愛の詩を贈ろう⑦
ある日の早朝、出店もまだ開いていない市場を歩く。
慈愛の神からの愛情を感じることが出来る朝の散歩が日課だった。
鳥の心地よい鳴き声とパンの焼けるいい匂い。
今日という日をアンヒル神が祝福してくれている、そう思えるような穏やかな陽気だった。
ふと市場の裏路地からの物音に気付く。
チラリと見やると、陽の光が差さない暗い路地の奥で、何かがいた。
慈愛の神官としての象徴、黄色のラインが入った修道服を着たラミアが、静かに歩み寄る。
路地の中で、二つの黒い影がビクリと動く。
「さぁ、おいで。こちらへ」
優しく、柔らかい絹のような声でラミアが声をかけると、二人の小さい子どもが恐る恐る影から姿を現した。
兄妹だろうか、彼らの着ている服は市場で売られている小麦を入れた麻袋を切り抜いたものだった。
ラミアが静かに手を差し出し、暖かい微笑みを向ける。
「さぁ」
細く白い、だがしっかりとしたその手を兄妹は見つめ、しばらくして手を重ねた。
二人を抱き寄せ、ラミアは慈愛の言葉を紡ぐ。
「ニ=リン神から生まれし闇と恐れを照らすアンヒル神よ。慈しみの祝福を与えたもう」
ラミアの暖かさ、優しさに抱かれた二人は目を閉じて、いつの間にか眠りについていた。
──ああ、ともに生きましょう。この世界を美しいと思えるように、この世界に生まれて良かったと言えるように。
―――――――――
暖かい夕陽が慈愛の教会を照らしていた。
その庭先で大量に干された衣類を手際よくラミアが畳んでいく。
「シルバさん、その肩当とマント外したらどうですか?」
「王家の騎士としてそれはできない」
「洗濯物に巻き込んじゃってるじゃないですか! この堅物!」
「どう言われてもいい。騎士だからな」
ラミアの横では夫婦漫才のような掛け合いをパルマとシルバが披露して子どもたちが楽しそうに笑っていた。
「ありがとうございますー、お手伝いいただいちゃってー」
ラミアはテキパキと手を動かしながらもパルマ達に笑顔を向ける余裕があるようだった。
「毎日これやってるんですか……?」
「アンヒルでは子どもたちも一緒に住んでますからねー。さ、これで終わりですー」
ラミアは畳んだ洗濯物の山を叩いて満足そうに微笑んだ。
パルマたちはその洗濯物を運ぶ手伝いをした後、ラミアに話す時間を作ってもらった。
夕陽も沈み、月明かりだけが差す教会の中で、パルマとシルバが長椅子に座りステンドグラスを見つめている。
「ここのは綺麗だな」
「……『ここのは』が余計です」
昼はあたたかな陽気が差すダイバテインも、夜は肌寒い風が通り抜ける。
石でできた広い教会の中は、生地の薄い修道服を着たパルマには少し肌寒い。
肩をさすっていたパルマに、炎をまとった盾の紋章が描かれた白い布がかけられた。
「……マントは外さないのでは?」
「……騎士だからな」
「答えになっていませんが……でも、ありがとうございます」
しずしずとマントを体にまとうパルマ。
その姿を目を光らせて凝視するシルバに、パルマは訝し気な目を向ける。
そんなやりとりをしている間に、手にキャンドルを持ったラミアが扉を開けて現れた。
「遅くなってごめんなさいー。子供たちが中々眠らなくてー」
パルマが咄嗟に立ち上がり、マントをシルバに押し返す。
「いえ! こちらが勝手に来たので」
「皆さんなら大歓迎ですよー! それでお話ってなんですかー?」
「余計なことは言わないように」とシルバへ目で釘を刺す。
ここに来たのはレーベンへの想いを聞くこともあるが、一番の目的は……。
「お話というのは……」
ラミアの持っていた蝋燭が目に入る。短くなるまで使い込まれ、下皿には溶けた蝋が鏡のようにたまっていた。
「ああ、ごめんなさいー。暗いですよねー? お金に余裕がないので照明もあまり置いてなくて……」
「いい方法があります」
月明かりに青く照らされたパルマが手を広げ、その鈴が鳴るように美しい声で神聖なる詩を紡ぐ。
儚げだが、暖かい光の粒が沸き起こり、パルマを囲むように飛び回る。
神聖魔法、十神教の神々に仕える神官のみにしか使えない、聖なる理。
神への想いが力となり、世界に光をもたらす奇跡。
その光に照らされたシルバとラミアの顔は対照的だった。
相変わらずの仏頂面だが頬を少し朱に染めたシルバに、幼子のような笑顔で「すごーい」と手を叩くラミア。
