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呪歌使い戦記第十五話

 ふと、意識が持ち上がる。目の前が明るい。朝だろうか。そっと瞼を開いた。違う、昼だ。日は天高く昇り、陰が少しずつ東に伸び始める時間。寝過ごしたか。

 いや、違う。ここは僕が眠る前にいた場所じゃない。ここはあの赤レンガの家の、先生の部屋じゃない。何処までも、何処までも広がっていく草原のど真ん中、ぽつねんと独り立ち尽くす大樹の根元に、僕はいた。

「おや、起こしてしまったか? 眠いのならばもう少し眠っていていいぞ、まだ時間はある」

 硬い膝を枕に、僕は眠っていたようだ。見上げた視界は大樹の枝葉の隙間から陽光がこぼれ落ちる穏やかな世界。その手前に、人の顔。長いまつ毛に縁取られた、朝焼けを思わせる蜂蜜色の瞳。三つ編みに長く編んでもその輝きを隠すことの出来ない月の色をした髪。この人は、この人の髪は。


「プイス先生」

「どうした。お前の師はここにいるぞ」


 美しい人。聞いたとおり、美しい人。木漏れ日を受けて煌めく髪は今にも陽光に溶けて消えてしまいそう。色素の薄い白い肌も、白い光の中では霞んですぐに見失ってしまいそう。


「プイス先生。プイス先生……ですよね」

「寝ぼけているようだな? 私はここだ、ここにいる。お前が寝ているうちにどこぞへ行ったりはしない」


 空が白む夜明けの頃、己よりも美しい太陽が来てしまうと顔を青ざめさせる月のように、陽の光の中に溶けて消えていく星々のように。昼間の強い光の中では酷く頼りなさげに見えてしまうプイス先生。なのに、蜂蜜色の瞳に宿る光は、その光だけは陽の光にも負けない。未来が見えると言われても納得出来てしまうくらい、力強い光を湛えていた。


「……先生、プイス先生。教えてください」

「この私に、わかることであれば」

「どうしても、命に代えてでも成し遂げたいことがあるのに、何度やっても何度やっても上手くいかないんです。何十回、何百回と挑んで、成功はただの一度もない。そんな時、先生ならどうしますか?」

「何度やっても上手くいかない、か。それは薬の話か? それとも魔法か?」

「何と言うべきなのか、僕にはわかりません」

「ふむ……。ならば私はこう答えよう。私にはどうしようも出来ぬ、私には今のお前に貸せる知恵は無い」

「そんな……」


 プイス先生ほどの人でも、僕の願いを叶える術は知らないのか。ならば、僕に出来るのはもう諦めることくらいしかないのか。落胆に目を閉じて、後頭部と首筋に当たる硬い温もりに意識を向けた。その時。


「上手くいかないのなら、上手くいかない原因を探れ。薬ならば必要な材料が揃っているか、その材料は適切な形で用意されているか、処方は正しいか。呪歌ならば旋律を正しく歌えているか、文言は正しく発音出来ているか、その呪歌のもたらす効果を心から信じられているか」


 そんな、今の僕にとっては基礎中の基礎。それを今説かれたって。上手くいかない原因がわからないから、今こうなっているのに。


「それでも上手くいかないのであれば、周りの者にあって己に足りぬものを探せ。己より上手く薬を作る者のやり方を盗め、己より上手く呪歌を操る者のやり方を盗め。それだけで、道が開けることもある」


 周りにあって、僕に足りないもの。それは。


「大丈夫、お前ならばやり遂げられる。何故ならお前には………………」


 プイス先生の声が一気に遠ざかる。待って、まだ覚めないで。まだ……!


 開かない目が次に開いた時。今度はもう二度と見たくない光景が目の前に広がっていた。

 鋭鋭応。兵士達の鬨の声を聞いて空へと飛び立って行った先生を、走って追いかける。空に舞う二枚の花びら。空を飛び、呪歌による色とりどりの戦いを繰り広げる二人の呪歌使い。追いかけなくちゃ。追いかけて、先生を守らなくちゃ。

 走れども、走れども距離は埋まらない。伸ばした手と空にいる先生までの距離が埋まらない。

 これは何回目。先生と竜の国の呪歌使いを追いかけて、防護壁の呪歌が間に合わなかったのは。いや、もうどうでもいい。今度は間に合わせて見せる、絶対に間に合わせる! 間に合わせるしかもう道がない!

 混戦を極める戦場の中を、必死に走った。走って走って走って、ただひたすらに二人を追いかけた。

 そして運命の時。間に合った! 防護壁の呪歌が間に合ったのならば、この後は、確か。竜の国の呪歌使いが僕を狙って追いかけてくる……!

 逃げろ、逃げろ、逃げろ。竜に、あの赤い槍に、捕まってはいけない。先生が、僕が殺される。なのに。


「うわっ!」


 あの時と同じように足がもつれた。何回目かの記憶と同じような転び方をした。無慈悲に迫る、あの赤い槍と竜の国の呪歌使い。これは夢だ、夢なんだ。夢なら早く覚めてくれ……! 瞼を閉じて眠っているはずの夢の中、悪夢から目覚めたくて目を強く瞑った。

 次に目を開ければ、そこはまた戦場だった。黒い鎧に身を包んだ兵士達が入り乱れて、誰がどちらの軍の兵士なんだかわかりやしない。その中で先生を探す。これが夢だというのなら、せめて手がかりだけでも教えてくれ!

