呪歌使い戦記第五十五話
「戯れはこれで終わりだ。安心しろ、お前を殺したらすぐにお前の師もそちらへ送ってやる」
「……あなたに……僕は殺せません……」
声が掠れる。それでも。まだ、まだ道はある。竜の国の呪歌使いにこれ以上罪を負わせない道は、絶対にある。僕が切り開いてみせる。
「命乞いか? それともこの俺をコケにして、惨たらしく殺されたいのか?」
「貴方は、人を殺せるような人じゃない。プイス先生は、そうおっしゃっていました」
「まだその名を騙るか! 決めた。お前の舌を切り取って、喉を潰してから殺してやる。二度と声の出ないように、神の御手の中で歌えぬように、名乗ることすら出来ぬようにしてから殺してやる!」
「……ならば、何故。今の僕にとどめを刺さないのですか。今の僕は動けない、反撃のしようがない。そんな僕を殺すなんて、素手の戦闘にも呪歌にも長けた貴方なら赤子の手を捻るも同然のこと」
ハンカチを結び付けた右手を握りしめる。やはり背中の痛みは大きい。だが先程よりは確実に薄れてきた。せめてもう少し、もう少し時間が稼げれば……。
「今だけじゃない。貴方には、僕を殺す機会なんていくらでもあった。あの吹雪の中で貴方は僕の居場所を完全に把握していた。避けられない大きさの火の玉でも放り込んでいれば今頃僕は。それはしなかった。雲の上でだって。僕の握ったナイフではなく、この胸を直接狙っていたならもっと早く決着はついた」
ラーベの槍を握る右手が震えている。あと少し、あと少しで決壊する。お願い、プイス先生。今一度僕に知恵をお貸しください。
「僕だけじゃない。先生だって、貴方なら開戦直後に殺すことが出来たはず。僕達二人はまだ生きている。それは、貴方が手を下さないから。僕達が死んだとしても、事故で死ぬように仕向けられていた。……雲の上から落ちた時は流石に死ぬと思いましたが」
少しずつ体を起こす。大丈夫、僕の体はまだ動く。動けるならまだ大丈夫。
「開戦前に、過去貴方が立った戦場の記録に目を通してきました。貴方が立った戦場で死んだ兵は数知れず、死に方も様々だった。……貴方が放った魔法そのもので死んだ人はいなかった。魔法が引き起こした事故で死んでいる。貴方が直接手を下した死者は一人もいない」
「何を根拠に……世迷言を……」
握りしめられた赤い槍の穂の先が、かすかに揺れている。皮手袋をきつく握りしめた時の軋むような音がかすかに聞こえる。その手が握る槍は、地面を指している。地面を指して、かすかに揺れている。
「僕に、貴方は殺せない。先生の大事な家族だから。僕に貴方は殺せない、殺す理由も力もない。貴方にも、僕は殺せない。先生からも、プイス先生からも聞いています。貴方は人を殺せる人間じゃない」
「黙れ! お前に俺の何がわかる! お前なぞに俺がわかってたまるものか!」
「証拠はある! 僕が持っていたナイフはない、呪歌は人殺しに使えない。僕に反撃する手段はもう一つも残ってない! そんな僕を何故殺さない! それは貴方が人殺しをしたくないから!」
「私は! 竜の国の兵士の一人だ! 血も涙もない竜の国の兵士だぞ! そんな私が人っ子一人殺せないでどうする!」
「ならば! 何故貴方は泣いているのです! 血も涙もないと言うのなら何故泣いているのですか!」
死神と呼ばれた男の涙が吹雪に染め上げられた草原に落ちていく。
「俺は……俺は……!」
戦場に死神などいなかったのだ。いたのは罪を背負うことに怯える一人の人間。
「私は……私はお前達に勝たねばならぬ。竜は獅子に勝たねばならんのだ……。あの国で! 負けたものに用意される居場所はない! 私が……俺が負けるわけには……」
「兄さん。もう……もうやめよう」
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