16 教祖
東密国立宗を立宗したのは、“虚空蔵求聞持法”を修したと自著で喧伝し、信者獲得を“至福のアカデミー”と比較される小田流光と言う人物だ。
経歴は麦田大学卒だとか、大日本大卒だとか、はっきりしない人物で、高野山真言宗大阿闍梨織田舟泉より伝法灌頂を受けたと主張。真言宗織田派の血脈を継いでいるとされる。
まあ、ざっと彼の経歴を見ると普通の何の変哲もない僧侶に思えるが。開祖空海は修行中、土佐の室戸岬にて明けの明星が自身の身体に飛び込んできた事により、虚空蔵求聞持法を会得し、以来超人的な記憶力、理解力で仏道を修したとされているんだけど。
因みに空海は仏道修行以外にも土木工学、医薬学、中国古典などにも精通していたのは、元々聡明であったのもあるが、求聞持法による処が大きいとされる。
開祖と同じ土俵に乗っていると主張する僧侶って、真言宗にいたっけ? 余りにも僭越ですよね、違います? それだけ大言壮語する人物ならば、弘法大師のように多方面での活躍が期待されるんでしょうけども、寡聞にして聞いた事はありませんね。
これを信者の前で言うと、又「あっち左折」と言われそうだから控えますけども、新教団設立、新たな教祖の擁立、教祖の説得と、どれに彼等は進むのか楽しみで仕方がないんだ。
大井等4人の信者が去り、俺はつやのマンションに二人だけになった。そうなると、俺としては理趣経の神髄、男女和合による涅槃を期待したいんだけど、さてどうなるやら。
「ねえ、つやちゃん」
「何でしょうか」
「君達って、教義をどう理解しているの?」
「『どう』と言いますと?」
「つまりアレだよ。理趣経の」
「小田流光大僧正はお示しになりました。『欲望を抑圧してはいけない』と。『抑圧する事によって成仏への意欲も削がれる。取捨選択は、師が弟子の適性を見て指導する』と仰っていますので、私達は大僧正の指導を受け、“十七清浄句”の一つが各々の適性を勘案して授けられています」
「つやちゃんが授けられたのは、どれなの?」
「私のですか? それは他人に語るものではありません。師の許可を得ませんと」
「ふーん。それ、新々宗教のあるあるだよ」
「又ですか?」
「つやちゃんの授けられた句が何か知らないけど、秘密にする事によって、つやちゃんの行動、意識を規制しているんだよ。それは他の人も同じで、『開祖と一対一で約された秘密は、絶対守るべきもの。破れば越法、三悪道に堕ちる』位、言われたんじゃない?」
「何でそれを?」
「それ、他の新々宗教も使っているよ」
「そうなんですか?」
「そうさ。だから言ってごらん」
「でも・・・」
あと一歩、もう少し押せば・・・ 俺は鎌をかけた。
「“妙適清浄句是菩薩位”を授けられたのでは?」
彼女、驚いたように「はい」と答えた。さもありなん。
自分の気に入った異性を自分の女にしたい、ものにしたいと考える男は幾らでもいるが、一宗を興した教祖なら、そこらの血走った眼をした男と同一視される事は避け、教理に基づく口説き方をする筈だから、俺は初句を上げたんだ。
所詮“男は狼なのよ”。
「じゃ、俺がつやちゃんを求めたら?」
「それは・・・」
「良いって事じゃん」
「未だ私達、お互いの事良く知らないし・・・」
「それなら、俺を知ってもらえれば良いんだね?」
「え! それは・・・ 一応・・・」
俺は彼女の応えに被せるように自分の経歴、趣味、信条、気質等を端折って伝えた。これで良し。考える暇を与えず、返事を求める。そうすれば人は相手の事を斟酌して穏当に返してくれるから、俺は彼女の反応を伺い、できる、できないを判断しようとした訳です。
明らかに彼女が困惑している表情を示しているので、脈があると踏んで再度促そうとした瞬間。俺の頭の中で懐かしい、しかしヘビーな思い出が浮かび上がった。
おぼろげな記憶の中から、見覚えのあるような陽炎のような物が俺に迫って来る。何だろう。俺に危機が迫っている雰囲気ではない。だが俺にプレッシャーを掛ける存在だろう、とだけは感じられる。
良い処だったのに。つやちゃんとのめくるめく甘美な一時を過ごせる淡い期待は、粉々に砕けた。




