第7話 それでも私はあなたががいい
治療が終わった後も、千尋はしばらくその場から動けなかった。
アズライアンはシャツを乱暴に羽織り直しながら、千尋をちらりと見た。
「傷が……こんな簡単にふさがるなんてな。」
「私、結構腕がいいので。」
アズライアンの半裸が視界から消えたことで、ようやく落ち着きを取り戻し、にっこりと微笑む千尋。
「お前、なんでそんなに落ち着いてやがんだ。」
「人質になるの、六回目なので……なんか、こう、慣れちゃってて。」
一瞬の沈黙の後、アズライアンが爆発した。
「お前もへたくそだと思ってんだろう!『こいつおっせーな』とか『早くしろよ』とか、心の中でバカにしてんだろうが!」
千尋は慌てて首を振った。
「そんなことないですよ!全然!」
アズライアンはさらに声を荒げ、千尋の方へ歩み寄りながら叫んだ。
「俺より手際がいいやつ、いっぱい見て来たんだろう?だから落ち着いてるんだろうが!」
「いや、そんなことないですよ、捕まらずに逃げられた人、初めてですし。」
「……人質の手際が良すぎるんだよ!人質を仕事にしてんだろ、お前!」
千尋は思わず慌てて手を振る。
「してませんよ!なんでか巻き込まれちゃうんです!……でも、中に入ってからの手際は、一番いいですよ?」
アズライアンの顔が真っ赤になった。
「ふざけんな!」
そこへ、アズライアンの部下たちが息を切らして駆けつけてきた。
「ボス!彼女すか!?」
アズライアンは即座にキレた。
「ちげえわ!誰が彼女だ!」
部下の一人がニヤニヤしながら言った。
「でも、なんか手当てされてたのが遠くから見えたし……。」
「うるせえ!」
結局、アズライアンは千尋を教会の近くまで送り届けることになった。
部下が持ってきたエアバイクに二人乗りだ。しっかり捕まっていろと言われ、腰に手をまわし、千尋はそっとその背中に少しだけ頬をつけた。
「お前、他に何が好きなんだ?その……季節とか、食べ物とか。」
「季節ですか?うーん、夏は嫌いですけど。」
「好きなって言ってんだろ!」
「怒らないでくださいよ!冬!冬が好きです!花はシャパルの花が好きです。食べ物はケーキが好きですね。私、パティシエなので。」
シャパルの花は、ヒロインの好きな花だ。それをアズライアンが持ってきて、無骨に手渡してくれるというシーンがある。
「パティシエ?」
「ケーキを作る仕事をしてるんですよ!よかったら今度食べに来て下さいね!」
「おー。俺甘いもん結構好きだぜ。」
アズライアンが嬉しそうに言う。
それは知っている。原作で意外な好物として描かれていたからだ。でかい図体をした男が、破顔しながらケーキを頬張る描写。
もともと親の職業ではあったが、それを継ぎたいと思ったのは、推しであるアズライアンに、自分もケーキを作りたいと思ったからだった。
アズライアンの誕生日となると、毎年ケーキを焼いて、SNSにアップし、推し部屋の写真と共に誕生日を祝っていたのである。
アズライアンは教会の門の前でエアバイクを止め、千尋を下ろしたあとで、アズライアンが小さく呟いた。
「……またな。」
千尋の頰が、熱くなった。
「うん……また。」
アズライアンが去った後、千尋は胸を押さえて小さく跳ねる心臓をなだめた。
『優しい……!本物の……本物のアズアズ!』
「ただいま!」
「お帰り……って、どうしたの顔、赤いよ?遅いから心配したよ?」
「え?そう?」
思わず両手で頬を挟む。蒼生の顔を見た瞬間、なんだか罪悪感がわいてくる。
蒼生と二人で支えあっていこうと決めたばかりなのに、偶然出会ってしまったとはいえ、一瞬蒼生のことが頭から消えた瞬間があったことが納得がいかない。
蒼生がいれば、他に何もいらない。
そう願ったからこそ、きっと神様は、二人まとめて転生させてくれたのだ。
蒼生が心配そうに千尋の頰に触れる。その指先の温もりに、千尋は嬉しくて胸が締め付けられた。その手をそっと取って、自分の手を重ね、しっかりと頬に触れさせた。
「……別の男の臭いがする。」
蒼生がボソッと呟いた。なんだか機嫌が悪そうな表情を浮かべていた。
「な、なんでわかるの!?蒼生ってばいつも、めざとすぎだよ!私が専門学校のクラスメイトたちと飲みに行ったり、誰か別の子と遊びに行くと、すぐに気付くんだから!」
「なんでかしらね?」
蒼生はにっこりと微笑んだ。
「もう……また人質になっちゃったんだよ。それも、アズアズにだよ。」
千尋が頬を膨らませる。
「本当?怪我はないの?」
「うん、私はだいじょうぶ、むしろ……。」
「また、犯人が怪我して、それを助けて惚れられでもした?」
「惚れられてはないよ!惚れられてはないけど……まあ……助けた……かな。」
「まったく、お人好しなんだから。怪我がないならいいわ。でも、気を付けてね。さすがに6回目でしょ?私がその場にすぐに駆け付けられるわけでもないんだから、こうも続くと心配になるわよ。」
「うん、ごめん……でも私もなんでこんなに巻き込まれるのか、わかんないんだよ!」
「そうね、よしよし。」
そう言って蒼生は千尋を抱きしめて、嘆く千尋の頭を撫でてやるのだった。
「でもね……千尋。アズライアンが、千尋の推しだとはわかってる。でも、千尋の臭いが、他の人に塗り替えられるのは、凄く……嫌かな。」
それを聞いた千尋はびっくりする。
「アズアズはあくまでも推しだよ?私は蒼生のほうがいいよ?」
「──本当?」
「だってアズアズと一緒にいる間、ずーっと蒼生に罪悪感があったもん!」
眉を下げながら千尋が言う。
「……千尋が誰かと親しくなるのに嫉妬しちゃうのも、独り占めしたくなるのも、千尋は嫌じゃないの?」
「まあ……そこまで?って少しびっくりはするよ。でも私はそれでも、蒼生が好きだよ。」
「そう……。」
蒼生は安心したように、千尋を抱きしめるのだった。
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