呪歌使い戦記第十一話
「……さて、今日からここで暮らす訳だが……。その前に、改めて自己紹介させて貰おう。私はルイス、ルイス・キャンウィール」
……今回は、ここか。ここまで、巻き戻ったか。
「君がわかりやすく言うのであれば……魔法使い。魔法使いの一派、キャンウィール。手っ取り早い話が、君を弟子にしたいんだ」
懐かしい。記憶にあるよりもずっと若い先生の顔。二度と、見たくなかった。だって、それは。
「……どうした? お腹が痛いのかい?」
「い、いえ……。大丈夫です……」
僕がまた失敗した証拠だから。
ここまで巻き戻って、僕は何をすればいいのだろう。何を探せば、先生を救える? 僕一人生き残っても、先生一人生き残っても意味が無い。僕と先生、二人生き残ってこの家に帰ってこなくてはいけないのだ。僕に出来る手段は全て試した。僕に残された手段は何がある。
何度も何度も読み尽くした我が家の蔵書を今日も漁る。あれももう読んだ。これももう試した。なのに結末は変えられない。どこ、先生を救う知恵はどこにある。時間というものは無情で、十年という子供には長すぎる日数さえもあっという間に流して行った。
「それじゃあ先生、行ってきます」
「ああ、行ってらっしゃい。道中、気をつけてな」
今日は、戦争の報せを持った獅子の鎧の兵士達が先生を訪ねてくる日。この日の僕は必ず宿場街へのお使いに出されるのだ。獅子の国の兵士達があの家を出る頃にちょうど帰ってくるよう、たくさんのお使いを言いつけられるのだ。
「おお! プイス君おはようさん! 今日もルイスせんせのお使い?」
「ええ、はい。そんなところです」
宿場街の中心の広場でお使いのメモとにらめっこしている僕に、話しかけてきた人が一人。この宿場街唯一の食堂の女将さん、カーティスさんだ。
「ちょうどええ所で会うたわぁ。今咳止めって持ってへん? うちの人がどこぞで風邪もろて来てしもてなぁ」
「咳止めですか? ありますよ。苦いのは……嫌いなお人でしたね。咳止めシロップをどうぞ」
「も〜いつもおおきに! ほんまルイスせんせとプイス君のお薬には助けられとるわぁ。お礼したいねん、ちょっとうち寄ってってぇな!」
「え、でも……」
「たまにはプイス君も羽伸ばさなあかんで。最近眉間に皺寄せてばっかりやろ? ほら、おいでおいで!」
そんなに険しい顔をしていただろうか。このお使いの中で毎回カーティスさんは咳止めを買っていく。いつもなら代金を受け取って終わり、だが今日はカーティスさんの城である食堂に招かれてしまった。
朝食時を過ぎて、昼食時を待つ食堂は閑散としている。その隅っこのテーブルにカーティスさんと向かい合って腰掛ける。
「ほい、どーぞ」
「あ、ありがとうございます」
カーティスさんに大きなマグで出されたのは温めたミルク。ほんの少し蜂蜜を入れているらしい。ほんのりとした甘みに体の芯から温まる。
「ほんま一気に寒なったなぁ。ルイスせんせは風邪ひいてはらへん?」
「そう言えば今年はまだですね……」
「……なあ、プイス君」
カーティスさんの黄みがかった淡い茶色の瞳が僕を見つめる。マグカップの水面から目をカーティスさんの瞳に移せば。
「ルイスせんせと、喧嘩でもしたん?」
「け、喧嘩と言う訳では」
「ほな隠し事?」
「隠し事……。隠し事になるんですかね……」
「ルイスせんせには言えんことなんやろ? 私が聞こか?」
「いえ、そんなわけには……。…………カーティスさん。カーティスさんは何度やっても上手くいかないことが出来たら、どうしますか?」
「何度やっても上手くいかんこと?」
「何でもいいんです。カーティスさんだったらお店の新メニューとか」
「うーん……」
顎に手を当て、天井を見上げ始めたカーティスさん。しばしの思案を伴う沈黙の後、彼女はこう答える。
「私なら……諦めるかなぁ」
「……そう……ですか……」
カーティスさんの答えは諦める。そうか、諦めるという選択肢もあったな。僕の願いなど、叶うはずがないと諦めた方がいいのだろう。先生が死んで、僕一人が生き残って。それで良しとすれば、全ては丸く収まる。最初からそうしておけば良かったのだ。そうすれば、先生の苦しむ顔なんて。
「諦めて、他のメニュー考えるかも。何度作っても試作品が美味しく出来上がらんのなら、一から考え直した方が早いやん?」
「……それもそうですね」
「……参考になった?」
「ええ、おかげさまで。……僕、そろそろお使いに戻りますね」
ご馳走様でした。そうお礼を言って立ち上がる。
「待って待って。プイス君、まだ薬の代金渡してない」
