・・・そう思うと出来る限りこのまま頑張りたいところだ。
「左から来るぞ!」
テオの声と同時に、藪を割って狼型の魔物が三体飛び出した。狙っているのは担架だ。病人の匂いに引かれたのか、列の中でも一番動きの遅い場所を正確に見抜いている。
レンは一歩踏み込んだ。――つもりだった。
本来ならもう半歩先へ届くはずの位置で、身体がわずかに足りない。腕輪のせいだ。舌打ちを飲み込み、軌道を変える。腰の短剣を抜き、先頭の一体へ投げた。喉元に刺さった短剣で魔物の勢いが鈍ったところへ、今度は剣を合わせて首筋を斬り抜く。二体目はテオが受け止め、三体目は猫の門番の獣人が横合いから飛び込んで仕留めた。
「レン、お前すげえな……!今の、あの位置から間に合うのかよ」
「ギリギリだったよ」
正直に答えたが、テオは謙遜だと思ったらしい。目を輝かせたまま、次の魔物へ向かっていった。
列の後方で悲鳴が上がる。振り返ると兵士の一人が難民の腕を掴み、盾にしながら逃げようとしていた。
「まずい!」
「任せろ!」
猫の門番のリーダー、ラウルが前へ出る。細身の体が一瞬で間合いを詰め、逃げようとした工作員の足元へ滑り込むように低く沈む。次の瞬間、工作員の膝裏を正確に払って体勢を崩し、そのまま肘を極めて地面へ叩きつけた。別方向へ走った連邦兵には、もう一人の獣人メンバーが木々の間を駆けて先回りし、首筋へ短剣を添えて動きを止める。
「国籍の問題じゃない」
ラウルは地面に押さえつけた工作員へ、冷たく言った。
「魔物を呼び寄せた。その時点で、お前たちはただの加害者だ」
逃げようとしていた連邦兵の顔が引きつる。
彼らは最初、まだ余裕を持っていた。山の向こうでは《魔術工房》が動いている。いざとなれば姫たちが援護に来る――そう信じていたからだ。だが今は違う。地鳴りと崩落音が聞こえてきただけで、増援の影はどこにもない。むしろ山の形そのものが変わっている。誰の目にも、向こうで普通ではないことが起きているのは明らかだった。
「負けたのか……」
誰かが、掠れた声で漏らした。
「まさか、あの方々が……?」
動揺は明らかだった。強気だった連邦兵たちの目に、初めて本物の焦りが浮かんでいる。
その隙を逃すほど、猫の門番は甘くない。逃げる気配を見せた者から順に制圧し、縄を増やし、列の外へ出られないよう位置を組み替えていく。派手さはない。だが、護送と制圧という点では恐ろしく実戦的だった。王都でAランクを張っている理由が、よく分かる動きだった。
ソフィアはその後方で、担架のそばに膝をついていた。
病人の手首に触れ、脈を測り、眉をひそめる。
「変ね……」
「何がだ?」
テオが息を整えながら聞く。ソフィアは首を振った。
「彼らは皆動かない。工作員ではない、と思ったけど・・・」
レンもしゃがみ込んで病人の顔を見る。顔色は悪い。
「一人ナイフを隠していた。つまり工作員にも同じ症状が出てるのよ」
ソフィアが声を潜める。
「病気のふりでは?」
「全員同じ症状。一人は助けて欲しいとうなされていたから難民もいる」
「最近、連邦で病気が増えてるって話、聞いたことあるな」
ラウルが拘束の確認をしながら言った。
「噂程度だがな。だから余計に厄介だ」
「とにかく、先に街へ戻ろう」
レンが言うと、テオが強くうなずいた。
「そうだな。これ以上ここにいても、また魔物が来るだけだ」
「でも、レン。あなた結構きつそうだけど、大丈夫?」
ソフィアがふいにこちらを見る。
しまった、と思った。腕輪のせいで無意識に手首を押さえていたらしい。
「平気だよ。ちょっと疲れただけだ」
「ちょっとでそんな顔になる?」
「今日は色々あったからな」
できるだけ軽く返したが、ソフィアはまだ半信半疑の顔をしている。とはいえ、それ以上は追及しなかった。代わりに小さく笑う。
「でも、助かったわ。あなたがいなかったら、さっきの列は崩れてた」
「俺も同じこと思ったぞ」
テオが大きく頷いた。
「レン、お前ほんとすげえな。強いだけじゃなくて、ちゃんと守りきるんだからさ。俺だったら前しか見えてなかった」
褒められても、レンは素直に喜べなかった。
本人的には、普段ならもっと楽にできることを、腕輪のせいで無理やり繋いでいる感覚しかない。歩き出しただけで脚が鈍く重いし、武器を振るう速度も判断力も遅れている。静かに終わらせようと思っていたのに、結局ずっと全力に近いことをやらされている。
それでも隊列は、なんとか整った。
難民を中央に、病人の担架をその近くへ。外側を猫の門番が囲み、前後をレンたちが固める。拘束した工作員と連邦兵は縄で連ね、魔物を呼び寄せた張本人として連行する形になった。
「国籍は関係ない」
ラウルが改めて、連邦兵たちへ言い渡す。
「王国内で魔物を誘引し、人命を危険にさらした。それが拘束理由だ。文句があるなら、街で言え」
連邦兵たちは睨み返すこともできなかった。
山の向こうから、もう《魔術工房》は来ない。少なくとも、今すぐには。
夕暮れの中、ようやく隊列は再び歩き出した。
ザヴィルの城壁が、遠くに見える。だが門の上に立つ兵の数が、普段より明らかに多い。見張りの影も増えていて、城壁の周囲の空気そのものが張り詰めていた。
「……絶対、向こうも面倒なことになってるよな」
テオがぽつりと漏らす。
「山がああなってたら、そりゃそうでしょ」
ソフィアが苦笑する。




