呪歌使い戦記第十七話
そうして、わずか二ヶ月の修行が始まった。一日三度の食事と日々に必要な仕事、それ以外の時間を冬に向かう短い日が落ちるまで、空を飛ぶ練習に費やした。
最初は飛ぶ時の姿勢から。空中に浮かぶ時は魔力の風に腰掛ける。この体を前に倒せば倒すほど速く前に進む、腰掛けた体を後ろに倒せば後ろに飛ぶ……。速度を上げるのは怖い。しかしそんなことを言っている暇はない。戦場の空を飛ぶのが遅ければ、竜の国の呪歌使いにとって格好の的になる。速度の制御ができるようにならなければならない。まずは赤レンガの家の屋根程の高さで何度も何度も練習して。
それに慣れたら次は高度を上げる。高度を上げた状態で飛び回ってみるのだ。視界が変われば注意するべきところも変わる。集中力を切らしてしまえば真っ逆さま、そうなってしまえばあの戦場での末路は想像に難くない。
同じ高度を保ち続けられるようになったら高度を上げて上げて上げて、あの戦場で先生とその兄弟子が戦っていた高度まで上げて。この高度でも安定して飛べるようになれば、飛びながら呪歌を扱う練習になる。飛ぶための集中力を一部口ずさむ呪歌に割くと途端に安定しなくなる。体がふらふらと揺れて、視界まで揺れる。揺れる視界に酔って、体勢を崩して、落ちて。その度に先生に助けられて。ここで止まっている暇はない。何としてでも僕はこれをものにしなければならない。何度も飛んでは何度も酔って、何度も落ちて。どうしても上手くいかない。何度やっても呪歌を扱いながらの飛行に慣れない。何が足りない。今の僕には、何が足りないんだ。探せ、探せ。先生に出来て僕に出来ないこと。先生と僕とで違うこと。プイス先生に教わったんだ。プイス先生に教わったから僕は空を飛ぶことの必要性に気付けた。プイス先生の教えを受けた今の僕になら絶対見つけられるはずなんだ!
「プイス!」
焦って集中力を欠いた。地面に真っ逆さま。落ちる僕を見た先生の悲鳴がやけに遠い。魔力の風に乗って飛んでいる時とは違う浮遊感。その数瞬の後、腕に衝撃。受身を取ろうとして草はらについた左手首が痛い。赤くなった手首は宿場街の大工達が梯子から落ちて捻挫した時の足首の状態に似ている。
「怪我は無いか!」
「すみません……、手首を傷めてしまったみたいで……」
「だから焦って無茶をするなとあれほど……! ……してしまってから言っても遅いな。どちらを傷めた、見せてみなさい」
大人しく左腕を出せば、赤くなった手首に息を飲む先生。この怪我では完治に二週間ほどかかるだろうか。完治するまで練習は禁止だろうか。僕が悪いとは言え、自業自得とは言え、短い練習期間がさらに短くなるのは痛い。骨が折れていないだけましだろうか、しかし今の僕にとってはかなりの痛手だ。痛み止めを飲んで炎症と痛みが収まるまで固定だろうか。そう思っていたら、先生が呪歌を口ずさみ始めた。傷や病を癒す効果のある呪歌、僕達が癒しの呪歌と呼ぶ呪歌だ。
先生は、日常の中で魔法を使うことは少ない。元々持つ魔力量が少ない、それ故に呪歌を使うのはここぞという時。それも魔法の発動を補助する魔法陣を集めた魔導書を用意しなければならない。そんな先生が戦場に発つ前に、魔導書無しに癒しの呪歌を、僕のために。
「……どうだ、痛みは引いたか」
「はい……。……すみません、こんな怪我なんかに」
「……予定変更だ。飛行時の安定性よりも落下時の復帰を優先する」
「でも、それでは!」
「私の言いつけを破って、怪我までした大馬鹿者は何処の誰だ?」
そこを突かれては反論出来ない。焦って無茶をするなと言われていたのにまんまと焦って、落っこちて、先生に癒しの呪歌まで使わせてしまった。
「そもそも空を飛ぶ稽古を始めて二週間で同時に呪歌を……というのが早すぎるんだ。兄さんも私も空を飛び始めて一ヶ月でやっと許可が出たと言うのに」
「僕の場合、時間が無いんです」
「それは私もわかっている。だが、時間が無いからと言って雑な練習をしては本当に命に関わる。今からは落下時の復帰を練習しよう」
落下時の復帰。集中を切らして落ちている時の僕達は小石と一緒、下から吹き付ける風を感じながら落ちていくだけ。そこで再度風に乗って空を飛ぶ、というやり方。イメージは洗濯したあとの濡れたシーツを広げて、下から吹き付ける風に載せる。想像出来そうで出来ない。出来なければ出来ないで、何度も挑戦するだけ。
「どうだ、何か掴めそうか」
「だめです。何度やっても全く」
「……今日はここまでにしよう。じきに日が暮れる」
「……はい」
もう一回、もう一回。そう何度も言って挑戦したが、結果はふるわなかった。先生は綺麗に復帰出来るのに、僕には出来ない。続きは明日。明日こそ、上手くいくだろうか。




