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呪歌使い戦記第七話

 ここから王都へは歩いて三日はかかる。王都へ向かう馬車は当然出ているが、先生は乗る気がないようだ。冷たい風の吹きすさぶ街道をひたすら歩いた。僕はその後ろを置いていかれないようについて行くだけ。王都への道中、僕達の間に会話らしい会話はほとんどなかった。

 王都についたのは、愛しい赤レンガの家を出て三日後の昼過ぎ。城門の警護兵は先生の顔を知っていたらしい。声をかければすぐに城門を通してくれた。

 城の一室を客間として与えられてすぐ、先生は何処かへと出かけて行った。……おそらく、大人達の集まりだろう。先生に無理言って着いてきた僕はまだ子供。その中に交ざることは出来ない。大人達の話には交ざれなくても、大人達の訓練には交ざることが出来る。戦場で魔法以外の手段で先生を守れるように、付け焼き刃ながら剣術の稽古をつけてもらった。

 大人達の話と、大人達の訓練は進む。戦争に向けて、決戦に向けて。いよいよ、僕達も決戦の時。戦場へと発つ日がやってきた。夜明け直前、出立の時。先生から一本のナイフを受け取った。銀で出来た、一本のナイフ。この国を守護するという赤い瞳の白い獅子。柄頭が獅子の頭の形をしていて、目の部分に血よりも赤い石がはめられている。銀は、魔を祓う。獅子は、魔を討ち滅ぼす。僕の為にと作ってくれたらしい。有難くいただいておこう。

 そうして、獅子の国の軍と共に東へと向かう。東の隣国、竜の国との国境付近。王都から三日、決戦は四日目。……僕達が暮らしていたあの家が近い。絶対に勝つ。この草原は、僕達の家は、僕が絶対に守ってみせる。

 ……道中、兵士達の噂を耳にした。竜の国の軍に、死神がいると。それを見たものは生きて帰れない。黒い花びらに見惚れていたら、血に染まった赤い槍で胸を一突きだと。赤い槍。夢で見た竜の国の呪歌使いも、赤い槍を持っていた。死神と呼ばれ、恐れられるほどの呪歌使い。どんな人だろう。……戦時中でなければ、敵国の人でなければ、話がしてみたかったな。


 いざ、決戦の時。この勝敗でこの国の未来は決まる。

 獅子の国、竜の国、両軍共に兵は一万。歴史的には戦争で大きくなった獅子の国から、戦争で独立したのが竜の国。両方とも戦争は強い。強いが故に、互いの消耗が激しい。僕達は、ただ消耗するだけの戦を早く終わらせるために、兵達の命を守るために、この戦場に呼ばれたのだ。

 鋭鋭応。空気を震わせる兵士達の鬨の声。始まった。始まってしまった。春を待ち侘びる灰色の平原を踏みにじる鉄の足音。鎧を着込んだ兵士達の足音が前へ前へと進んでいく。

 先生も、その身をふわりと宙へ浮かして行ってしまった。空を飛んで、行ってしまった。僕はこの足で先生を追いかけるしかない。

 剣を交え、槍を振るい、放たれた矢に倒れゆく兵士達。そしてその上に響く呪歌使い達の歌声。ここまで全て夢の通りだ。探せ、先生を探せ。僕を狙う剣や槍から逃げ回って、戦場を駆け回って。


「先生!」


 張り上げた声に応えたのか、先生の声が聞こえた。あのテノールの歌声が聞こえた。見上げれば、黒い花びらが二枚。二人の呪歌使いが空を飛んでいた。髪の短い方が先生、ならばもう一人……長い黒髪を風にたなびかせる方が竜の国の呪歌使い。あれが、死神。死神と恐れられる、竜の国の呪歌使い。裾の長い黒いローブと、遠目に見てもわかるくらいに美しい黒髪。噂通り確かに見惚れてしまう程に美しい花のようで、背筋が寒くなる。見惚れているうちに、血に染まる赤い槍で殺されてしまうのだ。見惚れている場合じゃない。上空にいる先生を守るには、どうすればいい。ここから防護壁の呪歌を使うか? そもそもここから呪歌を使って、あそこまで届くのか? そもそも効果が発揮出来ているかもまだ知覚出来ていないのに、僕の歌声が効力を持つのか? 頭の中、不安が渦巻いて硬直する僕を置いてけぼりにして、二人の呪歌使いは戦場の空を飛び回りながら戦っていた。

