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呪歌使い戦記第五話

 目の前に広がる冬の草原。そして黒ずんだ鎧の兵士達。彼らの鎧には獅子の紋、もしくは竜の紋が彫り込まれている。獅子の国と、隣国竜の国を示すもの。つまりここは戦場だ。とうとう戦争が始まってしまったのだ。剣を交え、槍を振るい、放たれた矢に倒れゆく兵士達。これが、戦争。こんなものに、先生は。


「先生! 何処ですか!」


 大混乱を極める戦場の中、黒ずんだ鎧の兵士達の僕を狙う剣や槍から逃げ回って、先生を探す。何処、何処にいるの。必死で戦場を駆け回ってあの大きな背丈を探したのに、何処にも居ない。


「先生!」


 叫んだ時、先生の声が聞こえた気がした。遥か頭上から聞こえてくる聞きなれたテノールともう一人、別の誰かのバリトン。見上げてみれば、二枚の黒い花弁。違う、あれは先生だ。先生ともう一人。歌声が聞こえるのならば、あれも呪歌使い。あれはきっと竜の国の呪歌使い、だって獅子の国の呪歌使いである先生に明らかな殺意を向けているのだから。

 二人の呪歌使いは空を飛び、呪歌による戦いを既に始めている。戦い方も知らぬ僕はただ、それを眺めているしか出来なかった。大きな火の玉、小さな黒曜石のナイフ。呪歌が生み出す奇跡が飛び交って、二人の服を、肌を切り裂いていく。傷付いて、赤い血が溢れ出して。これが、戦争。手足が恐怖に震える。

 どうすれば、どうすればこの戦いは終わる。こんなのを見なくて済む? 戦い方も知らぬ子供の僕には何も出来なかった。先生の言う通りだ。僕なんかが戦場に来て出来ることなど、せいぜい弓の的に、剣や槍に貫かれる案山子になることくらい。大人しくあの家で先生の帰りを待っていれば良かったのだろう、言われた通り何も出来ない子供として。

 後悔の念に押しつぶされそうになる僕を他所に、戦場は刻一刻と状況を変えていく。獅子の国が次第に不利になっていく。金糸の刺繍が施された黒い上着が切り裂かれてぼろぼろになっていく。そんな中、竜の国の呪歌使いが放った氷の礫が先生を襲う。空を飛んでいた先生は氷の礫によって体勢を崩し、地面へ真っ逆さま。どさりと冬の草原に投げ出された体はぴくりとも動かない。


「先生!」


 慌てて先生の許へと駆け寄ってみれば、弱々しいながらも呼吸がある。まだ、生きている。しかし、絶望的なこの状況は変わらない。竜の国の呪歌使いは先生を殺そうと、その手に赤く染まった槍を構えている。だめ、させない。絶対に僕が守る。目の前に立ちはだかった僕の胸を狙って、僕よりずっと体の大きな竜の国の呪歌使いが槍を振りかぶった。あんなのが刺さったら痛いだろうな。痛いで済むのかな。先生、ごめんなさい。

 この戦いは僕達が、獅子の国の呪歌使いが死ねば終わるのだ。こんな簡単なことに、やっと気付くなんて。無慈悲にぎらつく槍が僕の胸へと振り下ろされる瞬間、目を閉じた。


 二度と開かれるはずのない瞼が、ゆっくりと持ち上がる。見慣れた天井、見慣れた天窓。ここは、僕の部屋。獅子の国の東にある草原にそびえ立つ、赤レンガの家。その二階にある、僕の部屋。僕は、死んだのだろうか。頬をつねってみる。痛い。どうやら夢を見ていたようだ。酷く現実感のある夢だった。この夢が現実になったら……そう思うだけで身の毛もよだつ。

 悪夢のせいで寝汗をたくさんかいた。喉がからから、水が飲みたい。下弦の月が天窓越しに僕を見ている、先生も寝ている時間だろう。静かに台所まで移動した。

 階下に降りた時、暖炉には火が燻っていた。火の番をしていたであろう人物はうたた寝をしている、弱い癖にワインなんか飲むからだ。


「……先生……」


 居間の暖炉の前、揺り椅子に座って先生がすやすや眠っている。そばに置いた小さなテーブルに封を切ったばかりのワインボトルと中身の残ったグラス、それと先生の魔導書を載せて。

 先生お手製の魔導書は呪歌の行使を補助する魔法陣を集めたもの。絵や魔法陣を得意とする流派、描く者ルニアードの魔法使いならたいていは持っているものだとか。先生も扱いの難しい呪歌を使う時は必ず手にしている。

 少量の酒で酔い潰れて眠る胸は小さく上下している。……先生を、部屋の布団で寝かせてあげないと。このままここに放置してしまえば、暖炉の火もそのうちに消えて風邪をひいてしまう。


「失礼しますね……」


 眠る先生の肩を支えて、二階へと階段を上る。ここに来た十年で、僕の背丈は先生のそれにかなり追いついた。幼子の目にはかなり大きく見えた先生も、育ってみれば近しい目線に喜びが募る。あの先生に追いついた。それが嬉しくて、悲しくて。背丈だけ追いついても、先生には追いつけない。こうやって体を支えられるようになっても先生には支えられてばかり。だから、僕は戦場に連れて行って貰えないのだろう。自分の身すら守れない子供が戦場に出たって。

 先生を自室のベッドに寝かせる。小さく上下する胸はそのまま。布団をかぶせるついでに、眠る先生の隣へと潜り込んだ。暖かい、生者の暖かさ。僕が戦争に行かなければ、先生は自分の身を守ることだけに集中出来る。そうすれば、生きて帰ってくる可能性だって高いはずだ。もし、もしもの話先生が帰って来なかったら? 死者の冷たさと共に帰ってきたら? 僕のいないところで死ぬなんて。そんなの嫌だ。だけど、今の僕に先生を守る手段も力もない。どうすれば、どうすれば。そんなことを考えているうちに瞼が下がってきた。教えてください、先生。僕はどうすればいいのですか。そういえば、飲みたかったはずの水は飲まないままだったな。思考は眠りの闇に引きずりこまれた。


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