呪歌使い戦記第二十話
「……先生」
「……私は、お前の死を何度も見届けてきた」
「……それは、僕も同じです」
「何度も、何度も。お前が兄さんに殺される場面を見届けてきた」
それは僕も同じ。だって、僕達はあの戦場で竜の国の呪歌使いと、先生の兄弟子と、ラーベと、何度も戦ってきたのだから。そのたびに僕が倒れ、先生が倒れ、あの戦場を何度も繰り返した。
「私の願いは、悪魔の禁忌に願った願いは、あの戦場で私が死んだ時、初めて達成された。これであの日々も終わるのだと、やっとお前の死を見なくて済むのだと。……だが実際はどうだ。死んだはずの私はこうして生きていて、死んだ時の記憶全てを保持している」
それは僕だって……同じであるはずがない。だって僕にはあの戦場で命を落とした記憶はないのだから。
「私の願いは叶った。あの時確かに叶ったはずなのだ。だがどういうわけか私はこうして生きていて、再びお前の死に怯えている。お前が再び兄さんに殺されるのではないかと怯えている。……これまでは、少なくともお前は戦場の外で死ぬような子ではなかった。それが今やどうだ。空を飛びたいと言い出したかと思えば、慎重さのかけらもない行動ばかり」
また、あの顔だ。獅子王の使いが来た夜に見た、酷く疲れ切ったあの表情。互いの願いをさらけ出したあの夜に見た、この世の全てに絶望したようなあの表情。
「もはやあの戦場で死んでくれるなと言うつもりはない。死ぬのが戦争だ、戦場だ。それはわかっている、お前だって理解の上だろう。だが今はどうだ。ここは戦場でも何でもない。市井の人々が生きる街、尊ぶべき命の営みに溢れる場所。兵士たちはこれを守るために戦場に立つのだ。私達呪歌使いも例外ではない」
「……」
「……その戦場に立つ前に、死んでしまっては守りたいものも守れない。仮に……仮の話だ。お前が大きな怪我をして戦場に立てぬとなった時を考えてみろ。私はお前の見ていないところで死ぬことになる」
「……僕は。先生の死ぬところを見たくありません。先生が死ぬくらいなら僕が死んだ方がずっとまし。それでは僕の願いは叶わない。僕があの呪歌に願ったのは、僕と先生があの戦場で生き残る未来」
「ならば何故、己の命を投げ捨てるような真似を」
「……あの戦場で僕が死ぬのならそれは僕の力不足、僕に戦場に立つ資格そのものがなかっただけの話。今の僕はその資格が欲しい。あの戦場に立って、一人の男として守りたいものを守りたい、その資格が欲しい。この飛行術は戦場に立つ資格を得るための唯一の方法なんです」
「その資格を得る前に死ぬのはいいのか?」
「だから、繰り返すんです。あの呪歌が諦めることを許さない。一度願ったからには、叶うまで。行使者が諦めようとしても、諦めさせてくれない。戦場に立つ前に僕が死んだとして、僕と先生が揃っていなければきっとあの日を繰り返す」
「お前が先に死んだとて、私にはお前が死んだという記憶が残る。お前が戦場に立つ前に死んだという記憶が残る。……お前は私を買い被り過ぎだ。私は息子の死を何度見届けても平気な精神異常者ではない。迷い、悩み、苦しみ、神に縋る一匹の子羊、ただの人だ。神の子か、賢者かと謳われた呪歌使いの弟子なれど、私はただの人の子。そこまで頑丈に出来てはおらんのだ」
膝の上に作られた握り拳、僕の頭に落とされた時の赤さはもう引いた。
「もう……私の心が限界なのだ。私はもうお前の死を見たくはない。私ももう死にたくはない。少なくとも、あの戦場ではもう死にたくない。これ以上は、私の心が壊れてしまう。お前とあの戦場を越えた夜明けを、虚ろな目で見たくはない。わかってくれ。私は強くない、これ以上は耐えられないんだ……」
ぽたり。室内に降るはずのない雨が先生の握り拳に落ちる。
「お前が繰り返してきた戦場の数以上に、私は結末を見届けてきた。叶わぬ願いの行く先を、お前の見た数以上に見てきたのだ。お前が平気だろうと、私が平気でなくなってしまった」
落とした視線の先にある握り拳が不意に緩んだ、かと思えば開かれた手が僕に向いて、長い腕が僕の体に絡みついて。
「お願いだ、私を独りにしないでくれ。私はあと何度家族を失えばいい。私はあと何度、家族を失う瞬間を目にすればいい。先生も、兄さんも私の前からいなくなった。お前まで、私を……僕を独りにしようとするのか? 嫌だ……独りはもう嫌なんだ……。プイス……お前だけは私を置いていかないで……」
「先生……」
石造りの食堂に、一人の男のすすり泣きが響くことなく消えていく。司祭なき告解は僕の耳以外に届くことなく消えていく。
僕が、間違っていたのだろうか。先生の言う通り、悪魔の禁忌……願いを叶える呪歌に縋らなければよかったのだろうか。あの禁忌に触れることなく、家族のいなくなったあの赤レンガの家で僕一人。そんな未来を受け入れていれば、こんなことには。十四年前、まだ子供だった先生がプイス先生を目の前で失ったあの日。それと同じ道をたどっていれば、こんなことには。でも、それでは。
僕の選択は間違っていた。僕は二度、選択を間違えた。禁忌の呪歌に触れたこと、先生の苦しみを理解しようともせずに己の身を顧みなかったこと。告解するべきは僕の方だ。なのに先生は僕を一度も責めなかった。ただの一度も、僕の罪を責めてくれなかった。




