愛の詩を送ろう⑥
「仕切り直しましょう」
再び大人しく成就室に戻ってきたレーベンを逃がすまいと、パルマは心を落ち着けるように語り掛ける。
「普段スラスラと出る詩がラミアさんには出ない、と」
「そう、そうなんです…彼女へ捧げる詩がどうしても…」
それが好きということでは? 口からこぼれそうになった言葉をパルマはぐっと飲み込んだ。
「…よいですか? レーベンさんに必要なのは、覚悟です」
「覚悟?」
「とある著名な人物が示した10の心得、その5『バルトールの前でも踏み出す勇気を』。この言葉があなたには必要です」
「バルトール?」
「そうです。その昔、このダイバテインの街から南の平地で起こった…」
「あ、長くなりますこれ?」
「あなた本当に失礼ですね。はあ…昔バルトールという最強の戦士がいました。そのバルトールの前には何人も立つこと出来ず。それでも一人の農民が自身の家族を守るため立ちはだかった。その農民の姿に心を打たれたバルトールはその農民と土地を守ることを決めた、そんな物語です」
「はぁ…ただ私にはそんな力は…」
「違います、主役はバルトールではなく農民です。どんなに恐れていても踏み出す勇気を。そうすれば道が開く、そう教えているのです」
恋を知らないはずの神官が、未だピンときていないレーベンへ真剣な眼差しを向ける。
「私は彼女を恐れてなどいませんよ?」
「いや、そういうことではなく…」
「彼女の慈愛は多くの人々の心を照らす天界の光の如し」
「本人の前で言いなさいよ」
「できないから来ているんです」
「あーもう…! まずは自覚が必要みたいですね! 行きますよ」
「ど、どこに?」
実はとある仕掛けを施しました。レーベンがラミアへの感情を自認する姿を見るために。
この失礼極まりない男が感情に気づく瞬間を見てやる、レーベンの腕を鷲掴みしてパルマはニッと笑った。
教会を出た二人は、慈愛の教会近くの市場へと向かった。
大陸中央に位置する中継地点としての役割を持つダイバテインでは、小さい市場でも活気がある。
「わー活気がありますねー」
演技未経験のパルマがあまりにも棒読みな言葉を口にする。
「何故私をここに?」
「いい天気ですし、陽の光を浴びないと! …あれ!? あれはまさか!?!?」
その演技力にはある意味驚かされる。一応吟遊詩人としては一流と自負するレーベンの目にはひどく滑稽に見えたがあえて言わないことを選んだ。
そしてそんな演技への感想は一瞬にして吹き飛んだ。
パルマの視線を辿った先には、ラミアがいた。男と一緒に。
おかしいな? 胸の辺りが締め付けられる感覚がする。これは……。
「どうしました? レーベンさん」
「これは……病気!?」
「なんでそうなる!!??」
「だっておかしいですよ! 胸の辺りが縄で縛ったように苦しくて……医者を呼んでください!」
そんなことをパルマへ訴えながらも、レーベンの視線はラミアたちにくぎ付けだった。クスクスと笑う彼女を見るとなぜか感情がグラグラと揺れる。普段であればそういった感情は詩を作る原動力となるはずだったが、不思議とそんな思いにはならない。
ラミアと会話していた大男が彼女へ手を伸ばす、気付いた時にはレーベンは駆けていた。
「ちょっと! か、彼女になん、なにを!?」
噛んだ。我ながら格好が悪い、ラミアがどんな顔をしているのか見ることが出来ないが、男の手はしっかり掴んだ。見上げるほど背の高い男だったが、心臓が強く脈打って恐れは感じなかった。掴んだ手には銀の手甲、逆光で影となった顔を凝視すると……。
「髪にゴミが付いていたんだが……」
そこに立っていたのは表情の変わらぬ騎士、シルバだった。
「レーベンさん? どうしたんですかー?」
「い、いえ。何をしているのかなと」
「パルマさんにここの果物屋さんをおススメされたんですよー。そうしたらシルバさんとたまたまお会いしたんですー」
「うむ。私もパルマ殿に言われてここで待つように、と」
これはいったい……? レーベンが振り返ると、パルマは笑顔というには少し邪悪で悪戯な笑みを浮かべていた。
やられた……。吟遊詩人としてもっとも必要で、もっとも不必要な感情。レーベンは、ラミアのことが好きなのだと認めるほかなかった。
―――――――――
「というわけで……さぁ、あなたの想いを神の僕たる私に打ち明けなさい」
「もうここに来なくても良くないですか?」
再びの成就室。短い間に3回もこの密室に連れ込まれると流石にレーベンも辟易した。
「それは同意だ」
部屋の外ではシルバが表情一つ変えずうんうんと頷く。こういうのは形式に則るのがいいんです、と頬を膨らませているパルマにやはり愛らしさを感じながらシルバは頷くのを止めた。
「文句は後で! 何か変化はありましたか?」
「まぁ……」
そう問われたレーベンは、自身の中でラミアへの感情が形になっていることを意識する。
「確かにラミアさんはこれまで出会った誰よりも素敵です」
わざわざ部屋から出てシルバにほれ見たことか、なんて目を向けるが、鉄仮面の騎士はやれやれと言わんばかりのジェスチャーで返すだけだった。
