第3話 秘密基地への入口
「わかりました。じゃあ今から仕事の内容を説明しますね」
みさきちゃんが、すっと僕の方に近づいてきた。まるで時間が止まったような静けさの中で、彼女の瞳が僕をまっすぐに射抜いてくる。
うわ、そんな目で見つめないで。なんか変なスイッチ入りそうだから!
「まずは、私の目をよーく見てください」
みさきちゃんが、さらに顔を寄せてきた。息が触れ合いそうなほどの短い距離。もはやゼロと言ってもいいほどの近さ。ほんの数ミリでも自分が前に出れば、彼女の唇とぶつかってしまいそうだ。
「少しの間、動かないでください」
ゴクリと喉が上下する。心臓がバクバク鳴っている。恥ずかしすぎて、この音が彼女に聞こえないかと心配になる。
「な、なにを……」
彼女の黒髪が風でふわりと揺れて、甘くて濃厚な香りが辺りに漂った。シャンプーにしては色気がありすぎる。どこか大人びた、濡れた花のような香りが鼻腔をくすぐり、脳がとろけそうになる。
「私の目を……もっと見つめてください」
その一言は、まるで魔法の呪文だった。もう逆らえるはずがない。抗う理由なんて、どこを探しても見当たらなかった。
吸い寄せられるように、彼女の潤んだ瞳をじっと見つめた。そこに映る自分の姿が、どこか頼りなくて、情けなくて、でも、確かに彼女に見つめられている。その事実だけで、身体の芯が熱くなった。
「うん……これで大丈夫」
満足そうに頷くと、みさきちゃんはようやく離れて距離を取った。
…………。
なんだったんだ、今のは?
でも確実に言えることがひとつある。それはこれまでの人生の中で、間違いなくいちばん心臓に悪くて、甘い瞬間だった。
「な、なにが大丈夫なの?」
「じゃあ、今から大事なことを話しますね」
「えっ?」
「アルバイトの内容、知りたいんですよね?」
「も、もちろん……」
みさきちゃんが別人に見えるほど真剣な表情になったので、僕は思わず息を呑んだ。
「実はですね、今あなたが寝そべっていたその場所……その下に私たちの本部へと続く、地下通路の入口が隠されていたんです」
「……は?」
本部? 地下通路の入り口?
「本部というのは、私たち”着ぐるみ団”の営業拠点のことです。じつは私たち、この国のどこかに眠っている『伝説の着ぐるみ』を探しているんです!」
衣隠流忍? 着ぐるみ団? 営業拠点?
「忍っていうのはつまり……忍者ってこと? 台詞の中にある情報量が多すぎて、頭が混乱してきたんだけど……」
「あなたには、そのお手伝いしてほしいんです。といっても、戦闘のような危険なことはさせません。着ぐるみショーに出演していただいて、私たちの活動資金を稼いでもらいます!」
戦闘? 着ぐるみショー? 活動資金?
彼女は手振りを交えながら熱弁をふるった。額にはうっすら汗がにじんでいて、頬は高揚して色っぽい……とか、つい思ってしまう。
「えっと……伝説の着ぐるみって、なに?」
声が出るまでに、数秒かかった。
「それはちょっとトップシークレットでして……でもひとつだけ言えるのは、伝説の着ぐるみがあれば、世界征服も夢じゃないってことですかね」
トップシークレットの割には、かなりのヒント。それにみさきちゃんは満面の笑みだけど、そういうことは、笑顔で言うことじゃない気がする。
「だから私たちは、伝説の着ぐるみが悪の手に渡る前に、必ず見つけ出さなければならない使命を背負っているんです!」
みさきちゃんは説明しながら誇らしげだった。きっと彼女は本気だ。目を見ればわかる。今の仕事が大好きなんだろう。だがしかし、これだけは言ってあげなきゃいけない。
「みさきちゃん、キミはその連中に騙されているんだ」
「はい?」
「世界征服って単語が出てきた時点で、キミは彼らの話を疑うべきだった」
「別に私、誰にも騙されていませんよ」
「だったら、やっぱり僕をからかっているのかな?」
「そんなわけないじゃないですか!」
完全にヤバい。みさきちゃんは「巨大で邪悪な秘密組織」に洗脳されているとしか思えない。しかも彼女の時給はきっと300円だ。ブラックどころか漆黒の闇。冗談抜きで、これは救出案件だろう。
どこの誰だか知らないが、こんな純真な女の子を、うさんくさい目的のために使ってる連中を放っておけるはずがない。
「わかった、ここをどくよ」
「えっ、本当に!? ありがとうございますっ!」
こうして僕は彼女のために、ついに腰をあげた。
「でも、入口なんてどこにも見えないけど。まさか、地面が割れて階段でも出てくるわけじゃないだろうね?」
冗談なのに、みさきちゃんが驚愕の表情を浮かべて、おっきく頷いた。
「鋭いですね! 実はそうなんです! そこの地面、パカッと割れちゃうので気をつけてくださいね!」
え?
