22 降臨
俺はリビングにあるソファ、テーブル、書架等々を隣の部屋に運ばせて、広い空間を作った。そこで何をするのか訝しむ5人に、俺はこれから馬頭観音を降臨させると宣言した。
勿論これはエドと俺が相談し、エドが観音に扮して皆の前にその神々しい姿を現して、性根を見ようという計画なのね。五戒を守り教理を体得し真理を理解しなければ、法に触れる事が如何に危険であるかを知らしめる事が目的なんだけど。彼が無償でそのような類の行為をするとはとても思えないので、彼の意図を尋ねたんだけど、「退屈しのぎ」それしか言わなかった。
まあ、最悪誰かが憑依されるか知らないが、俺だけではない事は確信しているのでやってみる事にした。一度深淵の底を見るのも、彼等にとって良い体験ではあると希望する。
俺は修法を始めるにあたって「絶対口を開いてはいけない」、「その場から動いてはいけない」、「物音を立ててはいけない」、「最後まで不動の姿勢でいる事」、「観音に呼ばれても応えてはいけない」を厳守しなければ、安全の保障はできないと告げた。そうした処、異口同音に5人は「はい」と応えたので、教団での法要で多少は経験がある事を理解した。それなら大丈夫か。
俺は簡単な祭壇を作り、護身してリビングに結界を創った。以前セレのアパートでも同じ事をしたから、スムースに修法は進んだ。最も、本当に馬頭観音を迎い入れる訳ではなく、エドに変化してもらい降臨させるだけ。
色々手順があるけど適当に端折って、エドの降臨時間となる。観音降臨修法じゃないんで、いい加減なんだけど。
部屋の気温が上がり、湿度も上昇。空気が重く感じられ、皮膚に空気がまとわりつき、エドの登場が近付く。
窓は締まっているが、風が吹くように頬へ空気の流れが感じられる。6人以外誰もいないのに何者かの気配が感じられる。明らかにエドの雰囲気。
祭壇の上に陽炎が立ち、小さな光点が幾つも現れた。無数の光点が徐々に大きな光の束となり、眩しくて目を開けられない。誰もが片手で光を遮り、顔を背ける。
光の中から馬の顔だけが出現する。口は大きく開かれ、真っ赤な歯茎と象牙色の前歯、紅白のコントラストが、否が応でも目に入る。
エドの召喚は、通常不意に目の前に出現するもので、前触れがあまりないのが特徴だ。それが馬頭観音の降臨を装うので斯様なデモになったんだろう。
「馬頭観音様。本日降臨頂き、誠にありがとうございます。一同に成り代わりまして、感謝申し上げます」
「気にする程の事ではない」
「お気遣い感謝申し上げます。本日お呼び致しました訳は、皆に観音様のお言葉を賜りたく、お願いした次第でございます」
「それは如何なる理由で?」
「この者達は迷っております。是非正道にお導き下さい」
「無知蒙昧に沈む者は誰か?」
「ここに座しております5人でございます」
俺が話し終わると、馬頭観音に扮したエドの顔だけが祭壇の上から5人の目の前に伸びてきた。それも各人の目の前に対面で、5面である。
5面の馬面の出現に、5人の驚きは如何様であったであろうか? 俺が見ていると、大井は失禁してへたり込んでいる。つやを見ると多少はましだが、それでも失禁して腰を抜かしていた。男3人は一様に後退りしていた。チビっている奴もいるが、俺が注意したのに忘れやがって!!
男3人の目の前の馬面は各人に鼻からの臭い息を吹きかけ、今にも噛み殺そうかという勢いである。3人は少しずつ座ったまま後退りしている。どうなっても知らないよ!
「何故退く」
誰もエドの問いに応えない。そりゃそうだ。俺が厳命したんだからな。
女性二人は醜態を晒したが、一応その場に留まっていた。それとも腰を抜かして動けなかったのか?
「何故、退く。やましさからか、応えよ」
それでも男3人はなにも発しなかった。それは良いんだけど、俺の張った結界から一人が出そうになった。
不味い。俺はそいつに「止まれ」と命じたが、遅かった。座ったままの後退りで結界線を越えた瞬間、男の姿が消えた。
「馬鹿!!」
俺は大声で叫んだ。その声が聞こえたのか、男2人は結界線を越える事はなく、その場で俺を凝視している。
ミスターエド、あの男は大丈夫ですか?
「安心しろ。地獄に飛んだが、『手を出すな』と部下には伝えてある」
本当ですね。危害を加えられる事はありませんね?
「大丈夫だ。地獄観光していると思えば良い」
地獄観光ですか? 「別府の“地獄めぐり”じゃないんだよ」と突っ込みたい処だけれど、本当に大丈夫?
「くどい。恩人に嘘はつかない。但しだ。本人がどう感じるか。それは埒外だ」
そんな・・・ 下手すりゃ廃人になりかねない案件ですよ。
「個人の感受性は、吾輩の範疇ではないし、吾輩がコントロールして良いのか?」
それは困ります。地上では一切手出し無用が前提ですから。
「そうだ。だから、放置しているのだ」
しかし、それもねえ・・・
「どうすれば良いのだ?」
どうしたら良いのでしょうか? 逆にお尋ねしたい気持ちです。
「それを聞くか? それよりも魔法使い。他の4人の心配をしたらどうだ?」
そうエドに指摘され、俺は4人を見回した。大井は失神していた。全然動かない。つやを見ると、彼女も同じだ。それじゃ、男は? 彼等は俺を凝視している、まるで俺が悪魔かのように。余り良い状況じゃないね。
申し訳ありません。このままお帰り願えませんか?
「お前はそれで良いのか?」
良いも悪いもありません。この状況は想定外です。こんなに酷いとは思いませんでした。
「良く聞け、東洋の魔法使い。地獄に飛んだ男は直ぐに返してやろう。しかし、男の精神状態までは責任が持てん。己がタブーを破ったのだからな。それにだ。奴が飛んだ先は、奴が心の片隅で常に抱いていた世界の具象化だぞ」
そうなんですか?
「そうさ。悪心、邪念がなければ、そうそう地獄を見る者などいない」
はあ
「それよりもだ。そもそもがこの5人は可笑しいぞ。神仏に仕える者ならば、あのような醜態を晒すか? 全員を良く観察する事だな」
そうします。
俺が応えると、エドは姿を消した。俺は修法の続きを演じ、観音が天界に帰る法要を終了させ、修法が終わった事を二人に告げた。女性は失神しているからそのままにしておいた、勿体ないけど。
男二人は何も俺に対し非難、中傷、罵倒、誹謗中傷、質問などをしなかった。勿論暴力もなかった。唯、大人しくその場に座っていた。俺が女性を一人づつ、風呂場に運んだ後も同じだった。
流石に女性は羞恥心があったにも係わらず、身支度を整え、リビングに戻ってきた。それでも男は動かなかった。きっと何処かが壊れたかしたのか?
陰鬱な空気に支配されたリビングに、地獄旅行した男が帰ってきた。突然姿が現われ、その場にへたり込んだ。二人の男がそれを目の当たりにして、奇声を上げた。段々沈黙から喧騒に部屋の雰囲気が変わる。
女達も奇声を上げた。そして男の奇声は、怒声となって俺に向かった。
漸く、こいつ等ショックから解放されたか? そんな事を思いながら、俺は彼等の怒声や罵詈雑言を聞き流した。