「ただ、私は吟遊詩人。これからまた旅に出て英雄や美女と出会う、そしてそれを詩にする。この街での出会いもその中の一つにしか過ぎません」
そう、吟遊詩人は世界を放浪して物語を紡いでいく。一人を愛して一つの街で暮らすなんてことはしない。師匠もそうだった。しばらく過ごしては次の街へ。それが普通なんだと、レーベン自身もそうあるべきだと考えている。
曲がりなりにも顔はいいパルマはよく標的にされていて、その生態については理解していた。
「でもあなたはダイバテインに長く滞在しているように思いますが」
聞くまでもない。が、レーベン自身に言わせることが何よりも重要だ。意識させ、その気持ちを形にする。
チェロフが描く男たちもそうだ。好きという感情に振り回されたくない、認めたくない一心で素直になれない。
これが恋。
目の前で揺れ動く恋心を前に、パルマは愛おしさすら覚えた。
そして目の前で苦悩するレーベンの姿を見て、心に向き合ってもらうためとはいえ、これまでの行いを恥じた。
霞に消えてしまいそうな小さな声で、パルマは偉大なるパル=メク神へ懺悔した。
「それは……」
言葉を探すように、レーベンの視線が揺れる。
パルマはこれまでの強引な行いからは想像もつかないほど、静かに彼を見つめていた。
答えを引きずり出すのではなく、彼自身に拾わせるために。
長い沈黙を破るようにレーベンが息を吐く。
「私は、ラミアさんが確かに好きなんだと思います。ただ、自分がどうしたいのかが分からないんです」
その声には、吟遊詩人として幾つもの物語を紡いできた男とは思えないほどの迷いがにじんでいた。
パルマは小さく頷き、手元の恋愛小説の背を指先でなぞる。
ラミアへの想い。
吟遊詩人としての使命。
旅を続ける覚悟。
パルマが未だ経験したことのない苦悩を抱えるレーベンに、少し羨ましさを感じた。
チェロフの小説でしか夢想するしかなかった感情の煌めきが、いまレーベンの周りに瞬いている。
見覚えのある光を視界にとらえながら、パルマが静かに口を開く。
「聖典にも記されています。『好きであればあるほどに、人は臆病になる』と」
柔らかく響くパルマの声には、芯があった。
凛とした響きに小屋の外で佇んでいるシルバも自然と耳を傾ける。
「ラミアさんへの想いが強いからこそ、失うことを恐れている。だからどうしたいかが見えなくなっているのです」
「恐れ……」
パルマはチェロフの本を膝の上に置く。
「それは皆抱く感情です。そしてあなたは恐れに従おうとしている。物語はまた次の街にあるかもしれません。しかし──」
パルマが力強い視線をレーベンに向ける。
「──あなたは、後悔しませんか?」
見透かされたような表情でハッとパルマへ顔を上げるレーベン。
その瞳は先ほどまでと違い、愛の教会へ身を捧げる神官のそれだった。
「……する、と思います。でも、彼女は神官です」
「あら、アンヒル神はパル=メク神と同じく婚姻を禁止してはいませんよ。嫉妬や悲劇の信徒だけですから」
パル=メクは愛の神、アンヒルは慈愛の神。
十神教の中でも寛容であり、どのような形であってもそこに愛があれば信仰に繋がる。
相対する宗派が多い中で珍しく一致した考え方を持っており、互いを尊重する関係性でもあった。
「さぁ! ここで悩んでいてもはじまりません」
凛とした佇まいから一転、勢いよく立ち上がるパルマに成就室が震えるように揺れた。
「で、でも詩も出来ていないですし」
「いいえ!」
パルマが人差し指をレーベンに突き付け、
「今はまだ想いを伝える段階ではありません」
小説に登場する苦悩する者たち。
彼らは好きな相手への想いで悩み苦しむが、そこに相手の想いがないものは手痛い経験をすることになるとパルマは知っている。
「まずはラミアさんともお話してみます」
「そ、それは……!」
ご勘弁をと言い出しかねないほど顔のレーベンに、パルマは人差し指をさらに近付ける。
「まぁまぁ、任せてください」
そう言いながら成就室を出て、パルマはフードを深く被った。
レーベンを置いて教会の外へ出たパルマは、教会に引きこもっていた頃の自分と今を比べ、驚きを隠せなかった。
暗闇だけではなく、夕陽に染まるダイバテインをこんなにも堂々と見渡すことができる。
「パル=メク神、チェロフ様。これが私の使命なのですね」
「それに、レヴィアヌス王の任でもあるな」
水を差すように言葉を繋げたシルバも、当然のようにパルマから離れる気はなさそうだった。
パルマが薄目でシルバをねめつける。
「ラミアさんと話す時は離れていてくださいね」
「善処する」
「約束してください」
「善処する」
「……無粋」
諦めたようにパルマはため息をつく。
そして不安げなレーベンを振り返り、パルマは微笑んで言った。
「動かなければ、物語は始まりません」
パルマの金と白銀に染まる髪が、夕陽に当たって煌めいていた。
「吟遊詩人なら、ご存じでしょう? つまらないのは”何も起こらない物語”です」
その美しさ、そして屈託なく笑うパルマに、レーベンも笑うしかなかった。
「面白い”物語”になるのなら、詩にしますね」
意外な返しに少し驚いた表情を見せ、パルマがクスクスと笑う。
「まぁ。素敵な詩にしてくださいね」




