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五月二十二日
連日続いた鬱陶しい長雨も上がった。湿り気を含んだ空には久しぶりにお日様が顔を出し、本日は麗らかな晴天に恵まれた。近所を散歩するつもりだったが、足を伸ばして一人で電車に乗って少し遠出することにした。
到着駅の近くには美織の高校がある。きちんと勉強しているといいのだけれど……。息子に似て、勉学は大層苦手のよう。
商店街の一角にある和菓子屋と併設したカフェに出向いた。本格抹茶を賞味できるらしく、ついでに餡蜜も一緒にいただいた。店内で小一時間ほどのんびり過ごす。夕食の準備もあるので自宅に帰ることにした。
私は駅に向かう途中に正樹に会った。
彼は紺の背広姿でビジネス鞄を片手にぶら下げて、辺りをきょろきょろと目を散らしていた。そわそわと落ち着かない様子だった。声をかけようと歩み寄ったけれど足を止めた。息子が突然ある一人の女子高生に話しかけたからだ。彼女は学生服姿だったので、下校途中なのだろうと思った。でも、そんなことはどうでもいい。
興味をそそるのは女子学生のご尊顔。どこかで見たような。歳は美織と同じくらいだろうけど、彼女の顔立ちは、もっと若くても通用するあどけなさが残っていた。また、背丈も自分と同じくらい低いから余分に幼く見えた。
あのお嬢さんは確か――。
彼女の名前が喉元まで出てきているが、失念で言葉が堰き止められてしまっている。
その時、正樹に動きがあった。彼は私が思い出せないでいる女子高生の名を親しげに呼んで近づいた。
そうだった。あの子はお隣のお嬢さん。紗耶子ちゃんだったわ――。
外出先での意外な遭遇に挨拶を交わしているだけなのだろう。最初は、そう感じたのだが違うようだ。
正樹たちは二言三言喋ってから、そのまま別れるかと思いきや、立ち止まって会話を続けている。話の内容まではわからない。ただ、話し合っている割には別段楽しそうなふうでもなかった。どのように説明したらいいか。二人を包む空気がどことなく余所余所しいのだ。互いの口の動きを見ても正樹のほうが一方的に発言しているようだった。
もしかして紗耶子ちゃんは迷惑がっているのではあるまいか。首をすくめる彼女の姿から拒絶感が漂っていた。
おじさんに捕まってすっかり困りきる憐れな娘に助け船を出してやろうと、歩を進めた時だった。正樹は徐に上着の内ポケットをまさぐった。取り出されたのは茶色の財布だ。中を開けると紙切れを数枚指で弾いて、紗耶子ちゃんの前に差しだした。
二人の様子がおかしいと感じた私は、適当な場所を選んで物陰に身を隠すことにした。車の影から今一度正樹たちを覗いた。しかし、たった今までいたはずの場所に、二人の姿はなかった。よく目を凝らすと駅に向かって並んで歩くスーツ姿の男と制服姿の女の後ろ姿が確認できた。二人は人混みに紛れて改札口の中に吸い込まれていった。
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五月二十三日
翌日になっても駅前での奇妙な情景が頭から離れなかった。なぜ金を渡したのだろうか。自宅に戻ると正樹が普段通りソファで新聞を広げていた。あれから二人は私と同じように電車に乗って帰路についたようだった。正樹が紗耶子ちゃんに手渡した金がどういう経緯があってのことなのか、私は自宅に帰り着くまで無性に気になった。
紗耶子ちゃんは親戚でもあるまいし、娘の友人だからといって軽々しく小遣いをくれてやるのも道理に反している。そこで、あれは内緒の貸し金なのでは、というセンも考えた。だが、すぐにその考えは打ち消した。大の大人が高校生に金を借りるのは不自然である。いや、不自然を通り越して滑稽だ。ならば、その逆か。紗耶子ちゃんが現金を借りるほうが断然現実味があった。
ソファの背から正樹を呼んでみた。彼は新聞に目を落としたまま気のない返事をした。
呼びかけてみたものの、私は言い出せなかった。もたついていると正樹が振り向き、先を促してきた。
彼の顔を直視すると益々怖じ気づいてしまった。私はなるべく自然に、今夜の献立の話題にすり替えた。メニューを聞いた彼はそうか、と短く返し再び紙面に目をやった。
私は台所に逃げた。心臓を握り締められたような苦しさが胸に広がった。次いで、たった今、妙な考えが浮かんだ。それだけはさすがにない。あってはならない。私は頻りに頭を振った。
一瞬でも馬鹿げた想像を働かせた我が身を呪った。息子に限ってそんな裏切り行為があるわけがない。脳裏を掠めた、正樹が紗耶子ちゃんに金銭を援助していたという邪念は、私の考え過ぎなのかもしれない。
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