そう言うカーティスさんから手渡されたのは。
「カーティスさん。これは受け取れません」
薬の代金にしてはかなり額が多い、金貨一枚を手渡されたのだから。咳止めのシロップなんてせいぜい銅貨三枚が相場だろう。銅貨三枚でカーティスさんの食堂のご飯一食分、銅貨三十枚で銀貨一枚、その銀貨三十枚で金貨一枚。あの赤レンガの家で暮らすには一月分の生活費になる。
「ええねん。いつもうちの人共々お世話になっとるんやし」
「でも、それを言えば僕達だってカーティスさんにはお世話になってます」
「二人に世話になっとるんは私らだけちゃうねん。この街のみんなが、プイス君の薬に助けられとるんよ。それ考えたら安すぎて全然足らんくらいやで。ええから受け取って。親戚のおばちゃんから貰う小遣いくらいに考えてくれたらええんやから」
雄牛の国の訛りに圧倒されて、金貨を握らされてしまう。
「……すみません。気を使わせてしまって」
「気ぃなんか使っとらんから、そっちこそ気にせんといて。プイス君もこの街の子供の一人なんやから、何か困ったことあったら気軽に私らを頼ってくれてええんやからね?」
「……ごめんなさい……。ありがとうございます……」
滲む視界を誤魔化すように頭を下げる。だけど潤む声は誤魔化せなかった。カーティスさんの赤切れだらけの手が、僕の下げた頭を撫でる。その手の温かさに我慢出来なくて、次から次へと涙が溢れてきてしまった。
突然泣き出してしまった僕を、カーティスさんは笑わずに慰めてくれた。涙の止められない僕を、カーティスさんはただそっと抱きしめてくれた。人前で泣くつもりなんてなかった。願いを叶える呪歌を使ってから、一度も泣いたことなんてなかった。なのに、カーティスさんの前では涙が止まらなかった。止められなかった。
「……落ち着いた?」
「ごめんなさい……」
「何をルイスせんせに隠しとるんかは知らんけど、素直に言うてみ? あんな優しい人見たこと無いもん、ルイスせんせなら絶対怒らんと聞いてくれるって」
涙がやっと落ち着いても、カーティスさんは僕の頭をずっと撫でてくれていた。それが嬉しくて、申し訳なくて、ありがたくて。
「……もっと、もっと強くなりたいです。先生のように、カーティスさんのように」
「私なんか、強うないよ。私から見れば、プイス君の方がずっと強う見える。だって、何度やっても上手くいかんこと抱えてるのに、うちの人が苦い薬嫌いなん覚えててくれたやん? 自分に余裕無い時、そんなん出来る人なかなかおらんで?」
カーティスさんは、不思議な人だ。どんな時でも温かいご飯ととびきりの笑顔で食堂の利用客を出迎えてくれる。そうして、時たま悩みを抱えた人に真摯に向き合ってくれて、とびきりの笑顔にふさわしい言葉で傷付いた心を癒してくれるのだ。カーティスさんの言葉は、まるで魔法。僕達が使っていた人殺しのための魔法より、ずっと人のためになる。僕も、この人のように人を救うために魔法を使いたい。人を救うための、魔法を使いたい。人を救うために存在する、魔法使いになりたい。そのためには、まずは先生を救わなくては。願いを叶える呪歌に願った、先生と共にあの戦場を生き延びる未来を手に入れなくてはいけない。
「大丈夫。プイス君ならなんとかなる。独りじゃどうとでもならんでも、プイス君にはルイスせんせがおるやん。プイス君には私らがおるやん。ほら、二つの頭は一つに勝るって昔から言うやろ? 賢いプイス君の親代わりがルイスせんせなんやもん、二人一緒やったらなんだって解決するって」
「……カーティスさんは占いでもされてるんですか?」
「え、何いきなり。してへんけど」
「いえ、あまりにも僕の悩みのど真ん中を突いてくるものですから……。少し気になっただけです」
「あ〜……。なんて言えばええやろなぁ……。何となくわかるんよね。あ、今この子の話聞いたらなあかんなって。女の勘っていうか、女将の勘っていうか」
「……そう、ですか」
「ちょっとは元気出た?」
「ええ、おかげさまで。……何から何まで、ありがとうございます……」
「お礼なんかいらんのよ、ただのお節介でやっとることなんやから」
「僕、そろそろ行きますね。もうすぐお昼時ですし」
「あ、せや。次来る時でええねんけど、赤切れ用の軟膏が欲しいんよ。おばあちゃんの昔ながらの知恵もええけど、私の赤切れにはプイス君の作った薬が一番よう効くわ」
「わかりました。また持ってきますね」
そう言葉を交わして、カーティスさんの営む食堂を出る。外に出た途端、冬に向かう冷たい風がひゅるりと僕の頬を撫でていった。




