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呪歌使い戦記第十四話

「先生。教えてください」

「まだあるのか。お前の知的好奇心は昔から強かったからな」

「先生の先生……僕から見て大師匠になるお人は、鯨の国出身なのですか?」

「……その推論に至った理由は?」

「あの願いを叶える呪歌の本、あれは辞書を使わなければ読めない程に古い鯨の国の言葉で書かれていました。この国で鯨の国の古い言葉が書かれた本を新たに手に入れるのは難しいはず。ならば、大師匠が鯨の国出身であったか、さらにその上の師匠が鯨の国にルーツを持っていたか、になります。獅子の国の生まれであるはずの先生が、僕に鯨の国の英雄の名を付けた。それは大師匠が鯨の国の出身だったから、ではないですか? 大師匠が鯨の国出身だったから、あの本を持っていた。先生がそれを受け継いで、僕の手元へと来た」

「……いやはや。お前の頭脳は恐ろしいくらいだな」


 苦笑を浮かべて、先生は頷く。


「いかにも、私の師は鯨の国の出。名は、……プイス・キャンウィール」

「僕と同じ名前……!」

「……そう。お前の名は我が師からいただいたもの。獅子の国の王都にて人々の悩みや迷いを救い、賢者か神の子とまで謳われた、素晴らしき魔法使いだった」

「……どんな人だったんですか」

「一言で言えば、美しい人だった。星々の繭から紡いだ絹糸を月の光で染めたような髪、夜明け前に白んで焼けていく空のような澄んだ蜂蜜色の瞳。そして何より、国一番……いや世界で一番の腕前を持つ彫刻師ですら彫ることの出来ないくらい整った顔立ちをしていた。そのあまりの美しさに神が作り賜いし預言者と噂する人もいたくらいだ」


 そんな人の名前が、僕に。賢者、神の子、神が作り賜いし預言者……。叶うのならば、僕も師事を受けて見たかった。しかし、そのプイス先生はもう。


「そう。十四年前のあの日、神の御手の中へと還られた。まだ十八の兄さんと、まだ十六の私を置いて」


 うっかり、考えが口から漏れていたみたいだ。僕の言葉に応えるように、紡がれ続ける昔話。


「先生……、プイス先生は、不思議な目を持つ人だった。言うなれば、未来を見る目だろうか。例えば……僕が王都の何処で転んで怪我をするか、近所の犬も食わぬ喧嘩の激しい夫婦の次の喧嘩がいつ起こるか、そういった日常の些細な出来事を予言することが出来た。……だからこそ、あの日のことが忘れられないんだ。先生が神の膝元へと還ったあの日を……」


 まだ子供だった先生の目の前で、その息を引き取ったというプイス先生。些細な日々の出来事を予言出来ると言うのなら、何故その日の大事件を予見出来なかったのだろう。僕にはわからない。僕がその理由を知るには、知恵が足りない。


「……先生を、ただの人間だとそしる者もいた。ただのインチキだと、ただの詐欺師だと。だがそんな奴らこそ先生の起こす奇跡による恩恵を誰よりも受けていたのは事実。それに憤る僕らを先生はただ笑ってなだめようとした。……先生は、優しすぎた。教会の言う神が我ら愚かな人間を愛するように、先生もまた、愚かな人々を愛していたのだから。そんな先生を、愚かな人間が僕達から奪った!」


 握りしめた拳を膝に叩きつける先生。その手はぶるぶると震えていた。


「優しすぎるせいでお人好しに両の足を突っ込んで、その癖人の嘘を見抜くのは得意で、酒が好きで毎晩ビールを飲んでは笑って、誰よりも……僕が今まで見て来た中で誰よりも! 愛の深いお方だった! 教会の言う神よりもずっと、僕達を愛してくれていた! だと言うのに何で、何故! 神は僕達から先生を奪うような真似を……!」


 先生の悲しみは痛いほどによくわかる。自分を愛してくれる人を、理不尽に奪われる。僕だって。……竜の国の呪歌使いは、何を考えていたのだろう。自分から大切な人を奪った神のように、僕から先生を奪ったあの呪歌使いは。どんな気持ちで、僕から先生を奪ったのだろう。あの日の自分と同じように目の前で師を失った僕に、どんな気持ちで弟子になれと言ってきたのだろう。


「……僕は、何も覚えていない。あの日、あの家で何があったのか。気が付けば、先生が倒れていて、兄さんに憲兵を呼べと言われて。無我夢中で走って、家に戻ったら。兄さんはもういなかった。賢者と呼ばれた人の亡骸と、僕を置いてあの家を出ていってしまった。先生がいれば、プイス先生さえいてくれれば、今度の戦争で兄さんと敵として向かい合わずに済んだかもしれない。プイス……私はどうすればいい。どうすれば、兄さんを救える? お前の知恵を貸してくれ……」


