呪歌使い戦記第十話
気が付いたと思ったら、目が覚めたと思ったら。目の前で先生が死んでいた。
何が起きた?
さっきまで僕はあの赤レンガの家の、あの僕の部屋にいたはず。さっきまで天頂にあった月は何処へ行った? 空には雲という厚いベールをまとい始めた太陽が馬車を走らせている。そして目の前には。
「……竜の国へ来い」
先生の血に濡れた槍を握りしめた竜の国の呪歌使いが僕を見下ろしている。早まる鼓動に、胸が痛い。願いを叶える呪歌を使ったのに、どうして先生が死んでいるの。
「お前の師は、今ここで死んだ。今からは、私がお前の師となる」
二度目のその言葉に、頭がかっと熱くなる。僕の先生はただ一人、それ以外の誰かなんて絶対に嫌だ。銀獅子の牙が、竜の国の呪歌使いを討つ。
僕の願いは叶わなかった。あの呪歌は僕の願いを叶えてくれるのではなかったか。もしや、詠唱に失敗してしまったのだろうか。考えたって原因に思い至ることはない。
赤く汚れたナイフを呆然と握りしめていたら、再び地面が揺れだした。それと同時に、頭痛と、目眩と。目を強く瞑って蹲る。僕を心配したのか、周りの兵士達が声をかけてくる。なのにその声はだんだん遠くなっていって。
この感覚、覚えがある。願いを叶える呪歌を使ったあの後に、僕を襲ったあの感覚。このまま死んでしまうのではないかと錯覚するほどの頭痛と目眩と、耳鳴りと。思わず胸元のループタイを握りしめようと手を動かした。縋るものを探す指先が空を切った辺りで、意識は途切れた。
次に目が覚めた時、先生は空にいた。戦場の上空に舞う花びらの一枚として、呪歌による戦いを繰り広げていた。僕にとっては三回目の戦場。今度こそ、先生を守らなくては。
空を飛ぶ魔法使い達は移動速度がとにかく速い。僕には兵士達入り乱れ倒れていく中を走り回ってついて行くことすら出来ない。息を切らせて走って、走り抜いて。追いついた時にはまともに歌えないくらい。肩で息をする僕を他所目に、目を奪う程の美しい魔法を交わし合う二枚の花びら達。防護壁の呪歌を使う間もなく、竜の国の呪歌使いの魔法が先生を直撃する。
「せんせっ……!」
落ちてきたところを受け止められるはずもなく、細く薄い体は灰色の大地に叩きつけられた。無事か。慌てて駆け寄った、しかし。
先生は、既に。
直撃した魔法か、地面に叩きつけられたことか。僕にはわからない。唯一の救いは、その顔が苦痛や悔しさに歪んでいなかったことだけ。胸元に輝くループタイが、閉じられた瞳の代わりに輝いていた。
四回目の戦場。今度は兵士達の鬨の声から始まる。空を飛ぶ先生を必死に走って追いかけて。今度こそ先生に追いついてみせる!
間に合え、間に合え、間に合え! 叫ぶように詠唱した防護壁の呪歌。無事だ、上空で生きている。それを見届けて酷い息切れの中、また走り出した。竜の国の呪歌使いが、僕を狙ってやってくる。予想通り、竜の国の呪歌使いは瞬間移動の呪歌で僕に迫ってきた。逃げなくちゃ、逃げなくちゃ殺される。僕だけじゃなくて、先生まで。焦る足がもつれて、転んで。だめだ。竜の国の呪歌使いに追いつかれた。死を覚悟したその時。
「見上げた根性のあるガキだ。面白い、気に入った」
あの赤い槍ではなく、あのバリトンが僕に向けられる。
「竜の国へ来い。獅子の国を捨て、竜の国の私の元へ。私ならばあいつなどよりももっと多くを与えてやれる」
おぞましく歪んだ蜂蜜色の四白眼が僕の目を覗き込んで僕に囁いた。
「ぼ、僕は……」
「お前ならば平和ぼけした獅子の国よりも、実力主義の竜の国の方がずっと向いている。我が国の王とて、お前を歓迎するだろうさ。お前のその魔法があれば富も権力も思いのまま。どうだ、興味は無いか?」
「っ……!」
……この囁きに乗ってしまえば、僕は殺されずに済む? 竜の国の呪歌使いのこの口ぶりなら、先生だって。……でも……!
