呪歌使い戦記第五十四話
「逃げなさい!」
僕のせいだ。僕が瞬間移動の呪歌を失念していたから先生は。
倒さなくては。竜を倒さなくては。僕が、竜を倒さなくては。銀のナイフを握り直し、飛び掛かる。未だ空中戦、空は鴉の専門分野。ひらりひらりとかわされては距離を離される。食いついて、食いついて、獲物を狩る獅子がごとく食いついて! その昔、人は獅子の力を借りて竜を討ったと聞く。その昔、人は銀を用いて竜を退治したと聞く。その両方が、僕の手の中に。竜の国の呪歌使いは僕が絶対に倒す!
綿のハンカチで固定されたナイフは次第に竜までの距離が離れていく。何度目か、距離を詰めようとしたその時。
鴉の絶叫。
肌を裂かんばかりに震える空気が僕の背筋すらも震わせる。何だ、何があった。永遠にも思える長い鴉の絶叫の中、震える右手を左手で押さえ込んだその時。
鴉はあの赤い槍を手放した。垂直上方向、空に向かって投げた。くるくると回る赤い軌跡を描いて槍は雲へと飛んでいく。
どうして。ここは戦場。戦場のど真ん中。武器を手放すなんておかしい。何を思ってラーベはあの槍を投げたのか、何が狙いだ。投げられた槍を見上げながら思考は止まらない。止まってくれない。
戦場で目前の敵から目を離した僕が愚かだった。そう気付いた時には遅かった。竜の国の呪歌使いの巨躯が僕の懐に潜り込んできたのである。黒い皮手袋に包まれた拳が僕の胸に叩き込まれて、息が詰まる。そうだ、竜の国の呪歌使いは接近戦術にも長けている。僕を傷つけることだって呪歌を使うまでもない。投げられた槍はただの囮、僕の気を逸らして隙を作るためだけに投げられたのだ。あの槍は竜の国の呪歌使い自身の魔力の塊、手放したところでいくらでも握り直すことができるのだから。
強い痛みに視界が暗くなった瞬間、浮遊感再び。目の前にあったはずの竜の国の呪歌使いのローブがぐんぐん離れていく。空を見上げる形で再び真っ逆さま。
悲鳴を上げる暇も、飛行への復帰を試みる暇もない。雲の上から落ちるよりずっと早く地面にたどり着いた。背中を強かに打ちつけて呼吸が出来ない。
「悪運の強い奴め。まだ息があるか」
滲む視界を覗き込む竜の国の呪歌使い。空っぽの右手に再び作り出したのはあの赤い槍。
背中が痛い。骨は折れていない。ただ、声が出ない。ナイフも僕の手から離れた。もはや万事休す。いや、まだだ。まだ終わってない。始まってすらいない!
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