 僕の首を、胸を狙う剣の舞をくぐり抜けて、いるはずの先生を探す。見つけた。空の上。やはり竜の国の呪歌使いと戦っている。空を飛ぶ二人を追いかけて再び走り出した。

 先生を守らなくちゃ、防護壁の呪歌を使わなくちゃ。なのに、間に合わなかった。地に落ち、力を無くした先生の亡骸を抱きしめながら目を瞑る。僕の体は霜に濡れた草原にお尻を縫い付けられて、一歩も動けない。

 目を開いても、また戦場。空を飛んでいるはずの先生を探して追いかけて、防護壁の呪歌を歌って。

 空を飛んで戦っていた先生を防護壁の呪歌で庇って、竜の国の呪歌使いが一瞬で消えたのを見たと思ったら目の前に現れて。僕を庇って先生が死んだ。はっきりと覚えている。忘れられるはずがない。ここから全てが、僕の地獄が始まったのだ。先生の地獄がさらに深くなったのだ。

 ほら。竜の国の呪歌使いが僕を狙って、あの赤い槍の穂をぎらつかせている。僕の胸目掛けて突き出された槍の穂は目の前に割り込んできた黒い花びらを穿いて。

 どうすればこの地獄は終わる。この地獄を終わらせるために、僕は何に気付けばいい。周りの人間に出来ているのに、僕に出来ないことは何だ。どう探せばいい。地べたに這いつくばって、血反吐を吐いて、それでも答えは見つからない。いっそ先生を引き留めればいいのか? そうすれば、少なくともこの手と先生の距離はずっと近くなる。

 でも、それでは僕達獅子の国の呪歌使いに勝ち目がない。

 戦場の夢の中、もがいてもがいてもがき抜いて。やっと見つけた出口、光の溢れる方へと逃げ込んだ。頭上遥か遠く、輝く太陽のような強い光へと飛び込んだ。




 次に目を開けた時。そこは戦場ではなかった。毎日見ている部屋、横になったベッドから見る先生の部屋。夢、夢だったのか。そうだ、あれは夢だ。全部、全部夢だったのだ。散々繰り返したあの戦場も、あのプイス先生らしき人も、みんな。夢だったのだ。夢だったと言うのならば何故、僕の胸はこんなにも痛いのだ。何故、僕の胸は鼓膜を打つほどに強い動悸がしているのだ。

 隣に先生はいない。隣にあったはずの温もりは、とうに失われている。僕が眠っている間、隣にいたのかもわからない。先生、どこ。先生を探す僕の意識を、鋭い声が切り裂いた。があ、があ。その声は窓の外から聞こえている。何を騒いでいるんだろう。ベッド脇にある窓を急いで開けて、声の主を探した。


「何だ、君かぁ」


 丸っこい黒の瞳を僕に向けて、不思議そうに首を傾げているのは一羽の鴉。巣立ったばかりだろう頃のこの子が、飼っている鶏の餌を盗み食いしていたのに困って代わりにパンくずを与えたら懐かれてしまった。それ以来、毎朝挨拶に来ては何か食べるものはないかとねだりに来るのだ。


「おはよう、今日はいつもの場所じゃなくて悪いね。朝寝坊をしてしまったから朝ごはんはこれからなんだ、いつものパンくずはもう少し待っててもらえるかな」


 そう言葉をかければ彼……彼なのか彼女なのかは判別は出来ないが、とにかくその鴉は不服そうな顔をしてそっぽを向いた。いつもと違う時間にいつもとは違う場所で顔を合わせて、いつも通りパンくずを貰えないことに拗ねてしまったようだ。


「ごめんね。パンくずを用意しておくから、あのお日様が空のてっぺんまで昇った頃にまた来てくれると嬉しいな」


 僕の言葉を聞き届けた鴉はその翼を羽ばたかせて飛び去っていった。太陽に向かって飛ぶ彼の背中を見て、不意にあの戦場を思い出した。曇り空の下、花びらが風に舞うかのように空を飛んでいた先生と竜の国の呪歌使い。

 ……夢の中のプイス先生が言っていたのは、この事なのだろうか。

 あの戦場に立った三人の呪歌使いのうち、僕だけが空を飛ぶことが出来ない。地べたを這うしか出来ない虫のように、土の上を……あの草原を走るしか出来ない。走って、走って、走って、先生に追いつけなくて間に合わなかった時もあった。もし、僕に空が飛べたなら。あの鴉のように、空を飛べたなら。先生達のように、自由に空を飛べたなら。何か変わるのだろうか。


「プイス、起きているか?」


 ドア越しのテノール。僕を起こしに来たのだ。改めて窓の外を見てみれば、いつも目覚める時間にある位置よりもずっと高いところに太陽がある。もうすぐ昼と言えるような時間、文字通りの朝寝坊だ。


「は、はい! 起きています!」


 僕の返事を待って、ドアが開かれる。あの緩い癖にうねる黒い髪、僕が十六歳に近づいても未だ僅かに追いつけない高い背丈、胸元に輝く蛍石のループタイ。そして優しい雰囲気を醸し出すたれ目気味な蜂蜜色の瞳。多少疲れは残っているように見えるが、さっぱりとした表情をしている。


「おはよう、お前にして随分と朝寝坊だな。良い夢は見られたか?」

「……はい、とても良い夢でした。この長い繰り返しを、断ち切る手段を得られたかもしれません」


 ベッドから降りて、履きなれた硬い木靴を履く。追いつくにはあと少し、あと四センチ足りない目を見上げる。そうだ。僕は、先生を救う方法を見つけたのだ。先生と僕とが、二人あの戦場で生き残る手がかりを掴んだはずなのだ。そのためには……。


「先生。教えて欲しいことがあります」


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