第4話「またね!」
母さんが買い出しから帰ってきた。カレーを作るらしい。
莉央は「お手伝いしますよ〜」などと言って、母さんから皮剥きとかを任されていた。
制服のままでまな板の前に立ち、ジャガイモを回しながら包丁で皮を剥いている。なかなか慣れた手つきだ。家でも手伝いしているのだろうか。というかよく初めて入る家にあがって料理できるな。
「莉央ちゃんはいい子ね〜、うちのにも見習ってほしいくらい!」
すみませんね、こちらは手伝いもせずゲームばかりやっていて。
「このくらい普通ですよ〜」
こいつ外面はいいんだな…母さんと話す時はあのいたずらっぽい顔はどこかにしまっているらしい。というかこのいい子モードのほうがいつもの莉央なのか?そりゃあ普通に考えたら、会った初日から人を煽り散らかす方が珍しいか。ちゃんと人を選んで煽っているようだ。
つまり俺は選ばれて煽られていたということだが、それはそれで不服である。まあ相手が俺のような寛大な精神の持ち主でよかったな。
カレーを煮込んで手が空いている間、母さんと莉央はずっと話し込んでいた。
話の流れで莉央が聞いた。
「そうだ、おにいさんから勉強教わりたくて〜ノートお借りしたいんですよ〜」
ノートと聞いて一瞬心臓をギュッと掴まれた。今後ノートという単語には使用制限を設けてほしい。そうでないと俺の心が持たない。
「いいわよ〜莉央ちゃん勉強熱心なのね〜」
「ちょっと勝手に許可しないで」
莉央が母さんに向けていた笑顔を崩さないまま、俺の方を見た。ほんの少しだけ口角が上がり、八重歯が見える。
「おにいさん、ノートお借りしますね♡」
「…」
俺は数秒考えたものの、母さんも納得するような断る理由が思いつかず、しぶしぶうなずかされた。
こうしてノートは親公認で貸し出されることになった。
結局夕食も一緒にとることになった。
「莉央ちゃんカレー辛くない?」
「大丈夫です〜」
「あんたもちょっとは話しなさいよ」
「食ってるから」
「…ふふっ」
俺が何か反応するたびに、莉央はちょっとニヤニヤしていた。これはあれだ、何をやっても笑われるモードだ。昔バイト先の女にも、ふつうにしているだけなのに「存在がおもしろいw」とか小馬鹿にされることがあった。おそらく見下されている。
完全に日が落ち切った頃でも、まだ隣の家の電気はついていなかった。俺と莉央はまたなんとなくソファに座り、先ほどとは別のリズムゲーをすることになった。
決してさっき負けたから別のゲームに逃げたわけではない。莉央が「勝ったままの方がおもしろいからw」とか言うので、その意思を尊重して勝ったままにしてあげようと思ったのだ。決して女子中学生に負けたことが悔しくて逃げたわけではない。
とは言ったものの、俺はさっきの莉央のゲームの動きがどうしても気になっていて、ゲーム中に聞いてみた。
「あのゲームやりこんでたの?」
「う〜ん暇な時やるかなくらい」
「動きの読みとか当て感正確だったよね」
「ふん、そうでしょ」
莉央は得意げな顔をした。うまい自覚はあるらしい。
偏見だが、あまりゲームが好きなタイプには見えなかったので意外だ。どちらかと言えばファミレスでたむろしてドリンクバーで3時間潰すのがルーティンのようなタイプに見えた。
「「お願いします」って言えたら教えてあげてもいいよ〜」
「生意気な…」
俺はリズムを叩く指に、心なしか力が入った。
莉央が一瞬だけこちらを見てきた気がした。
「ねえ、今日のこと少し怒ってたりする?」
俺はプレイ中にもかかわらず、首ごとちらっと莉央の方を見る。意外な質問してくるな。
怒る?
久しく怒ってないせいでその感情を忘れていた。そういえば最後に怒ったのっていつだろうか。
そうだあれだ、数年前友人がポケカの転売を始めようとした時は人生で指折りの喧嘩した。人には干渉しないがモットーのおれだったが、なんとなく友人がポケカ転売をしているのは嫌だった。少し人の道を外れている気がして。
改めて考えると成人男性からノートを奪うことは人の道から外れている気もするな…怒るほどのことでもないんだけど。
「考えたけど、怒ってはないかな」
「ふーん」
莉央は少しだけ口元を緩めて、ゲーム画面の方に向き直った。
「怒ったかどうか一回考えるのウケるねw」
撤回。少し怒ったかもしれない。
そして数十分がたった頃だろうか、隣の家の電気がついたことに莉央が気づいた。
「あ、ママ帰ってきたみたい」
莉央は持ってきたスクールバッグを肩にかけて帰り支度をした。この暑い中登校するの大変だったろうな。あと少しで夏休みだからがんばれ。
「じゃ、おじゃましました」
「はいよ」
莉央はドアに手をかけたが、振り返って聞いてきた。
「あ、そうだ。再建失敗おにいさん」
「その呼び方定着させないでね?」
莉央は持っていたノートを、ちらっと俺に見せた。
「Day 4 できたら教えてね」
「一生教えない」
「じゃーねー」
「聞いてないな…」
莉央はまだその場に立っていた。まだ何かあるのか?若干気まずさを感じる。
「今日さ、その…」
莉央はそこまでいうと、ノートに視線を落とした。抱えていたノートの角を、親指で何度かこする。
「…なんでもない。またね!」
そう言って扉の隙間をさっと抜けて帰って行った。
ノートを抱えたまま。
今日はなかなかにハードな日だった。
Xにもポストしておこう…
『隣の家の子に俺のノートを取られてしまった』
5分くらいして通知が飛んでくる。やさしい応援アカだ。
『きっと魅力的なノートだったんだね!』




