18 夫婦喧嘩
俺は部屋に引きこもってしまったつやをそのままにして、自宅に戻った。何度声を掛けても彼女が姿を現すことはなく、取り付く島もない有り様だったから。リーチまでいったのに積もれなかったか、番手に嵌まったのに直線で捲れなかった本命と言った処ですかね、例えると。
自宅に戻ると、セレはリビングで手持ち無沙汰な様子。何をするではなしにコーヒーを飲み、雑誌を眺めている。
「ただいま、マ・シェリ」
「お帰り、モン・シェリ」
機嫌は悪くないみたい。これなら話しても大丈夫そう。
「ねえ。凄いのに会ったよ」
「誰なの?」
「誰だと思う?」
「さあ」
「ナンテールにいた時に会った奴だよ」
「オララ」
彼女がびっくりした顔で俺を見た。これ、言って良いのかな?ちょっと不安になる。
「ベルナール大司教が召喚したオロバス」
「モン・デユー。この愚か者をお赦しください。アジメ、私に喧嘩を売ってるの?」
「え? 何で?」
「私が彼の悪魔に憑りつかれた事、知っているわよね。それで言うんだ」
しまった。そうだよ。彼女一番初めに、マラドゥレスに憑依されたんだよ。失念していました。私のミスです。
「ご免ね、マ・シェリ」
「良くも、いけしゃあしゃあと言えるわね。コム・アボカ(まるで弁護士だわ)」
「マ・シェリ。それは言い過ぎじゃない。俺は嘘つきの悪人じゃないよ」
「いいえ。貴方は私の経験した苦痛が分かってないのよ。だからそんな事が言えるのよ」
そう吐き捨てると、彼女は受話器を取り、何処かへ架電した。覗き込むと、ナンバーディスプレイの画面には“+33”が表示されているから、国際電話を架けているんだ。
「国際電話は高いから手短にね」
「五月蠅い。ケチ臭い事言うな」
怒られた。俺は優しく言った積もりだったんだけど。少しムカッとしたが、それを口に出すと彼女の怒りが沸点に達するからできない。彼女が何処に架けたのか想像はつくから、俺は口を噤んだ
相手に通じたのかセレがフランス語で喋り出した。普段俺に話し掛けてくるフランス語と違って、兎に角早い。何を言っているのか全く分からない。名詞は幾つか聴き慣れた単語があったので分かったが、動詞は全然理解できなかった。俺との会話では彼女はゆっくりはなしていたんだなと、電話の会話を聞いていて良く分かった次第です。
色々彼女が喋っている会話の中に「ベルナール」の名前が数度聞こえてきたので、漸く彼とコンタクトしているんだと理解した。
と言う事はですよ。ベルナール大司教にオロバスの召喚について文句を言っているの? 随分大胆だなあと思い、しばらく様子を伺う。迫力のあるボリュームで会話が続き、一向に電話を切る様子がない。
かれこれ5分は過ぎている。会話は続き、何時切るのか分からない。会話の内容が理解できないから致し方ないのかも。
10分を過ぎた頃から俺は不安に駆られた。誰とどのような内容の会話をしているのか、推測もできなかったし、時折俺をチラ見する態度も俺を不安に陥れた。
不安が妄想に変わろうとする頃に電話が切られた。
「アジメ。訳を聞いたわ」
「ベルナール大司教と話したの?」
「いいえ。大司教はお忙しい方で、この時間は何処かの行事に参加していて、教会にはいなかったわ」
「じゃ、誰と?」
「秘書の方よ」
「テスじゃないんだ」
「ええ。彼女も一緒に参加しているそうよ」
「そうなんだ。テスは彼の個人秘書だからか」
日本とフランスでは7時間の時差があるから、今午後4時だから、向こうは朝の9時になる訳か。前日から出払っていたのか?
「それで、向こうは何と?」
「『テスに連絡して、電話をくれる』って。それまでは貴方の処分は中断するわ」
「『処分』って。俺悪い事はしてないよ」
「それも含めてテスの連絡待ち」
彼女の言葉は事務的で冷たかった。もう既に、俺に対する処分を決めているかのような言い分だ。
又、彼女の暴力を受けるのだろうか・・・ それとも兵糧攻めか、マンションからの締め出しか? 俺の気持ちが段々と萎えてくる。それとほんの少し、極めて稀に、何かを期待する気持ちが心の片隅に滲み出てきた。




