呪歌使い戦記第十三話
「先生!」
僕の足は勝手に動いていた。僕の足は、先生を追って階段を登っていた。
「なんだ、騒々しい」
「先生。お願いがあります」
何度も見て、何度も入って、何度も掃除した先生の部屋。それは今回も几帳面な先生らしく綺麗に整えられている。その中に許可も得ず踏み入って、先生の目を見つめる。
「この私に今更……。何だ、言ってみなさい」
「僕に、今一度先生の力をお貸しください!」
「……何を言うかと思えば……。私は、お前一人しか生き残れる道を作れなかった。そんな私に、貸せる力などない」
「だめです! それではだめなんです!」
僕一人生き残ったって、だめなんだ。
「先生が……先生も生き残らなきゃだめなんです! 僕がそれを願ってしまったから!」
僕があの呪歌に願ったのは、「あの戦場を先生と二人で生き延びる未来」。僕が願った未来は、「この赤レンガの家に先生と二人で帰ってくる」未来。だからこそ、だめなのだ。僕と先生、どちらかが欠けてもだめなのだ。
「僕一人生き残っても意味は無いんです。僕は、この家で先生と生きて行きたい。先生がいなくちゃ……意味が無いんです……。先生を見捨てて独り生き残るなんて絶対に嫌です!」
「……プイス……」
「僕一人の力では、僕の願いは叶いませんでした。先生の力無しに僕の願いは叶いません。先生とこの家で生きていくという僕の愚かな願いを叶えるために、力を貸してください!」
「私の力と言っても……。……今のお前に教えられることがあるかどうか……」
「僕は、先生からまだ何も教わってません。先生のこと。先生の先生……、僕にとって大師匠になる人のこと。……そして先生の兄弟子だった人のこと」
「兄弟子……」
先生の瞳が揺れる。目が泳いでいる。兄弟子が、何か。
「……プイス。一つだけ、約束してくれ。……いや、協力してくれ」
「何でしょう。僕に出来ることであるなら」
「……竜の国の呪歌使いを、生かしてくれないか。お前にとってはこの私の、師の命を奪った憎き相手だと言うのは理解している。私にとっても、愛しい弟子の命を奪った憎き仇であるのも理解はしている。だがそれでも、私はあの人を救わねばならんのだ」
先生の手が僕の肩を掴んで、祈るような目すら向けてくる。あの竜の国の呪歌使いを生かせと言う。僕のこの手は、僕の右手は、あの竜の国の呪歌使いの血で散々汚れてきたのに。
「先生、教えてください。あの竜の国の呪歌使いについて、先生が知っていることを全て」
「……この話は、長くなる。そこに座りなさい」
細い人差し指が示した椅子に腰掛けて、今朝整えたばかりのベッドに腰掛ける先生の顔を見つめる。そうして、口角の下がったその口から紡がれる言葉を待った。
「……これは、どこから話し始めるべきだろうか。あの竜の国の呪歌使いについて、私の兄弟子について語るには、まずは私が魔法使いの弟子になったところから語るとしよう」
ベッドに腰掛け、俯いてぽつりぽつりと先生が話し始める。
「私は元々この国の、獅子の国の王都に生まれた。母は春を売り、父の顔は知る術もない。……このことは魔法使いの弟子になって数年経った頃、周りの大人達が言うことを耳にしただけだから本当かどうかはわからない。そんな私は五歳になる頃、先生に拾われた。この幼い私を拾った先生が、お前から見て大師匠になる」
先生が獅子の国の生まれだと言うのは知っている。宿場街の人達が言っていた、先生が使う言葉は綺麗な獅子の国の言葉だと。ごく稀にあの宿場街で馬車を停める王都の貴族達と近い言葉を使っていると。
「私が魔法使いの弟子になった五歳当時、先生には既に一人の弟子がいた」
「それが、その人が、先生の兄弟子ですか」
「私と同じく、先生に拾われた独りの孤児だったと聞く。年齢は私の二つ上、私が弟子になった当時で七つ。私と違って、呪歌使いとして素晴らしい才能を持った人だった。いや、あの人の魔法の才能自体も素晴らしいが、あの人の人より優れた点は努力を惜しまなかったところだな」
先生の兄弟子、どんな人だろう。どんな人だったのだろう。今、何処で何をしているのだろう。……いや、もうわかっている。どんな人なのか、今何処で何をしているのか。
