20 面従腹背
セレからの追及を何とか躱した俺は、その後はいつもと変わらない生活を送っている。不思議な事にエドからの訪問もない。
「田中ちゃん。川村さんから電話よ」
俺に川村からの電話を取り次ぐ藤さんは、今も俺を狙っているのかと思えるような、ねっとりとした視線で俺をたまに見るんで、彼女からの単独のお誘いは全て断っていた。それでもめげない彼女の対応は、尊敬に値する程だ。そんな事は話しには関係ないので端折って進めます。
川村からの電話は転用許可の下りる時期についての問い合わせだった。久し振りなので、俺は彼に説明する為自宅に伺う許可を所長からもらい、昼食後の訪問を告げた。
川村の自宅では相変わらず和室に通された。多分、客間か事務室で使っているんだろう。奥さんがお茶を出し終えて部屋か退出すると。
「田中君。この前はつやちゃんと結構お楽しみだったね」
仕事より女の事かよと思いながらも。
「申し訳ありませんでした。ですが川村さんも若い子と良い仲になったんじゃないですか?」
「そんな事はないよ。つやちゃんは私が狙っているのだから、そこの処は弁えてくれよ」
「はい」
とうとう白状したよ、この人。つやを自分の女だと最初に言っておいて、今は「狙っている」対象だと自ら漏らした。馬鹿言うな。もう少しで俺がご馳走を頂くんで。面従腹背。俺がつやと良い仲になるなんて思いもしないだろうと、優越感に浸っていると。
又、否な悪寒がする。悪心に襲われ、喉の奥がムカつき、鳩尾が痛くなった。一応説明すると狭心症の兆候に一部被っている処もあるけれど、俺は五体満足なんですよ今の処。
「悪魔の気持ちが分かってきたようだな」
エドの声が頭の中に届いた。この状態で来るのかよ。少しは状況を弁えて欲しいもんだね。今、仕事の話しをしているところなんで。
「仕事? 女の話しが?」
だから、話しのつまですよ。100パー仕事だったら神経がもちません。
「その腐った考え方は、我々の考え方と親和性があるのだよ。転職を考えたらどうだ」
転職って何処ですか? まさかエドの処ですか?
「今のお前の考えなら、充分通用するから」
御冗談を。この前もセレに貴方の事を話したら、もの凄く怒られましたから。
「田中君。田中君」
川村が俺の顔を覗き込むようにして顔を近付けてきたので、俺はびっくりした。
「何でしょうか」
「君、私の話しを聞いていたかい。何か、上の空のようだったけど」
「大丈夫ですよ。こう見えましても、川村さんの話しは聞き漏らしませんから」
「そうかい。それなら良いけど。じゃあ、今日も付き合ってくれるんだね」
「『付き合う』って?」
「“アンシャンテ”だよ。本当に聞いていたのかい?」
「はい。今日の自分の予定を思い返していたものでしたから」
「そうなの。それで大丈夫だよね」
「勿論、お供します」
「反射神経も鋭敏だな。どのような質問にも対応できる、その臨機応変な対応。言葉巧みに取り繕う言語力。巧緻な人間の能力は、悪辣な企ても造作なく成し遂げるだろうから」
エドの一方的な解釈に苛立ちも覚えたが、それをストレートな言葉にして返す事もできないので、聞き流していると。
「それでどうなんだ?」
何の事ですか?
「俺の手伝いをする事だよ」
言ったじゃないですか。彼女の拒否が凄いって。
「それはお前の説得が稚拙だったからだろ」
いいえ。ちゃんと説明しました。
「それなら色よい返事が返ってこないのはどうしてだ?」
憑依された体験が彼女のトラウマになったんじゃないですか。それで拒絶したんだと思います。
「それでは彼女を説得しろ」
無理です。
「田中君、大丈夫かい。凄い汗だよ」
「大丈夫です。この頃、睡眠不足なものでして、少し体調が芳しくないだけです」
「ならば吾輩が直に伝えよう」
それは勘弁してください。
「何故?」
彼女が壊れてしまいます。
「田中君。何が『壊れる』って?」
「大丈夫です。体調が壊れるかなって」
エドと川村から交互に問い詰められ、俺の頭の中で返答が整理できない状況に追い込まれそうになった。だけど追い込まれると人間て、対応できるもんだね。二つの対応を別々の部署で個別にしているように、頭が勝手に整理して言葉が出てきた。
あたかもナンテールで、セリーヌと日本語とフランス語、英語で会話した時と同じだ。あの時は口説くのに必死で、考えるより先に言葉が口から出て行ったからな。日本脳、フランス脳、英語脳と三つがそれぞれ独立した部署のように働いたからかも知れない。それと同じ事が今起きているんだ。




