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呪歌使い戦記第三十五話

 恐怖に震え上がる心を、手を抑えつけて、獅子の国の軍は夕暮れと共に明日の決戦に備えた野営に入った。天幕の設営や兵士達の夕食作り、手分けこそするがやることは多い。先生は銀の将軍と軍議、僕は夕食作りの手伝い。今日の夕食は干し肉と豆を大鍋で煮たスープ、薄味の似たような献立ばかりで気が滅入ってきた。あの宿場街で食べるカーティスさんのポトフが恋しい、カーティスさんやハーゼルの声が恋しい。早くあの家に帰りたいな。

 兵士達と共に食べる夕食を終え、天幕の中独りで寝る支度を進めていると先生が疲れた顔で戻ってきた。


「おかえりなさい。今日はずいぶんとお早いですね」

「なにぶん、明日が決戦だ。早く体を休めた方がいいということで解散した」


 寒さ除けでもあったローブは布団の一番外側に。夕食に食べた温かいスープも胃の中で冷え切ってしまうような底冷えから逃げるように、先生と二人で野営用の即席ベッドに潜り込む。


「……」


 眠れない。朝が来れば、明日が来た時、この草原は戦場になる。そう考えて眠れなくなるのは普通のことだろう。何度も何度も、眠れない決戦前夜を過ごしてきた。何度も何度も、この天幕で眠れない夜を越してきた。それは今回も同じ。今回もだめだったら、また繰り返すことになったら。次の始まりはどこまで遡るのだろう。今回の始まりはあの家に着いて、呪歌使いの弟子になった瞬間だった。それよりも前となると、獅子の国北西の港町から南西のこの草原へと向かう馬車の中だろうか。いや、それよりももっと前……港町の孤児院で初めての顔合わせをした辺りだろうか。外を巡回する兵士達の草原を踏み分ける足音が思考を研ぐ。

 頭の中、渦巻く思考を一つ一つ捕まえていると、不意に隣から声がした。


「眠れないのか?」


 閉じられていたはずの目が僕に向けられている。天幕の外、煌々と燃える篝火が透けて先生の瞳を輝かせているのだ。


「……はい」

「おいで」


 細い腕が僕を抱きしめる。いつもよりずっと早い鼓動、どくどくと脈打つ声が聞こえる。


「……聞こえるか、私の生きている音が」

「はい、いつもよりずっと早い鼓動が」

「お前のもずいぶんと早い。……お互い一緒だな、こんなところまで似なくてもよかっただろうに」

「僕は先生に似ていると言われる方が嬉しいです」


 身を寄せ合って、互いの鼓動に耳を澄ませ合う。どくどくと早鐘を打つ鼓動が次第に落ち着いてきて、決戦前夜の恐怖に抱きしめあった体温二つが混ざり合っていく。


「怖いのはお前だけではない。この私だって怖い。明日は、今回迎える明日はどんな形で決着がつくのか。今回がどんな終わり方をするのか、予想もつかぬ未来が今はただ恐ろしい」


 触れ合う体に直接伝わるテノールが、僕の体に温かく共鳴する。この声が明日、戦場で命を奪う旋律として響き渡るかもしれないのだ。先程まで震えていた恐怖とはまた違った恐ろしさがこみあげてくる。


「……先生」

「どうした?」

「あの時言っていた言葉は、本当ですか?」

「あの時?」

「今回の……戦争の報せが届いた時、獅子王陛下の使いに『手駒として死ぬ覚悟は出来ている』と……。手駒ってことは、つまり」

「……それが戦争というものだ。お前が生き残るためであれば私は何だってする。自分の命を投げ出すことも、誰かの命を奪うこともためらったりはしない、出来ない。あの兄の命さえも、お前が生き延びるために必要であるならば」


 落ち着いた鼓動がまた跳ね上がる。先生は僕よりもずっと大人で、僕よりもずっと多くの戦場を見てきたのだ。それくらいの覚悟は出来ていておかしくない、おかしくないのだ。その事実が僕の首に絡まって、締め付けて、上手く息が吸えなくなる。


「戦争というものは上手く出来ている。平常時では斬首になる殺人が、戦争では殺せば殺しただけ英雄扱い。これでは戦争もなくならんわけだ。私が英雄と謳われる未来があったのかもしれない。何せあの死神を、竜の国の呪歌使いを討ったのだから」

「……」

「そんな顔をするな。私がその手段を取るのは必要に迫られた時だけ。そうならぬように上手く立ち回るべきなのが私達だ。両軍の消耗は少なければ少ないほど良い、そんな結末を望まれて私達は戦場に出るのだから」


 僕には、先生のような思考は出来ない、覚悟は出来ない。


「これは力を持つからこそ、魔法と言う力を持つものであるからこその使命。私がプイス先生から与えられたものの一つ。魔法は人の命を奪うためのものではない」

「それは僕もわかっています。理解は……しています……」

「それだけわかっていれば十分だ。さあ、今日はもう寝てしまうとしよう。明日、明日こそ決戦だ」

「はい……」


 プイス先生。夢で一度だけ直接の教えを受けたプイス先生。あの人なら今の僕の感情にどう向き合うべきかわかるのだろうか。新たな知恵を授かることが出来るのだろうか。プイス先生、プイス先生。僕に今一度新たな知恵をお授けください。プイス先生。先生の成人祝いにと、今は僕が着けている蛍石のループタイを用意していたというプイス先生。五歳だった先生とラーベの二人を弟子にしたプイス先生。夢の中で周りを見ろと僕に気付かせてくれた白金色の髪を持つあの呪歌使い。あの奇跡に、もう一度だけ触れたい。

 いつまで経っても寝付けない僕のために先生が子守唄を歌ってくれるまで、心の中でプイス先生を求め続けた。子守唄が四小節目に入るころには、早鐘を打つ鼓動がすっかり収まっていた。


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