呪歌使い戦記第十九話
ごちん。頭に固い衝撃。痛い。何事かと衝撃に歪む視界を持ち上げれば、耳まで真っ赤にした先生が僕を見下ろしていた。固く握りしめられた先生の右手は赤くなっていて、これが僕の頭に衝撃を与えたのは明白。あの怒った姿をめったに見せない先生が、人を殴るなんて。街の人たちも肩を怒らせた先生に驚いているし、ハーゼルや子供達なんか今にも泣きだしそうな顔をしている。
「お前というやつは何度、何度私が言い聞かせても何度も何度も無茶をする! 昨日だってそうだ、お前が生き残った初めてのあの戦場も、私が生き残った初めてのあの戦場も!」
怒号が街中の時を止める。みんなみんな、手を止めてこちらを見つめている。先生の握り拳が開かれたかと思えば、それは僕の胸倉をつかみ上げた。
「お前は何を見ていた! 私がお前の命を軽んじたことがあったか? 私が、お前にその命を軽んじさせたことがあったか? したことがないだろう? 命は大事にしろと常々教えてきたはずだ! だと言うのにお前は自ら怪我をしに行く、死にに行く! 私はそんなことをお前に教えたつもりはないぞ、お前本人が自分の命を軽んじてどうする!」
「ちょちょちょ! ルイスせんせ落ち着いてぇな!」
鬼気迫る形相で僕を怒鳴りつける先生を止めようと、カーティスさんが低い背丈で先生を羽交い絞めにしようとする。
「止めないでくれカーティス。今日という今日こそはこの勇気と無謀を履き違えた馬鹿にわからせねばならん」
「だからって今ここでやらんでもええやん! 話ならなんぼでもうちで聞いたるから!」
小さな背丈の何処にそんな力があるのか、先生を羽交い絞めにしたまま僕から引きはがしてくれた。
「ルイスせんせの大好きなポトフが大鍋いっぱいあるねん、お腹空いてるんとちゃう? うちで食べて行きいや!」
宿場街の男たちが言っていた言葉がある。怒る女に反論するな、と。その言葉を実践するならば今だろう。先生も大人しく昼食時に賑わう食堂の隅っこでカーティスさん特製ポトフを食べていた。
「……ごめんプイス君。それは味方できひんわ」
昼食時の忙しさを越えて客足もいくらか引いて来た頃、僕は先生と肩を並べて正面に座るカーティスさんの目を見つめていた。
「プイス君の気持ちもようわかるで? 私がプイス君やったら命かけてでもうちの人は守りたいし、守りたいもんはたくさんある。けどな、プイス君の行動を褒めてあげることは出来ひん」
「ですが、僕は」
「何度言えばお前はわかる」
「あーもう、ルイスせんせもそこでカッカしなさんな。また熱上がっても知らんで」
「言ってわからんプイスが悪い」
「気持ちはわかるけどもやなぁ……」
事のあらましは適度にかいつまんで話した。兵士の一人として、竜の国との戦争に召集がかかったこと。僕も戦場に立つべく、空を飛ぶ訓練を始めたこと。訓練を始めて二週間、思った成果は出ないこと。
「……とりあえず一個だけ聞かして? 前にプイス君が言っとったなんぼやっても上手くいかんこと、ってそれ?」
「厳密に言うと少し……少しでいいのかな? まあ多少違うところはありますがおおむねはそんなところでしょうか」
「プイス君は早よ上手いこと飛べるようになりたい。ルイスせんせはプイス君が怪我するとこ見たくない、か……」
僕達呪歌使いの蜂蜜色の瞳を向けられてもたじろぐ様子すらないカーティスさん。四つの眼、それ以上の数の視線を向けられていても、彼女は落ち着いたまま。
「両方の言い分はわかった。わかったけど、私が決着つけるわけにはいかん。この話の中心は私やない、プイス君とルイスせんせの二人やもん」
多分、二人には圧倒的に言葉が足らんのちゃうかな。そう付け加えた。
「やって、傍から聞いてる私ですらあんたらお互いの事好き過ぎひん? って思うねんで? なのに今こんだけこじれとるんやろ? やったら単純や、一回二人で本音ぶつけ合った方が早い」
「女将さ~ん!」
ハーゼルがカーティスさんを呼んでいる。ハーゼルがこの食堂で働きだしてやっと一年、読み書きも計算も出来なかったあの子に時たま教えていたのは僕だ。彼女はまだ勉強中の身、おそらく勘定の計算が出来なかったのだろう。
「ああ、ハーゼルが呼んどる。ちょっと席外すで」
カーティスさんが席を外して数瞬、僕達の座るテーブルに沈黙が訪れる。先生は先程の怒りが嘘のようにうつむいている。その表情をうかがい知ることは出来ない。




