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文面を淡々と朗読した美織は、異様なまでに喉が渇き切っていた。目の前に置かれたカップを手に取り口へ運ぶ。既に熱を失いつつあるコーヒーは苦味を増していた。胃に流し込んだ後でも喉にまとわりつくそれは、読み進めていた手記と同等に不快なものだった。
カップをテーブルに置き美織は単刀直入に訊いた。「お父さん、ここに書かれていることは事実なの?」
「まあ、だいたいはな」正樹は渋面で腕を組んだ。
「だいたいって、口を濁さないでよ。間違いがあるならちゃんと言ってよ」
「じゃあ、遠慮なく物申すが、俺は渡していない」
「渡していないって、何を?」
「だから、カネだ」ぶっきらぼうに言う。「カネを渡していないと言ってるんだ」
「でも、ここに……」美織は本に目を落とした。「財布から紙幣を取り出して紗耶子に渡したって書いてあるわよ」
「違う。渡したんじゃあなくて彼女の前に差しだしたんだ。そう、お前が読んだはずだろう」
「そう、……だったかしら」美織は指摘を受けて再度、手記を流し読む。「ちょっと待って、ということは紗耶子が受け取らなかったってこと?」
正樹は鼻を鳴らした。「ああ、そういうことだ」
「どうしてお金なんか渡そうとしたの?」
「そ、それはだな……」
「脅された、のよね?」間を空けずに京子が述べた。「ようするにほら、私が宝くじの件で脅迫されたのと同じで、あなたが無職であることをネタに紗耶子ちゃんからお金をせびられたんだわ、きっと。日記の日付から見たって、だいたいそれくらいの時期だったはずよ」
その言い回しは父の無実を証明しようとする響きがあった。母の意図を察したのか、彼は口止め料としてカネを渡そうとした、と本当かどうかもわからない弁解を並べ立てた。
「俺、わかっちゃったかも」晴斗が上っ調子に言った。まるでクイズに回答するみたいに。「父さん、エンコーしてたんじゃねーの?」
敢えて口にしないでおいた疑惑の塊を、彼は無遠慮に投げ込んだ。耳に運ばれた言葉が直接的過ぎた。気まずさのあまり美織は、萎れた草花並に頭を垂れた。
過去の話であるが、元恋人が実父と関係を持つというのはどういう心境なのだろう。晴斗に訊いてみたくなった。
交際期間が短いとは言え一度は愛した女性だ。嫌悪感や抵抗感はないのか。それとも現在は別の恋人がいて幸せの絶頂だから、この汚らわしい事実は彼らの清らかな領域まで届かないのか。自分に立場を置き換えて想像したが、とても弟のようにあっけらかんとする余裕はなさそうだ。
美織は、そろりと流し目で周囲を見た。京子も満子も自分と同じように俯いていた。ところが、壮太は違う。真っ直ぐに正面を見つめていた。彼は顎をさすって言った。
「晴斗君、決めつけるのはまだ早いよ」
「だって、うちの父さんは紗耶子にカネを渡していたんだぜ。それって、エンコーしかないじゃん」歯に衣着せぬ物言いだ。
「だからといって援助交際に手を染めていたとは限らないよ。現に本人は彼女に脅されたから口止め料としてお金を差し出したと言っている」
「そんなの嘘に決まってる」晴斗は歯を剥き出して食ってかかる。「母さんの言うことに調子を合わせただけだ」
「その不貞疑惑を否定できるほどの物証もまだ得ていないよ」合理性を重視する壮太の口調は至って冷静だった。彼は顎に手を添えたまま美織に訊いてきた。「手記にはまだ続きがあるのでは?」
壮太に言われ、美織は手元の本をぱらぱらとめくった。テレビ番組の内容や近所で起きた不幸事などが書かれている。流し読みするが正樹が登場してそうな文が見当たらない。せわしくページを送っていると、横から壮太が言った。
「事件当日、またその前後に記述はあるかい?」
手記を発見した時に読んだものだけを優先的に発表したが、壮太の指摘した通り、日付の記録に着目するべきだった。
どうして早く気づかなかったのだろう。父の名前だけを頼りに目視で検索していた美織には、思いもよらぬ柔軟な発想だった。言われるがままに該当日付まで一気にページをはぐった。確か犯行日は六月二日だ。
「あったわ」美織は興奮気味に声をあげた。「事件当日にも……」指の腹でページを一枚戻した。「それから、前日にも」
誰に催促されたわけでもなく、美織は目の前の文章を声に出して読み始めた。
「事件前日、六月一日――」