「そんなの、僕にはいらない! 先生を捨てて竜の国なんて、死んでもごめんだ!」
「……そうか。ならば、死ね」
楽しそうに歪んでいた四白眼が、今度は冷徹な光を灯す。だめだ、今回は僕が死んで終わりなのか。構えられた槍が貫いたのは。
「先生!」
僕と槍の間に飛び込んできた先生の体が、巨大な殺意に貫かれる。
「無事か! 怪我は……無い……か……」
その言葉を最後に、貫かれた体は力を失った。
僕が無事でも、先生がいなければ。先生が無事でなければ意味が無い。何度呼びかけても先生の胸は動かない、先生の目は開かない。また、失敗した。強烈な目眩に歪む視界の中、死神の声が聞こえた気がした。
「お前はまた、そうやって死ぬのか……」
また、またってどういうこと? 疑問を口にする間もなく、僕の意識は闇に落ちていった。
今度は、五回目の。決戦の日の朝。夜明けより前に目が覚めて、兵士達の朝食の準備を手伝う。塩気も何も無い豆のスープと、保存用にとかちかちに乾燥させたパン。こんなものでも、無いよりましだ。無い食欲を抑えつけて、無理やり胃に押し込んだ。
六回目は、戦場となる草原に行軍を初めて二日目の昼。七回目はたくさんの兵士達と共に王城を発ったその日の夜。思えば、目覚めの時が早くなっている。
どんなに決意しても、やはり僕は、やはり先生は。
先生は竜の国の呪歌使いの前に倒れて、僕はただ守られるだけ。
どんな手を打てと言うのだろう。どうすれば、この結末を変えられる。どうすれば、僕は何をどうすれば。縋るものなんて、縋れるものなんて無かった。唯一縋れるものがあるとすれば、僕が戦場にと持ってきたあの一冊の魔導書。防護壁の呪歌が記されたあの魔導書。これ以外に、先生を守る術なんて無い。あるのは生活の知恵としか呼べない魔法ばかり。
繰り返しの起点が早まるにつれて、僕に出来ることは何かを探る時間が増えてきた。なのに。僕の願いは一度も叶わない。
これは、何度目だろうか。もはや数えることも諦めたとある回。僕達は初めて、生きて戦場を出た。……竜の国の捕虜として。
竜の国の呪歌使いはあれからも僕を執拗に弟子にしようとした。拒めば、竜の国の兵士達からの過酷な拷問が待ち受けている。それでも、僕の師は先生以外ありえない。先生を失う悲しみに比べれば、拷問なんて。そんな僕の目の前で、先生は首を斬られた。民衆の晒し者にされた。獅子の国への見せしめのために。僕もそのうち、先生の後を追うことになるだろう。その時が来るか、この意識が次へと誘われるか。どちらが先だろう。鞭に打たれる中、強烈な目眩に目を閉じた。
今度は、僕の手で先生を。
何度も繰り返した先、目覚めの時が早まる中。死神の赤い槍から与えられる致命傷を逃れた先生を、僕はこの手で。
槍に貫かれた体は即死を免れた。それでも。この傷ではどうにも助からないと、素人目にも、この死を見届けてきた僕にも一目でわかる。大きく上下する胸が、ひゅうひゅうと嫌な呼吸音をさせているのだ。この苦しみが長く続くよりは、いっそ。そう考えて。
今回はこの世界の魔法使い達について教わる場面で目を覚ました。次に目を覚ました時には、どこまで巻き戻っているのだろう。……もう、疲れた。これは僕の願い、僕の願いを叶えるための世界。だけど、もう疲れてしまった。諦めることは出来るのかな。二枚の花びらを切り裂いたナイフでそのまま、自身の胸を切り裂いた。




