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4-10 精神分析(抱擁)

 ナノミノノ妖魔窟は、初心者パーティー向けの迷宮だ。仲間を集めた冒険者がチームの方向性を見定めるため、もしくは食い扶持を稼ぐための場所なのだ。ハナナちゃんの腕前なら独りでも最下層まで進めるし、ナリザさんは回収業で毎週のように潜る馴染みの場所だったのだ。

 だけどそれは偽りの姿だった。妖魔窟そのものがミミックだった。そして今、妖魔窟は恐ろしい本性をさらけ出し、私達を閉じ込めてしまった。


「あり得ない……あり得ない……こんなのあり得ないです……こんなの……こんなの……」


 ナリザさんはしゃがみ込んだまま動かず、頭を抱えながらブツブツと呟いている。きっと迷宮脱出の技はとっておきの切り札だったのだ。それをあっさりキャンセルされては、もう逃げられない。それにしても、かつて狂犬と呼ばれ恐れられたナリザさんがここまで怯えるなんて…。


「くそっ! 開けよっ! 開けっ! 開けっ! ひらけぇぇっ!!」


 一方ハナナちゃんはショートソードを抜くと、通路があったはずの壁に駆け寄り、力任せに斬りつけていた。どうやら暴れることで正気を保とうとしているようだ。だけどそんな無茶を続けていれば、刃こぼれどころか、大切な剣が折れてしまうだろう。


 二人とも若いが、冒険者としての経験は長く深いし腕も確かだ。だけど、経験に裏付けられた実力があるからこそ、今の事態に動揺している。身の程を知っているからこそ、抗えないと理解してしまったのだ。たとえ伝説の勇者でも、最強装備を身に付けていても、経験値0でLv.1のままでは、ラスボスに決して敵わないのだから…。

 そんな中、私だけは平然としていた。むしろハイテンションで、これから何が起きるか考えただけでワクワクが止まらない♪ 何しろ私は、経験も実力も無い身の程知らず。銃口を向けられても、銃が危険だと知らなければ怯えたりしないだろ? つまりそういうことだ。

 とはいえ、独りで盛り上がっても仕方ない。二人を落ち着かせよう。


 クトゥルフ神話を題材にしたテーブルトークロールプレイングゲーム、略してクトゥルフ神話TRPGには、正気度というパラメーターがある。様々な恐怖体験をすることで数値が減っていくが、短時間で大幅に減ると狂気に陥ってしまう。今のナリザさんとハナナちゃんが、正に狂気に陥った状態そのものなのだ。

 そしてこのゲームには、対策として『精神分析』という技能がある。これに成功すれば狂気に陥った仲間を正気に戻すことが出来るわけだ。もちろん本当の精神分析など、私に出来るはずがない。所詮はゲーム。ダイスを振ったところで現実は何も変わらないのだから。

 だけどこのゲームのおかげで、私は精神分析の概念を知った。正気を取り戻す可能性があることを学んだ。ダメモトでいい。当たって砕けたっていい。ただ手をこまねいているよりは、はるかにマシだ。

 まずは側で腰砕けになっているナリザさんに話しかける。とにかく、立ち上がってもらわなければ。


「ナリザさん! ナリザさん! しっかりしてください!」


 声に気付いたナリザさんは、顔を起こして私を見上げる。すると恐怖でこわばっていた顔は少しずつゆるんでいき、代わりに瞳から大粒の涙が溢れ出す。


「うええええっ! おとうさん〜っ!」


 ナリザさんは突然私にしがみついたかと思うと、幼子のように激しく泣きじゃくった。これは……もしかして、幼児退行化現象ってヤツか? もしかして、これまで私を『お父さん』と呼んでいたのも、その兆しだったのだろうか。

 ならばやるべきことは一つだ。彼女の父親役を演じてやればいい。恐らく彼女が望んでいるであろう、優しくて包容力のある父親像を。どれも自分には無いものばかりのような気がするけど…

 しかし心は幼女でも、身体は成人女性。かなりの抵抗があったが、今は迷っている場合じゃない。私は勇気を絞り出してナリザさんを抱き寄せると、優しく頭を撫でてやる。

 ああ神様! どうか、責任取ってとか言われませんように! 責任取ってとか言われませんように!


「ゴラァ! なにやっとんじゃナリザァっ!」


 不穏な空気を感じ取ったか、こちらに気付いたハナナちゃんが飛ぶように戻って来た。ナリザさんの比べると、ハナナちゃんはまだ正気が残っているようだ。ちょっと安心した。


「オトっつぁんから離れろ! このスケベ修道女!」

「イヤァー!! イヤなの−!!」


 ハナナちゃんは私からナリザさんを引きはがそうとするが、ナリザさんは泣きじゃくり、イヤイヤと駄々をこねながら私にしがみついて離れない。


「やめるんだハナナちゃん! 今のナリザさんは子供なんだよ! 心が子供に戻っちまったんだよ!」

「一体どうなってんだよ! 何が起きてるんだよ! 通路が無くなったり! ナリザが子供に戻ったり! わけわかんねぇよ!」

「とにかく、ハナナちゃんも落ち着け! 手が、震えてるぞ」


 私に言われて、ハナナちゃんは初めて気付いたようだ。意識したせいか震えはますます止まらなくなり、ついには手にしたショートソードを落としてしまった。


「なんだよこれ……アタシ、どうなっちまったの?」

「突然のことに混乱して、ちょっと怖がってるだけだよ。落ち着けば元に戻るって」

「で、でも、どうすれば、この震えが止まるのさ」


 どうすればって…そりゃあ精神分析しかないわな。二人を公平に平等に扱うと言う意味でも……


「ハナナちゃんもおいで」

「は? へ? な、何言ってんだよ! そんな恥ずかしいことできるわけっ」

「そんなこと言ってる場合じゃないんだよ! いいから来い! 震えも多分止まるから」

「や、やらしいこととか、するんじゃねーの?」

「しねーよ。40年以上生きてても命はまだ惜しいからな」

「わ、わかったよ! い、行けばいいんだろっ」


 ハナナちゃんは顔を真っ赤に染めながら。恐る恐る近づいてきた。普段の言動からは想像も付かないくらいしおらしい。なんだか萌え美少女みたいだな。

 私は左腕でナリザさんを、そして右腕でハナナちゃんをギュッと抱きしめた。ナリザさんの慟哭も、ハナナちゃんの震えも、少しずつ収まってきているのが分かる。よかった。抱擁という名の精神分析は成功のようだ。となると、残る懸念は一つだけだ。


 どうか、責任取ってとか言われませんように! 責任取ってとか言われませんように!

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