その光は一つの玉となってゆっくりと高度を上げていく。
闇に怯える人々のため生まれた神の光、神聖魔法≪光明≫が教会の中を明るく照らし出した。
「さすがパルマさんですー!」
纏っていた光が消え、一息つくパルマにラミアが駆け寄り、力強く抱きついた。
その勢いによろめきながらも、得意げに鼻を鳴らすパルマ。
「さぁ、気を取り直してお話しましょう」
明るくなり、隅々までくっきりと浮かび上がった教会の中で、パルマとラミアが向かい合って座る。
少し離れた長椅子にシルバが教会の番人のように目を閉じて座っていた。
「お話というのは、あなたのことをもっとよく知りたい。そう思ったんです」
「パルさん! 嬉しいですー!」
ラミアが体を乗り出してパルマの手を思いきり握りしめる。
「私、友達があまりいなくてぇ、パルさんのこと私も知りたいですー」
「え、あ、ありがとうございます……」
沈むように深い青色の瞳がまっすぐにパルマに向けられていた。
少しうるんでいて……泣いている?
握りしめたパルマの手に、ラミアの頬から大粒の涙が落ちていた。
「わだじぃ、ずっど……ずっど……アンヒル神のためにがんばっでぎたんです。世界中の優しさが必要だとと思って……。でもまだまだで……」
「ラミアさん……」
不幸や悲しみに包まれる人々に彼女は手を差し伸べ続けてきた。たとえ自分の生活が苦しくなろうとも。この教会で毎朝行われている配給も彼女の精一杯の行いなのだろう。
人々の苦しみを一身に背負って祈りを続ける毎日を想像し、パルマの経験してきた孤独と重なる。
パルマはいつの間にかラミアを抱きしめていた。
「私も、ずっと外に出るのが怖かった。でも、こうやってラミアさんに会えた。パル=メク神が出会わせてくれた。あなたの愛はアンヒル神もきっと理解しています」
しばしラミアが泣き止むまでその胸を貸した。落ち着いたラミアは鼻をすすりながらパルマに照れたような顔を向けた。
「ごめんなさいー。これからも仲良くしてくださいー」
「私も、初めての友達です」
「え、でもー。シルバさんは……?」
「え、はぁ? あれは、そういうのじゃないです!」
パルマは手を突き出して否定の意を全面に押し出す。
そんなシルバは二人から離れた長椅子に座り、静かに控えているだけだった。
「さ、あんな石の塊のことは忘れて」
パルマは話を挿げ替えるようにラミアの生い立ちを聞いた。
両親はエルフの国で暮らしており、厳格な教えの元でラミアは育った。
母親はアンヒルの元神官で結婚を機に引退した、とのことだ。ラミアもその母の影響でアンヒル神を信仰し、15歳の誕生日、「アンヒル神殿」にて神官となった。
10年ほど神殿で生活し、家には戻らずそのままダイバテインの教会に赴任した。
「エルフの領内では中々他種族の人にも会えなくてー。人は皆平等に愛されるべきだと思ってダイバテインに来たんですー」
「……ご両親とは?」
もう思い出せない自分の両親の顔を思い出しながら、ラミアへ質問した。
ラミアは少し寂しげな微笑みをパルマへ向けた。
「ほとんど連絡は取っていないですー、母はとても怒ったみたいで。だから……」
パルマのもたらした光で照らされた神殿を、ラミアが愛おしげに見渡す。
「私のおうちはここなんですー」
──強いなぁ。
長く迫害に晒されたパルマは自身の殻に閉じこもった。だが、彼女は前を向き続けている。
「これからもずっと?」
「司祭になるのはまだまだだいぶ先ですけどぉ。アルノ、アーミアたちもいるから頑張らないとですねー」
神官の多くは命ある限り神へ身を捧げ続ける。ラミアもそう考えているようだ。
「あなたのお母さまは神官を辞して結婚したみたいですけど、珍しいですね」
「そうですねー、父が積極的だった、というのは聞いてますー。あの真面目な母が神官を辞めてまで、というのはあまり想像できないですけどー」
コロコロと可愛らしく笑うラミアに、パルマは一歩踏み込んでみる。
「ラミアさんは、その、愛している人はいるんですか?」
ラミアはパルマへきょとんとした顔を見せたあと、黄色い声を上げた。
「きゃー! いないですよー! パルマさんは? いるんですかー?」
「ちょ! い、いないですよ!」
ぐいぐいと肘でつつかれながらパルマはフヒヒ、と不気味な声で笑う。
こ、これが同性同士の恋の話……! 小説の中でしか見たことのなかった、憧れ……!
