4-1 弁財天美 【挿絵有り】
「あ、あれ? いつの間に寝ちまってたんだ?」
勢い余って立ち上がった僕は、慌てて辺りを見回した。
夕焼け色に染まった教室には誰もいない。外からは運動部のかけ声や、吹奏楽部の奏でる演奏がかすかに聞こえてくる。机を見ると、誰がやらかしたか、E.YAZAWAのロゴが手書きで刻まれていた。黒板の上にある時計を見て、僕は青ざめる。すでに5時を回っていたのだ。
げぇ! なんてこった! 今から下校じゃ、夕方のアニメに間に合わないじゃないかっ!
力を落とした僕は、再び自分の座席に腰を下ろした。何でこんな事になっちまったんだ? 授業が終わって、教室の掃除をしたところまでは覚えている。いつもなら、その後すぐに全速力で下校してるはずなのに、気がつけば、よだれをたらしながら机に顔を埋めて眠っていた。何で眠っちまったんだ?
そういえば、変な夢を見ていたな。おとぎ話みたいな世界で、RPGの裏方仕事みたいな事をしてた。ダンジョンみたいなところに潜って、魔物に倒された冒険者達を回収して……。
やけに生々しい夢だったけど、あれは一体何だったんだろう。
「あれ? オトジ君、まだ教室にいたんだ♪」
「えっ!?」
静かな放課後の教室に、突然可愛らしい声が響いた。僕は慌てて振り返り、声の主を捜す。教室後ろの出入り口に美少女が立っていた。学級委員長でクラスのアイドル、弁財天美さんだった。
「あ、うん…。なんか…眠ってた」
「昨日も遅くまで部屋に電気付いてたよ。また夜更かししてたんでしょ。ダメだよ♪」
そう言うと、弁財さんはコロコロと鈴が鳴るように笑う。整った顔に白い肌、長くて黒いサラサラ髪。清楚なセーラー服に身を包み、微笑むその姿は天使そのものだ。
着やせするので控え目に見えるが、実は水着姿はかなりすごい。それを知っている男子は学校でも僕くらいだろう。何故なら二人の両親は、僕らが生まれる前からのご近所付き合いで、お隣さんなのだ。
弁財さんとは物心付く前からの付き合いで、双子の兄妹のように仲が良かった。だけど弁財さんは中学の頃からどんどん綺麗になっていった。彼女は僕には眩しすぎた。だから高校に入ってからは、自然と距離を置くようになってしまった。僕はもう昔のように、彼女を『天美ちゃん』とは呼べない。
「ワタシ、ちょうど用事を済ましたところなの。よかったら、久しぶりに一緒に帰らない?」
「えっ!? ぼ、僕と? でも、僕なんかと一緒だと迷惑なんじゃないかな…」
すると弁財さんは正面に回り込むと、見上げた僕と向き合い、こう言った。
「ワタシ、弁財天美は、大黒雄斗次郎君と下校したいです♪」
彼女の言葉と優しげな微笑みに、僕の顔は真っ赤になっていた。
「あのさ……茶番はこれくらいにして、そろそろ本題に入ってくれないかな」
「え? ほ、本題って何の事? もしかして、ワタシの意中の人の事…かな?」
「あのな、弁財天美なんて美少女はこの世に存在しないんだよ! 私が高校時代に考えた妄想幼なじみなんだからな!」
『弁財天美』とは、大量のアイドルやモデルの写真を集めて、切り貼りして作り上げたコラージュ作品。私にとっては最初で最後のアイコラ写真なのだ。パーツの一つ一つは確かに二十年以上前に実在した女の子達だけど、『弁財天美』はどこにも存在しない。つまり彼女の存在そのものが、この教室が現実でない事の証明なのだ。
ったく、私の黒歴史を具現化しやがって! メッチャクチャ恥ずかしいじゃないかよっ!
