呪歌使い戦記第七十四話
駆け足で丘を駆け下りる。完全に日が暮れないうちに王城へと戻るべく急いで南門をくぐれば、王都は夕食時に賑わっていた。赤レンガの家に一番近い宿場街と違って、王都にはたくさんの食堂がある。夕食をその食堂で済ませる人が多いのだろう。祭りの日のように人でごった返す中、人ごみに足を取られて先生との距離がみるみる内に離れていく。
どうしよう。先生が僕とはぐれたことに気付いたらまたパニックを起こすのではないだろうか。追いつこうにも、僕は土地勘がない。何処をどう歩けば王城への近道になるのか、先生に追いつけるのかなんてわからない。一方、先生はこの王都で生まれ育った。この時間帯に混む場所の歩き方は熟知しているのだろう。何とか追いつかなければならないのに、人ごみの歩き方なんて習ったことがない。
「そこの若いの。こちらだ」
不意にかけられたバリトンよりも低いバスの声。竜の国の呪歌使いや軍医の声よりも低い音域にある、甘さを孕んだバス。足踏みをする僕への助け舟。王都の人々より、先生よりずっと背の高い人が先導してくれた。僕より頭一つ分大きな背中を追いかければ、すぐに人ごみを抜けることが出来た。
「すみません、ありがとうございました」
「いや……。ここは人が多い、大切な人とはぐれないように気を付けて」
それだけ言い残すと、その人はまた人のごった返す大通りに消えていった。……何だか、もう少し聞いていたくなるような声の人だったな。
「……あれ? プイス?」
先を行っていた先生が振り返る。思った以上に距離が開いているのを不思議そうな顔で見ていた。
「すみません、人ごみで足止めをされてしまいまして。何分ここまで人が多い通りを歩くのは初めてなものですから……」
「そういえばそうだったな。すまない、こちらこそ遅れているのに気付いてやれなくて」
「いえ、親切な方に助けていただいたので……」
もう姿の見えなくなった恩人を思い出す。顔すらはっきりと覚えられないくらい短い付き合いの恩人。唯一記憶に残っているのは聞き続ければ頭が痺れそうなくらい甘い声と、肩まであるウェーブを描く黒い髪。そのウェーブする髪が、髪ではない何か……蛇のように見えたことだけははっきりと覚えている。
そのまま、二人で急ぎ足。今度ははぐれないようにと、手を繋いで。……手を繋ぐなんていつぶりだろう。僕が小さな子供の頃は宿場街に行くとき、必ず先生と手を繋いでいた。気が付いたら宿場街に行くときに手を繋がなくなって、一人でお使いに行くようにもなって。気付けば僕ももう十六歳、今更手を繋ぐのは子供に戻ったようで気恥ずかしいというか、何と言うべきか。でも、これで先生の心が落ち着くのなら。
城門を潜るときも手は繋いだまま、王城の客間に戻るときも手は繋いだまま。夕食を食べて、布団に入れば僕は先生の抱き枕。何処にも行かないでと言わんばかりに、窮屈に抱きしめられてしまっては寝返りもうてない。……こんな先生を残して、旅に出るなんて出来ないよ。僕はどうしたらいいのかな。久しぶりに外を歩いた疲れが、抱き合う心地よい体温と共に僕を寝かしつけにくる。……今日くらい、何も考えなくたってバチは当たらないだろう。おやすみなさい、先生。明日には、この城を出るんですよね。うちに帰れる日が、楽しみだなぁ。
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