「……そんな人が、どうして竜の国に」
「……それを聞くか。そこを聞かせる日が、とうとう来たか」
先生の兄弟子が竜の国に渡った理由を、彼が竜の国の呪歌使いとして人殺しに手を染める理由を知りたい。
「……あの日、私は先生と共に王城を訪ねていた。先生は獅子王陛下の良き友、良き相談相手として厚い信頼を得ていた。月に一度は王城へと足を運んでいた、陛下への拝謁のためにな。それに伴としてついて行った日のことの話。……もう十四年も前のことになるか。私がまだ十六歳の子供だった春の、ある日の話」
語る顔がどんどん暗くなっていく。先生があの王城を訪ねた日に、何があったというのだろう。
「……城下の街に構えていた家に、強盗が押し入った。僕と先生が留守の、兄さんが留守番をしていた、あの家に」
先生の顔が戻っていく。子供の頃の、魔法使いの弟子だった頃の顔に戻っていく。
「……あの日のことは正直、あまり覚えていない。何があったのか、あまり思い出せないんだ。ただ、先生が胸を真っ赤にして強盗と共に倒れていたこと、兄さんの手にあの赤い槍が握られていたことだけははっきりと覚えている」
獅子の国で殺人は斬首の刑に処される罪。その罪から逃れるために……。
「その時に、竜の国へ?」
「……兄さんが何を考えて竜の国に渡ったのかはわからない。だが、竜の国に渡ったとするならこの時だろう」
「教えてください。あの竜の国の呪歌使いが、この国の王都に居た頃のことを。聞かせてください、あの竜の国の呪歌使いのことを」
「……あの人の名はラーベ。この国の言葉で鴉の意を持つ名」
思い返されるあの戦場。風になびくあの呪歌使いの長い髪はさながら鴉の羽根を使って染めたような美しい黒を誇っていた。あの髪の色から鴉と名付けられたのだろう。
「あの人は……兄さんは、呪歌使いとしての才能に溢れていながら努力を怠らない、ストイックな人だった。呪歌の勉強に加え、体の鍛錬も重ねるほどに。そんな人だから王都の子供の中で一番喧嘩が強かった。王都で一番のいじめられっ子だった僕を何度も助けに来てくれるほど、優しい人だった。……お前も知っているとは思うが、兄さんは目つきは悪いし、目の下のクマは酷いしで人相が悪い。あの顔で迫られてみろ、いじめっ子なんか泣きわめきながら逃げていったさ」
止まらない先生の思い出話。十四年前の春のあの日とやらに一変するまでは穏やかで幸せに満ちていたであろう、王都での暮らし。
「獅子の王都を離れて十四年、せめて目の下のクマくらいは薄くなっているだろうと思っていたが、まさかあの頃より酷くなっているとは。誰よりも早く起きて、誰よりも遅く寝る人だった。昼は体の鍛錬、夜は呪歌の勉強に勤しんで。先生が体の心配をしても、蝋燭の無駄を怒っても辞めなかったのはひとえに兄さんも頑固なところがあった故だろう。頑固なところは、先生譲りだな」
「……あの戦場でラーベ……あの呪歌使いは何度も僕に弟子になれと言いました。それは、どんな意味があるのでしょう」
「何? 兄さんが、そんなことを?」
「はい。……主に、先生が亡くなった後に……」
「……お前が、まだ子供だからかもしれないな。……私が師と兄弟子を一度に失ったのは、今のお前とちょうど同じ年頃の話。……己が殺した、私の代わりにお前の新たな師となろうとしたのだろう」
そうだったとしたら、あの言葉の意味がそうであったとしたら。あの場で、あの言葉の意味がわかったとしたら、僕は素直にあの人の弟子になれていただろうか。
「……先生は、僕がその道を選んでおけばと思いますか?」
「さあ、どうだろうな。私はその場にいなかったから」
「……あの人は、とても強いです。魔法も、あの槍も、何もかも。僕では全く歯が立ちませんでした。僕には、太刀打ち出来る術がありません」
「お前で太刀打ちする術が無いのなら、私にはもっと無い。プイスの名を持つお前の頭脳に、私の頭脳が太刀打ち出来る術すらないのだからな」
まだ、まだ足りない。この繰り返しを打破するための情報は、足りない気がする。