ラミアは膝の上でもじもじと指を動かしながら、恥ずかしそうに言葉をこぼす。
「母のことを羨ましいと思ったこともあるんですけどねー……」
それはそうだ。人は愛を求めてこの世界に生まれ落ちる。だからこそチェロフは恋の物語を描き続けている。人の数だけ物語があるのだから。
「そういえば、以前伺った時のこと覚えていますか?」
「ボロボロのレーベンさんを連れてきてくださいましたねー」
「前もラミアさんに助けられたって」
「はいー、1カ月ほど前からダイバテインにいるそうで、六回目ですかねー」
この短い期間で六回も!? パルマは呆れ驚き、ため息がこぼれた。
「吟遊詩人さんっていうのは結構体を使うんですねー」
ふふっと笑うラミアのかわいらしさ、これにレーベンがやられた気持ちは分からなくもない。
「本当に、いい加減にさせないと……」
「教会ではとても静かで子どもたちとも遊んでくれるし、とてもいい人ですけどねー」
印象は悪くないらしい。オイップの酒場での醜態はラミアには黙っておこう、そうパルマは心に決めた。
「そういえばー」
人差し指を頬に充ててうーんと唸るラミア。
「吟遊詩人って歌うと聞いたんですけどー、レーベンさんが歌っているのは見たことがないですねー」
そりゃあね、歌えないんですから。
レーベンの詩を聞かせることが必要になると思ってはいるが、酒場の件を考えるとあまり聞かせたくない。
パルマはそんなことをグルグル考えて苦い顔になりながら言葉を絞り出す。
「い、いつか聞けるとイイデスネー」
「……私、レーベンさんに嫌われているのかな?って思ってたんですー」
「え!? なんでです!?」
「教会でもあまり目も合わせてくれないですしー。あまり話してくれないんですー」
今では容易に想像がつくその光景。
チェロフが描く物語の登場人物たちも辿ってきた道だ。
「あっ、でもー」
ラミアが手のひらを合わせて言葉を漏らす。
「さっき、市場でシルバさんの腕を掴んでいたとき、助けようとしてくれたんですかねー? それはちょっと嬉しかったかも、ですねー」
そう話すラミアの頬は、少し赤みがかったような色にふわりと変わっていた。そしてそのラミアからほのかに光が見えた気がした。あの時、ダイバテインの街を照らした光の柱に似た、暖かな光。
恋の種を心に宿した慈しみの少女を前に、パルマは見惚れるように口が開く。
「……言葉はレミールの語りのように短く、想いはローナ海のように深く」
開いた口から勝手に出た言葉にパルマは驚く。
『十の心得』その2、言葉を飾らずとも想いは届く。
そう、詩は大事ではない。レーベンの想いを届ける、それが使命だとパルマは改めて心に決めた。
「……ラミアさん」
「はい?」
「……ありがとうございました!!」
パルマはきょとんとした顔のラミアに思いきり頭を下げ、シルバの腕を掴んで出口の大扉に向かって足を速める。
「お、おい。もういいのか?」
「ええ! やるべきことは決まりました!」
足早に去るパルマへラミアが声をかける。
「パルマさんー! また遊びに来てくださいねー!」
顔を上気させたパルマが振り返り、ぎこちない笑顔を見せる。
「ま、また……また明日!」
ラミアはその言葉に目を丸くし、そして顔をくしゃっとさせて笑った。
顔を真っ赤にさせたパルマは心の中でガッツポーズを決めながら、教会を出る。
肌寒い夜風が、火照った体を冷ますようで気持ちいい。
初めての友達、初めての「また明日」。
「さ、今日はもう店じまいです」
「……? 分かった」
パルマはスキップしたくなる衝動を抑えながら、二人は帰路につく。
もうすぐ〈星天祭〉、空を彩る星が今日は特に輝いているように見えた。




