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呪歌使い戦記第八話

 死者は、連れて帰れない。遺体は、戦場に置いて帰るしかない。先生の亡骸も、この草原の土の下に置いて帰る他ないのだ。掘られた穴の中、たくさんの兵士達と共に眠る先生に土が被せられる。降り始めた雪が、戦場となった草原に白いベールをかけた。

 獅子の国の兵士達が、先生の首元にあったループタイ、それと汚れた魔導書を遺品として手渡してきた。ループタイは僕の首に、魔導書は僕の鞄に。重くなった鞄を肩にかけて、元来た道をたどった。

 兵士達の帰りを待ちわびていた王都の人々は明るい笑顔に包まれている。王城の兵士から聞いたことには、あの戦いで獅子の国の勝利が決まったらしい。竜の国の使者が降伏の報せを、終戦の報せを持ってきたらしい。それは王都の民草も知ることとなり、お祭り騒ぎだと言うのだ。……もういないのに。守りたかった人は、もういないのに。あの草原の土の下に、残してきた兵士達は何人も何十人も何百人もいたのに。どうして笑っていられるの。

 竜の国の呪歌使いを倒した僕は、竜の国との戦争を終わらせるきっかけを作った僕は。英雄だと祭り上げられた。大切な人一人守れなかったこの僕が、英雄? この国の国王陛下は何のご冗談を。丁重にお断りして、すぐに王城を出た。二人で住んでいたあの家に帰るために。

 王都を出た直後は、僕を英雄扱いする人達から早く離れたくて急ぎ足で街道を進んだ。隣からあのテノールが聞こえないのが辛くて、寂しくて。歩はどんどん遅くなる。心は飛んででも今すぐあの家に帰りたいのに、体はそれを拒む。帰りたいのに、足が進まない。王都からいつも買い出しに行く最寄りの宿場街まで五日もかかってしまった。……行きは三日で済んだのに。


「おかえり、プイス君。ほい、これ。おうちの鍵な」

「……ありがとう……ございます……」


 先生が家の管理を頼んでいた、小さな宿場街唯一の食堂の女将さんであるカーティスさんから預けていた家の鍵を受け取る。


「……ルイスせんせは一緒やないの?」

「はい……。その……えっと……」

「……そっかぁ。ま、おうちの掃除が落ち着いたら何時でも食べにおいで。一人でも、二人でも」

「すみません……」


 カーティスさんは、先生と仲が良かった。そんな彼女に、先生がどうなったかなんて言えない。僕には、言う勇気なんて無い。逃げるように、食堂を後にした。

 当面の食料を僅かに残った路銀で買い込んで、走るように家へと急ぐ。誰にも会いたくない。誰の顔も見たくない。この家を出てから、満ちた月が再び満月になるまでを二回繰り返したのだ。カーティスさんに預けていた鍵で分厚い木製のドアを開ければ、当然ながら埃まみれだった。カーティスさんに頼んでいたのは飼っている鶏と畑の世話だけ。家の中の掃除は頼んでいなかった。急いで掃除しなければ、先生の咳に悪い。はたきを手に取った時、思い出した。……そうだ。先生はもういないのだ。この家に帰って来れなかったのだ。いないのなら、急いで掃除しなくたって。はたきを放り投げて、部屋へと戻る。二階の、天窓のある部屋。唯一の僕の居場所に戻った。

 僕の部屋も、やはり埃まみれだった。家って、二ヶ月誰も入らないだけでこんな埃まみれになるんだ。……せめて換気だけはしておこう。窓を開ければ、夕暮れの近い冷たい風が吹き込んで埃を舞い上げる。それを眺めるうちに、眠気が襲ってきた。一人ぼっちの宿は上手く眠れなかった。ここ数日の寝不足と疲れから来る眠気に身を任せて、着替えも夕飯も済ませないまま埃まみれのベッドに倒れ込んだ。


 気が付けば、東の空が焼けていた。昨日開け放した窓から入ってくる冷たい風に目を覚ました。……朝だ。今日もまた、新しい一日が始まる。今日は、家の掃除をしよう。僕達のいない間に積もってしまった埃を払わなければ。

