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呪歌使い戦記第九話

 それからというもの、一日のほとんどを「願いを叶える呪歌」の解読に当てた。日々の暮らしに必要な仕事を終えたらすぐに机にかじりついて、辞書に縋り付いて。宿場街への買い出しも必然的に減った。それを心配したカーティスさんが時々訪ねてきてくれる。僕の生存確認も兼ねているのだろう、毎度毎度ほっとした顔で帰っていくのだから。

 それにしても。どうして先生は鯨の国の、それも今は使わないくらい古い言い回しをしているこの本を持っているのだろう。獅子の国の生まれのはずなのに。僕に与えられたプイスの名だって、元は鯨の国の英雄の名と言うではないか。鯨の国と何か繋がりがあるのだろうか。あるいは、僕の大師匠が鯨の国の生まれだったのかもしれない。その大師匠が鯨の国の生まれだったとしたら、何故獅子の国に? 獅子の国と同じくらい大きな鯨の国を出た理由は? 大師匠について聞かされることは無かった。語ろうとはしなかった。大師匠になる人は、今どこで何をしているのだろう。存在だけは聞かされている兄弟子についてもそうだ。どうして、何も教えてくれなかったんだろう。どんな人だったのか、どんな魔法が得意だったのか、聞いてみたかった。

 ……先生には、まだ教わりたいことがたくさんあったのに。

 乾いたはずのインクが滲む紙の上、ただ必死にペンを走らせた。早く、早くこの呪歌を使って僕の願いを叶えたい。先生を守りたい、守りたかった。僕のこの願いは絶対に叶えなくてはいけない。ちっぽけだけど、この両の手でも抱えきれない程大きな願いただ一つを握りしめて、抱きしめて、解読を進めた。

 この本に出会って、どれ程の時が経っただろう。この本の解読を始めて、どれ程星達が消えていくのを見送っただろう。夜を明かした回数も、数えるのを諦めた。だけど、そのおかげで。

 やっと「願いを叶える呪歌」の全てが明らかになった。旋律も、文言も欠けはない。行使の補助をする魔法陣も完璧だ。

 ……やっと、僕の願いが叶う時が来たのだ。先生と共にあの戦場を生き延び、再びこの家で暮らすという僕の願いが。あとは、あとはもう、この呪歌を歌うだけ。やっと、やっとここまで来たのだ。今はとにかく時間が惜しい。僕の部屋の床いっぱいに、魔法陣を描き写す。夕暮れの迫る中、ただ無心で魔法陣を床へと描き写した。

 ……この呪歌を使うことに、不安が無いわけではない。忘れた訳ではない。先生が言っていた、『術者の願いを、悪魔が叶える呪歌』。あの言葉を、忘れたつもりは無い。悪魔が願いを叶えてくれるのだ。何がしかの対価が必要なことはわかっている。僕が宿場街の人に薬を売って貯めた銀貨か、はたまた僕の命か魂か。……命と魂を取られては僕の願いが叶わないが、先生が生きてあの戦場から帰ってこられるなら。

 完成した魔法陣の上、月が天窓から顔を覗かせる。天頂を昇り詰めたまあるい月が僕の部屋を覗き込んでいる。あの月は敵か、味方か。僕に微笑んでいるようにも見えるし、僕を嘲笑っているようにも見える。……集中しなくては。月の表情に気を取られて失敗でもしたら、僕の願いは朝露のごとく消えてしまう。天窓から無理やり視線を外して、足元の魔法陣を睨みつける。

 頭に叩き込んだ旋律を、解読するうちに頭に入った文言を詠唱する。静かな夜に相応しい、穏やかでどこか懐かしい気持ちさえしてくる切ないメロディー。望むのはただ一つ。先生と共に生きる未来、二人一緒にあの戦場を生き延びる未来。

 ……何も起きなかった。何の奇跡も、起きなかった。歌い終えて、詠唱が終わって、蝋燭の火が揺れて。何も、起きない。

 失敗したのか? 何処を間違えた? 頭に叩き込んだ旋律は正しく歌えたはずだ。鯨の国の言葉も、ちゃんと発音出来たはず。まさか、そもそもの解読が間違っていたのか?

 脚が震える。床が、地面が揺れているかのよう。次第に頭が痛くなってきた。立っていられない。思わず魔法陣に膝をついた。


 あれ。


 目眩がする。かつてないほどに酷い目眩、耳鳴り、吐き気。魔力を使い過ぎたか? だとしても、こんな急に体調が悪化するなんて。何が起きた。何が起きているの。願いを叶えることに失敗した僕は、死んでしまうの?

 苦しい、苦しい。先生、助けて。先生。

 胸元のループタイ、金に縁取られた薄緑の宝石を握りしめたところで、記憶は途切れている。


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