呪歌使い戦記第六十五話
その日の夜、晩餐会の後。うんともすんとも寝付けない僕は、こっそりと部屋を出た。先生は晩餐会に出されたワインでぐっすり眠っている。あの様子では朝まで起きないだろう。
石レンガ造りの城の中をひたひたと歩く。先ほどまで宴に賑わっていたとは思えないくらいに、その静寂が耳に痛いほどに静まりかえっている。何処に行きたいなんてない。ぐちゃぐちゃになった思考を引っ提げて、ただ頭の冷える場所を探していた。
「おや。プイス殿。かような時間にいかがなされましたかな」
「ぎ、銀の将軍。いえ……実は上手く眠れなくて……」
「さようでございましたか」
「銀の将軍は、どうしてこの時間に」
「夜警でございます。下々の兵らに任せきりと言うのは私の信条に反しまする。苦楽を共に乗り越えてこそ、実戦で良き連携が取れると言うもの」
「……先の戦場での指揮はお見事でした。戦のことは何一つわかりませんが、敗走する竜に追撃の手を打たなかったことが、死者を一人も出さずに済んだ要因と考えております」
「賢将と呼ばれるプイス殿にそう言われては、浮かれて空へ舞い上がってしまいそうですな」
銀の将軍と共に夜の城の中を歩く。明り取りのための小さな窓からは満月の光が照らす中庭が見える。一週間前、夜明けを迎える前のあの中庭に集まったのだ。今は篝火と数人の兵士だけが見える。すっかり静かになったものだ。
「プイス殿、冷えませんか」
「少し冷えますね。春はまだ先でしょうか」
「冷えるならば寝酒でもいかがでしょう。体が温まってよく寝付けまする」
「いえ。僕はお酒を飲まなくて……」
「それでは女官に新鮮な牛の乳でも温めさせましょうか」
「いえ、そんな! そこまでしてもらうわけには!」
「何をおっしゃる。貴方様はこの国の英雄であらせられるお方、あらゆる手を尽くしてもてなしても足りることはありませぬ」
「……では、温めたミルクを一杯だけ……」
銀の将軍の言葉に押されて、温めたミルクをもらう。落ち着ける場所として銀の将軍が提供してくれたのは、城下町が一望できるテラスだった。月の光が落ちる城下町も静まり返っていて、昼の活気は何処にも見当たらない。城下を眺めながら木製マグカップのミルクを口にする。
「……この街を、貴方様は守られたのです」
「……将軍。一つ、聞いていただけますか」
「私でよろしければ、何なりと」
「……僕は、ラーベを……竜の国の呪歌使いを取り逃しました。生きて戦場から逃亡することを許してしまいました。僕達魔法使いは、竜の国の魔法使いを討つために戦場に出た。なのに僕はそれを果たせなかった。僕が英雄だなんて、そんな……」
「……これは、私の持論になるのですが」
そう前置きして、銀の将軍は口を開く。
「戦なぞ、やるだけ無駄です。見ましたか、あの春には美しい萌黄に染まる草原が踏み荒らされた姿を。我が軍の被害は出なかったものの、戦と剣を交えれば必ずや誰かが倒れる」
遠い春を待ちわびる冷たい風の中、ミルクが立てる湯気一つと白い吐息二つが散らされていく。
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