またしてもどこから取り出したのか、みさきちゃんはテレビのリモコンのような装置を手にしていた。
そして、僕が寝ていた芝生に向かってボタンを押した。
「ポチッとな」
ピピピッという電子音がして、足元の地面がかすかに震え始めた。
地震?
いや違う。この振動はもっと人工的に均等で、まるでなにかの装置が足元でゆっくり動き出したかのような感覚だった。
震源の方を見ると、芝生の中央に細い亀裂が走った。続いて、「ガガガガッ」という低く唸るような機械音。亀裂が左右に広がり、芝生が両開きの自動ドアのように、ゆっくりとスライドしていく。
「な、なんだよこれ……」
左右に開いていく断面から覗いたのは、分厚い金属のパネル。
なるほど、あのフカフカな寝心地の正体は、このパネルの表面に精巧に張られた、人工芝だったのか!
芝生と一体化した金属板は、左右の戸袋へと音を立てながら収まっていく。その光景は、まるで未来の秘密基地の入口そのものだった。
いや待て! これは絶対、民間の技術じゃないだろ!
どう見ても国の機密施設か、あるいは……何某の秘密結社?
ももも、もしかして……
目の前で起きているこの光景が現実なら、さっきまでバカにしていた彼女の中二病ストーリーも本当なのか?
いやいや、まさかそんなバカな……いやでも……
ももも、もしかして……
って、もう頭の中がぐっちゃぐちゃだ。
そんな僕の混乱をよそに、完全に開ききった地面の中央には、ぽっかりと黒い穴が現れていた。
一辺はおよそ二メートル。暗い地下へと階段が続くその四角い穴は、どう見ても某有名RPGに登場するダンジョンの入口に見える。
「これが……本部への入口?」
夢だろ、これ。
いや、ここまでくると、夢だって言われても怖いんだけど。
「驚きました? ですよね、普通は驚きますよね! あ、ちなみに秘密基地の入口なのに、これじゃ辺りに丸見えだろ! とか思いましたよね?」
そんなことまで考えてる余裕はなかったけど、みさきちゃんは、待ってましたとばかりに胸を張った。
「でも心配は無用です。この出入口の周囲5メートルには、特殊なステルス・フィールドが展開されていますから!」
「ステルス・フィールド?」
「簡単に言うと、入口の部分だけ光を屈折させて、周囲の風景をそのまま見せているんです。だから遠くにいる人たちからは、入口なんて存在しないように見えるんです!」
「要は、光学迷彩みたいなものってこと?」
「もっとすごい《空間位相偏向式・完全光学ステルス》です! えっへん!」
みさきちゃんは、とっても誇らしげに自慢する。でもなにを言ってるのか、SFが苦手な僕には全然わからなかった。
「あの、口が開きっぱなしですよ?」
指摘されて、慌てて口を閉じる。なんてことだ。ここにきて、完全に主導権を奪われてしまった。
「じゃあバイトくんを登録しますので、名前を教えてもらえますか?」
みさきちゃんがウサギの頭をかぶりながら、個人情報を聞いてくる。
「空山守。ちなみに彼女は募集中……です」
そしてこの瞬間こそが……。
僕が平凡な日常から、このぶっ飛んだ世界へと足を踏み入れる覚悟を決めた、そのターニングポイントだったのである。
お読みいただき、ありがとうございます!
本作は毎週水曜日と金曜日に更新を予定しています。
これからも、着ぐるみだらけの物語を楽しんでいただけたら嬉しいです。