 僕の知恵を貸してくれ、なんて言われても。僕一人の知恵でどうにもならなかった。だからこそ、今こんなに苦しんでいるのに。


「ぼ、僕にはわかりません……。あの戦場でどうすればいいのか、あの戦場でどうすれば僕達二人が生き残れるのか。あの戦場でどうすればあの呪歌使いを、ラーベを救えるのか……」


 今の僕には、どうしようもない。あの戦場で二人生き延びる術を知らない。あの戦場で竜の国の呪歌使いを生かす術を知らない。今の僕は、目の前で流れていく先生の涙を止める術すら知らない。こんな僕に、何が出来ると言うの。こんな僕の何処に、知恵という意味を持つプイスの名を名乗る資格があるというの。


「……先生ごめんなさい……。僕には、プイス先生のような知恵はありません。こんな僕が、プイスと名乗っていてごめんなさい。こんな僕が弟子でごめんなさい……」

「な、何を言う。私は、お前が居たからこそ今ここにいる。お前は、私の命を二度も救ってくれたのだぞ」


 細く筋張った手が、僕の目元に触れる。じわりと温もりが広がって、僕の濡れたまなじりから離れて。先生だって、泣いているのに。先生だって辛い思いをしているはずなのに、その辛い思いをさせた僕の涙を拭ってくれた。


「お前が、お前が居たから私は今ここにいる。最初の戦場で、お前が私を庇ってくれたからこそ、私はお前が生き残る未来を勝ち取れた」

「でも、それは僕が先生を苦しめる結果になってしまった」

「そんなことはどうでもいい。私は本当にお前が居なければ今ここにいなかった。お前が居なければ、私は今頃この世界の何処にもいなかったやもしれん」

「……どういう……ことですか……」

「私は、十八歳を迎える年に、プイス先生のいる神の御手の中へ還るつもりだった。神は絶対にそれを許さぬだろうが、先生だけは許してくれる気がして。……先生の元へと逝く前に、先生への土産話を作るつもりでこの国を旅していた。その途中、国の外れにある港町に立ち寄った。その時にな、見つけたんだ。先生のあの瞳によく似た、蜂蜜色の瞳を持つ子供を」


 未だぽろぽろと涙の出る僕をベッドへと横たわらせ、昔話を続ける先生。先生の目元もやはり濡れていたが、さっきまでの悲痛な悲しみは無い。


「その子供の瞳を見て、先生の声を聞いた気がした。生きろと。生きて、前を見て、ただ生きろと」

「……その子供と言うのは……」

「そう。お前のことだ、プイス。あの孤児院の庭で遊ぶお前を見て、私は生きることを決めた。お前の師となり、一人前の魔法使いになるまで育てることを決めた。この命の灯火消えるその時まで、抗うことを決めた。お前は、私の命の恩人だ。お前が居なければ、私は本当に今ここにいなかった。早まった真似を踏みとどまらせてくれた。感謝してもしきれんくらいだ……」


 ベッドに横たわり、布団を被る僕の額に祝福のキスが落ちてくる。


「先生、聞かせてください。プイス先生の弟子になって良かったと思いますか?」

「もちろんだとも。あのような素晴らしいお方に師事を受けることが出来たのは何よりの幸運だと、今でも思っている」

「……先生は、僕を弟子にして良かったと思いますか?」

「お前に出会えたことを、私はあと何度神に感謝すればいいのだろうな。お前が私の弟子になって十年、……今となってはどれ程の年を一緒に居たのかすらも思い出せはしないが、お前と出会えた奇跡に対する感謝は数えることを諦めるほどに神に捧げてきた。お前を弟子にしたことに後悔はない。プイス、これだけは言わせてくれ。私を先生と呼んでくれてありがとう。私の弟子としてこの家に来てくれてありがとう……」

「……先生が居なければ僕は今頃、あの港町で親の背を追って漁師になっていたと思います。先生が居たから、僕は魔法使い、呪歌使いという存在を知った。僕こそ、先生に感謝しなければいけません。僕を弟子にしてくださったことに感謝しています」

「私は、お前の歩むべき道を歪めた存在とも言える。この呪歌使いの、ルイスという呪歌使いの弟子になって後悔はないか?」

「後悔なんか、するはずもありません。感謝こそすれ、後悔なんて麦の実一粒もありません」

「……今日は疲れただろう、もう寝なさい」

「はい……」

「おやすみ、プイス。お前に、プイス先生の加護がありますように……」


 その日は、テノールの子守唄で眠りについた。いつもよりずっと早い就寝時間、久しぶりに聞く子守唄は優しい魔力に満ちていて。こんなに心落ち着く時間はいつぶりだろうか。からからに乾いた畑に水を撒いた時のように、僕の心を満たしてくれる先生の歌声。優しく、静かな眠りに落ちていく。


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