「おっかしいのぅ~。お主の記憶に眠る初恋の相手を再現したはずなんじゃが」
『弁財天美』は腕を組みつつ首をかしげた。声も仕草もかわいいままだが、言葉遣いが大きく変化している。私の妄想設定では、天美ちゃんは決して年寄りめいた口調で会話はしない。つまり、正体の片鱗を現したって事だ。
「あながち間違いでもねーさ。元は理想の女性像を形にしようと思って作ったアイコラだからな」
「存在しない者に恋い焦がれるとは、ガングビトとは不思議なメンタルじゃのう。実に興味深い♪」
「人様の頭の中身を勝手に覗きやがって、プライバシー侵害にもほどがある! あんた一体何様だよ!」
「ワシか? お主ら人間がナノミノノ妖魔窟と呼んでおる、この古代遺跡の主……と言えば分かるかのう。
おお? どうしたどうしたオトジ君。急に大人しくなったじゃないか♪」
私は青ざめていた。さっきまでは忘れていた黒歴史に触れられ、怒り心頭だったからこそ暴言も吐けた。だけど何と恐れ多い事をしてしまったのか。『この古代遺跡の主』。その言葉が正しいなら、目の前の『弁財天美』の正体は、この妖魔窟に蔓延る妖魔の親玉だ。つまりこの迷宮のラスボス。もしくは、それ以上の存在ってことになる。
「うふふふ♪ 怖がらなくていいのよオトジ君♪ 別にとって喰おうって訳じゃないんだから♪」
『それ』は再び弁財さんを演じ始める。そのおかげか、私の恐怖心も幾分か抑えられてきた。
「さっきオトジ君は、本題に入れって言ってたけど、本題なんて何も無いのよ。だってただの暇つぶしなんですもの♪」
「暇…つぶし?」
「ワタシはね、オトジ君。この迷宮の最深部にいるの。でも、色々あって身動きが取れないから、退屈しのぎに心だけを飛ばして、迷宮にやってきた冒険者達を観察しているの。これがワタシにとって唯一無二の楽しみなのよ♪」
「じゃ、じゃあ、私達の事もずっと監視してた…ですか?」
「監視じゃなくて観察よぉ。ただ見てるだけ♪ だから徘徊する妖魔達にも情報を教えたりはしないわ。フェアじゃないもの。
だけど驚いたわぁ。オトジ君ったら迷宮内で眠りこけちゃうんですもの♪
迷宮内で独りぼっちになると、大抵の人は不安と恐怖で精神的にまいっちゃうのよ。ところがベテラン探索者だってやらない事を平然とやってのけてしまう。オトジ君、貴方は一体何者なの? とんでもない大物かしら? それともとんでもないお馬鹿さん?」
「ただの馬鹿だと思うけどな」
「だから、眠っているところを見計らって、貴方の頭の中を覗いてみたの♪ そしたらもうビックリよ♪ 見た事も聞いた事もないような知識と経験で溢れているんですもの! まさかガングビトの知識に直接触れる事が出来るなんて、夢にも思わなかったわ♪」
それでその、私にとっては黒歴史であるアイコラの姿になったのか。だけど、忌まわしい20年以上前の黒歴史を紐解いたという事は……。
すると、弁財さんは顔を赤らめながら言った。
「ごめんネ♪ オトジ君の恥ずかしい秘密、ぜ〜んぶ知っちゃった♪」
「うわ〜〜〜〜〜〜ん!」
「もう泣かないでよ! 大丈夫♪ 誰にも言わないから♪ 絶対誰にも言わないから♪ ワタシとオトジ君の二人だけの秘密だよ♪」
「んな事言われても嬉しくねーよ!」
「ねえオトジ君。1つお願いがあるのだけど、聞いてくれるかなぁ」
「別に私に断る必要なんて無いだろ? 君は圧倒的に優位な立場にあるんだからさ」
「そういうわけには行かないよ。だってワタシは、オトジ君とおトモダチでいたいんだもの」
トモダチって……えっ〜〜〜〜〜〜〜〜!! 今はかわいくて忌まわしい私の黒歴史だけど、あなた妖魔だよね? この迷宮の親分なんだよね? お願いって何よ! どんな要求よっ!
「ワタシね、この姿、すっかり気に入っちゃったの♪ これからも使っていきたいのだけれど、ホラ、ガングワルドには『著作権』って概念があるじゃない? 著作者であるオトジ君から使用許可をもらいたいのよ♪ 厳密に言えば『肖像権』の問題もあるかもだけれど、そっちはどうにもならないでしょう?」
そう言いながら弁財さんはクルクルと回る。すると1回転する度に服装が変化した。
まずはセーラー服からブルマの体操服へ…。いや、そういう趣味じゃなくて、昭和は女子の体操服はみんなブルマだったんだよ!
続いて体操服から水着姿へ…。グラビアアイドルの写真とのコラージュなので、ダイナマイツなワガママボディへと変化する。普段着とのギャップが良いと思ってやってみた。若気の至りだ。
そして水着姿から可愛らしい私服姿へ。元の写真はティーン向けのファッション雑誌だった。本屋の店員さんの視線が痛かった事は今でも忘れられない。
再びセーラー服に戻ると、お願いポーズをしながら上目遣いで私を見る。くそっ! 私の弱点、全部知り尽くされているじゃないかよ! こんなの抗えられるかよコンチクショー!
「分かったよ! 分かりましたよ! 許可しますよ!」
「ありがとうオトジ君♪ もちろん、ただでなんて言わないよ♪ ワタシなりに著作料は払うから、是非受け取ってちょうだい♪」
そう言うと、弁財さんは顔を赤らめながら近づいてくる。え? なに? ただならぬピンクのオーラを発しているように見えるんだけど、もしかして身体で払うとか、そう言うヤツッスか?
「そうだよ♪ だから、受け取って……」
私の心の言葉に答えると、弁財さんは顔を近づけ、そして…………
「ゴラァ! 何眠っとるんじゃ〜!!」
ハナナちゃんの怒鳴り声で目が覚めた。
辺りを見回すと、そこは大広間の中。ランタンの火は消えていないから、大して時間は経っていない。見上げると、むっとした顔でハナナちゃんが睨み付けていた。
「こんなとこで眠るなんて、ほんっとオトっつぁんはお気楽だな! 女の子の夢でも見てたのか?」
「ん? あ? ああ……そうだな。キスを迫られてたところだったよ」
「そいつは悪うございましたねっ」
「いや、別に悪くはないさ。それほど楽しい夢でもなかったし。それで、成果はどうだった?」
「アタシは一人回収したよ」
「ご苦労さま。じゃあ後はナリザさん待ちだな」
私は起き上がろうとして、左手に何か持っている事に気がついた。ゴルフボール大の球体だった。コアメタル…だろうか? 手の平で転がしてみると、ただの球体では無い事に気付く。まぶたが付いていたのだ。
身体で払うって……まさか、これの事か?
そう思った瞬間まぶたが開き、球体が私を見つめる。女の子のような可愛らしい瞳だった。




