呪歌使い戦記第八十三話
三か月ぶりの我が家は予想通り埃まみれだった。いや、予想以上に埃が厚く積もっていた。庭の薬草畑と鶏小屋は手入れを頼んでいたから酷く荒れてはいなかったが、こちらも多少の手入れが必要だろう。これは今すぐ掃除をしないといけない。荷物を置いて急いで埃を払おうとした時だった。
「プイス」
先生に呼び止められる。何だろう。そう思った瞬間、後ろから強い力で抱きしめられた。
「先生? 離していただかないと掃除が……」
「……」
無言の先生に抱きしめられたまま、時間が過ぎる。無駄な肉の無い薄い体から背中に伝わる体温を感じながら、窓から差し込む光に舞い漂う埃が照らされて煌めくのを眺めていた。
「……プイス、プイス。やっと……やっと帰ってこられたな……」
「……ええ。やっと、やっと叶いましたね。僕達の願い……」
胸に回された腕に触れる。何度も、何度も僕を抱きしめてくれた腕。何度も僕を撫でてくれた右腕、戦場で僕を庇って傷付いた左腕。無駄な肉の一切ない細い腕は、かすかに震えていた。
「……お前と出会って、どれほどの時が経っただろう。お前をあの孤児院で見つけて、早十二年。だが実際はどうだ。お前を救おうと日々を繰り返して、お前が繰り返した日々すらも走り抜けて。もはや数えるのも困難を極める。その中でお前とこうしてこの家に帰ってきたことがただの一度だってあっただろうか」
ただの一度だってない。ただの一度もないから、僕は。僕達は。
「プイス……プイス……。諦めないでいてくれてありがとう……。私の命を諦めないでいてくれてありがとう……。お前のおかげで、私はこうして……」
「それは僕のセリフです。先生が最初にあの呪歌を使ったから、僕の命を諦めないでくれたから、戦場で雲の上から落ちる僕を諦めないでいてくれたからこそ、僕は……」
庭に面した窓の外。陽だまりの中羽を乾かしたばかりの蝶がひらひらと飛んでいる。王都に向けて家を出た時はまだ冬の深い頃だったと言うのに、いつの間に春が来たのだろう。いつの間に、春が来たと言うのだろう。
「……まずはこの言葉を言わねばならんな。……おかえり。おかえり、プイス……。こんなに長く家を空けて、何処へ行っていたんだ……」
「帰るのが遅くなってごめんなさい、ただいま帰りました。……先生も、おかえりなさい。門限、とっくに過ぎてますよ……」
「……ただいま、プイス……。ただいま……」
埃の舞う部屋の中、きつくきつく抱きしめあう。離れないで、何処にもいかないで。先生、先生。
先生と二人、揃ってこの家に帰ってきた。やっと、やっと僕の願いが叶ったのだ。悪魔が差し出した禁忌の果実、それはもう僕の手を離れた。僕達の手を離れた。だからだろうか、視界が滲むのは。
「プイス……プイス……」
「先生……先生……」
長い抱擁の間、世界の音は遠ざかっていた。鳥のさえずりも、風が庭木の枝を揺らす音も、何もかもが僕達を遠巻きに眺めていた。水っぽく鼻をすする音二つすらも、酷く遠い音のように聞こえていた。
「……先生、そろそろ掃除を始めないと夜になっちゃいます」
「……そうだな……。……日が暮れないうちに始めるとしよう、片付けなければいけない場所は多いぞ」
そう言いながら、互いの腕は緩む気配が一切なかった。生きてこの家に帰ってきたことを確かめるために、ただ互いの体温だけに意識が向いていた。
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