 まずは居間から。その次は薬の調合部屋、材料を詰めた瓶一つ一つを磨いていく。調合部屋が終われば次は台所、ついでに鍋も磨いてしまおう。使い古して曇った鍋がぴかぴかになったら次は僕の部屋。その次は玄関。そうだ、鶏小屋の鶏に餌もあげなくちゃ。……向かいの部屋に、入る勇気は無い。二階北側の部屋には入れない。家中埃を払ってぴかぴかにしても、先生の部屋に入ることは出来なかった。

 そうして、自室の天窓から見える月の形がちょうど一周した頃、やっと先生の部屋を掃除する決心がついた。部屋に入ったらまずは換気をして、布団を干さなくてはいけない。本棚にしまい込んでいる本を引っ張り出して虫干しもしなくては。やることは多い、やらなくちゃいけないことが多いのだ。なのに一月もの間、部屋に入ることが出来なかった。今日こそは、掃除を終わらせなくては。

 意を決して、ドアノブを捻る。埃の薄く積もった中を窓に向かって一直線。勢いよく窓を開けて、春に染まる外気を引き込んだ。次は、次は……。


「……先生」


 どうして、いないの。どうして、ここにいないのですか。どうして。


「僕なんかを守ろうとしたのですか……」


 先生、先生。教えてください。僕の涙の理由は何ですか。どうすればこの涙は止まるのですか。僕の胸元で煌めく、形見になってしまったループタイを握りしめた。先生、先生。どんなに問うても、どんなに教えを乞うても、僕に知恵を授ける声は聞こえなかった。


「……………………先生……」


 埃まみれの床に這いつくばって、涙に濡れる袖が埃を絡めとるのを眺めた。

 …………泣いている場合ではない。布団と本を虫干ししなければ。かびが生えてだめになってしまう前に掃除を終わらせなければ。

 布団と本を全て外に引っ張り出して風に晒す。布団は日向に、本は日陰に。我が家の蔵書は多い。孤児院の神父様が持っていた本よりもずっと多い。これは薬の調合の本、これは基本の呪歌の文言と旋律を集めた本、これは僕の大師匠にあたる人が書いたという料理のレシピ……。……そういえば。この家で読んだ記憶のある本が一冊無い。どんな表紙だったっけ。中のページは覚えている。知らない人の文字が並ぶ中、先生の几帳面な字が補足説明を加えていた。あの本の中身は確か……。


『願いを叶える呪歌』


 そうだ。先生が眺めながらため息を吐いていたあの本が無い。十一歳の時、好奇心で開いて先生に怒られた、あの本が無い。先生の部屋の本棚は全てを引っ張り出した。文字通り一冊残さず引っ張り出して虫干ししている。つまりあの本は本棚に無かった。じゃあ今はどこに。どこにある。あの本を、あの呪歌を使えば、もしかすれば。

 慌てて二階へと駆け戻る。どこ、あの本はどこ。部屋の全てをひっくり返す勢いで探そうとした、その時。


「……あった……」


 手始めに開けた先生の物書き机の引き出し、その中にあの本はあった。あまりにもあっさりと、あまりにもあっけなく見つかったものだから、拍子抜けしてしまった。

 中を開けば、記憶の通り。誰かの文字に先生の字が寄り添っている。あの時の僕は書き足された補足説明を読んでこの本がやっと呪歌を記したものだと気付いたが、子供の僕がわからないはずだ。先生の文字は獅子の国の言葉を、誰かの文字は鯨の国の言葉を使っている。それもだいぶ古い……歴史書でしか見たことの無いような言い回しを使っている。癖のない綺麗な字だが、鯨の国の古い言葉であれば話は別だ。まずはこの文を解読するところから始めなければ。……先生も、このことに悩んでいたのだろうか。鯨の国の古い言葉で記したこの呪歌に、ため息を吐いていたのだろうか。確か、蔵書の中に鯨の国の言葉の辞書があったはず。あれを使えば僕にもこの本が読めるだろう。……あの宿場街に鯨の国の生まれの人がいれば、協力を乞うことが出来ただろうか。カーティスさんは雄牛の国の生まれだって聞いたことがあるけど、それ以外で外国の出身は……、聞いたことがない。僕独りでやるしかない。


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