 大きな火の玉、黒曜石のナイフ、氷の礫、音の刃……。先生の優しいテノールと、竜の国の呪歌使いの力強いバリトンによって力を持った呪歌が空を彩る。どれも当たれば命を落とすだろうことははっきりと想像できる。

 ……竜の国の呪歌使いの実力は圧倒的だった。先生が一方的に傷付けられて、不利に追い込まれて。不意に、先生の体が揺れる。目を凝らしてみれば、咳をしている。先生は喘息を持っていて稀にだが激しい発作が出る、まさかこんな時に出るなんて。竜の国の呪歌使いに与えられた好機、戦いに慣れた竜の国の戦士がそれを見逃すはずもない。竜の国の呪歌使いのバリトンの歌声が聞こえる。だめ、させない。膨れ上がる火の玉が先生目掛けて飛ぶ直前、防護壁の呪歌を叫ぶように歌った。

 戦場の上空で火の玉が炸裂した。その衝撃は地上にも襲いかかって、両国の兵士たちから悲鳴が上がる。先生は無事なのか。目に焼き付いた火の玉の残影を振り払って、先ほどまで見上げていた辺りに目を向けた。

 いた。まだ空にいる。あんなに大きな火の玉がぶつかったのに。防護壁の呪歌が効力を持った証拠だ。あの夢を正夢になんかさせない。何故まだ自分が生きているのか、不思議そうに周りを見回している。そんな先生を他所に、竜の国の呪歌使いは突如姿を消した。敵前逃亡か、そう思った瞬間。


「ひいっ!」


 目の前に突然現れた黒い花びら、赤い槍。空にいたはずの竜の国の呪歌使いが、いきなり僕の目の前に姿を現したのだ。どうして、総毛立った体が縮こまって身動きが取れなくなる。

 相対する蜂蜜色をした小さな虹彩の瞳が見開かれて、僕の命を刈り取らんと死神の槍が向けられる。逃げなきゃ。なのに恐怖に足が動かない。逃げられないなら、死あるのみ。結局、こうなるのか。僕はあの赤い槍に殺されるのか。世界の音が一瞬のうちに遠のいていく。その中で、ある音を聞いた気がした。獣が吠えるような声。聞いたこともない、獅子の声。獅子の国を守護する聖獣、銀獅子の吠える声。そうだ、僕にはあれがある。僕の懐にはあれがある。先生から貰った、銀獅子のナイフがある。せめて、少しでも時間を稼げれば。ローブの下、赤く目を光らせる銀獅子のナイフの柄を握りしめて、あの赤い槍を睨みつける。付け焼き刃の剣術で、ナイフを抜こうとしたその時。僕の目の前にもう一枚の黒い花びらが立ちはだかった。花びらの裾に煌めくあの金糸は……!

 ナイフを抜く手が止まる。目の前の光景に、時間すら止まった気がした。

 花びらを貫く、あの赤い槍。ぽたぽたと落ちていく、赤い雫。冬の草原を染め上げる赤い水が、鉄臭い水が、流れて、落ちて。


「あ……あ……」


 声が、震える。そんな、そんな。


「先生!」


 体を貫いた槍が引き抜かれ、支えを失った体は冬の大地へと崩れ落ちた。


「……竜の国へ来い」


 動かない体に縋り付く僕に、竜の国の呪歌使いは言う。


「竜の国へ来て、私の弟子となれ」


 何を、何を言っているのだ。この竜の国の呪歌使いは。


「お前の師は、今ここで死んだ。今からは、私がお前の師となる」


 その言葉に、獅子が牙を剥いた。銀獅子の牙は、ナイフは竜の柔らかい鱗を、皮膚をいとも容易く斬り裂いて。ローブという鱗に縫い取られた魔除けの紋様も引き裂いた。

 ふと我に返った時、赤い槍を振るった死神は地に倒れ伏していた。黒地に金の装飾を施した鱗の黒竜は、死んでいた。その傍らには、僕の先生も。

 気が付けば、戦は終わっていた。気が付けば、戦場は静まりかえっていた。竜の国の軍は呪歌使いが倒されたと見るや、すぐに撤退していったらしい。……だから、何だと言うのだ。朝は晴れていた空も、僕の心を映したかのようにどんよりと曇り始めていた。


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