第2話 時給1200円のお誘い
あれ、語尾から「ぴょン」が消えたぞ?
もしかして、本気で怒らせちゃった?
見ると着ぐるみの周囲からメラメラと不思議なオーラが立ちのぼり、空がどんよりとうす暗くなった。どす黒い雲が空を覆い、太陽の光が闇に飲み込まれていく。まるで信じられない光景だけど、手品には見えなかった。
これって……マジでヤバいやつじゃね?
さっきまでぴょンぴょン言っていたウサギの顔に、まるで肝試しで懐中電灯を下から当てたような、不気味な陰影が浮かんでいた。というか、いつの間にか、着ぐるみ自身が懐中電灯を自分で手に持ち、自らの頭部を照らしていた。
「なにやってんだ?」
「不気味演出だぴょン!」
「懐中電灯、どこから出したんだ?」
「それより、どいてもらえないなら、こちらにも考えがあるぴょン……」
着ぐるみが唸る猫のような低い声で凄んだので、僕は生唾を呑んだ。
「か、考えって?」
「こうなったら、ウチの事務所で働いてもらうぴょン!」
そう言って頭部を両手で掴み、一気に引き抜くウサギの着ぐるみ。
その下から現れたのは……
とびきり可憐な少女の小さな顔だった。
か、可愛すぎる!
同時に彼女の胴体部分から、「プシューッ!!」と空気が抜けるような大きな音が響いて、ふくよかだったウサギの着ぐるみが、みるみるうちにしぼみ始めた。やがて着ぐるみは、彼女の身体にぴったり張りつくまでふくらみを失い、彼女の体型がはっきりとわかるほど、身体にフィットしたボディスーツへと姿を変えた。
よく見ると、僕と同じくらいの年齢だろうか。頭の後ろでまとめられた艶やかな黒髪は、解けば腰まで届きそうなほど豊かだ。それに加えて、見た瞬間に美少女と断言できるルックス。さらには、ピンクのボディスーツ越しでもわかる、神がかりの整ったスタイル。
これだけの容姿の持ち主なら、わざわざウサギの着ぐるみなんて着なくても、子どもどころか大人まで寄ってくるだろう。
声から予想はしていたけど、こんなに可憐な子だったとは。
でも僕はさっき、この子に「消えてほしい」と言われたんだっけ。 そう考えると、じわじわ悲しくなってくる。
空模様が晴れ間を見せ、ぽかぽか陽気も戻ってきた。 首から下はウサギのままの彼女が、潤んだ瞳と真剣な眼差しで僕を見下ろしていた。
「ということで、今から時給が発生します。この瞬間から、あなたは私の指揮下にあるということです!」
「は? なんでそうなるんですか?」
状況が吞み込めなすぎて、僕は目が点のまま聞いた。
「だからそこをどいてください。それがあなたの最初の任務です!」
「ちょっと待って欲しい。僕は君と働くなんて一言も言ってないけど」
この子が可愛いのは認める。でも要求は理不尽なので、ちゃんと言わせてもらおう。ちなみに相手が美少女とわかったことで、僕の口調が若干ソフトになったことについては大目に見てほしい。
「でもすでに、時給は発生してますから。言うことを聞かないと、即効クビになりますよ?」
「むしろ望むところだ。というよりも雇われた覚えがないし!」
ビシッ!
音が聞こえるほど容赦なく、彼女を指差した。ばあちゃん、ごめんな。人を指さすなって、いつも教えてくれてたよね。
「で、でもでも、すごく高給ですよ? クビになったら損しますよ!?」
着ぐるみの手をバタバタさせて焦る少女。頭を外しても、動きはかわいい着ぐるみのままだ。
「さっきも言ったけど、これからバイトの面接なんだ。だから君と一緒に働くなんてことは……」
「でも、うちのほうが時給高いです!」
「じゃあ、僕がどんなバイトの面接を受けるか知ってるの?」
そもそもバイトの面接の話は嘘だ。なので、彼女が適当なことを言っているのは間違いないのだが。
「そんなの、まるっとお見通しです!」
「なら、そのバイトの時給は?」
バタバタしていた彼女の手がピタリと止まった。
「わかりますよ……300円です」
両手の人差し指を胸の前でツンツン突きながら、上目遣いで自信なさげに答える彼女。無論、そんなわけがない。今どき時給300円じゃ、小学生だって働きゃしない。
「あのさ、そんなわけないだろ?」
「あ、ウソです! 今の冗談ですから!」
こちらの呆れ顔で間違いを察したのか、少女は首を横にブンブンと大きく振って訂正した。
「なら、いくらだ」
「エヘン、310円です!」
意外なことに、かなり自信ありげ。どうやら彼女にとって、アルバイトの時給は300円が相場らしい。だとすれば、もう一度チャンスをあげたところで、世の中の相場は出てこないだろう。
「正解は、850円です」
ちなみにこれが、平成28年の埼玉県の相場だ。
「ななな、なんと!?」
着ぐるみ少女の目が点になる。そりゃあバイトの相場が300円の人間にしてみれば、850円は驚愕の金額だろうな。
「これで交渉は決裂だね」
幸いにも抜けた腰がもどってきたので、立ち上がろうとしたそのとき、まるでテレビショッピングかのような勢いで、彼女が叫んだ。
「では、1200円でお願いしますっ!」
「……は?」
「時給1200円ポッキリですぜ、だんなっ!」
「そんな高額、なんのバイトだよ?」
ていうか、ポッキリの使い方間違ってないか?
「それは事務所で詳しく説明しますので、どうぞこちらへ!」
「簡単でいいから教えてよ」
「それはちょっと。いいから後のことは、事務所行って話そうよ」
まずい。このままだと怪しい事務所に連れ込まれちゃうかも。
「あの、やっぱり遠慮しておきます」
「そんな……こんなに苦しんで決心したのに……」
少女がぎゅっと握った両手を自分の口元に持ってきて、潤んだ瞳でウルウル光線を発射してきた。
ウルウルウルウル、ウルルルル~……
くっ……おのれ!
ありがちな初歩的戦術なのに、すぐに陥落してしまいそうな破壊力だ。
依然として怪しすぎるのは間違いない。だけど、だ。
こんな可愛い子と働けるのなら。
時給1200円ももらえるのなら。
そんなバイトも悪くないのかもしれない……なんて思えてきた。
「じゃあひとつだけ質問させて。君の名前は? 年齢は? 好きな食べ物は? 納豆にはネギを入れる方?」
ウルウル光線にヤラれている自分を誤魔化すため、残された力を振り絞り、ひとつと言いながら、たくさんの質問を浴びせかけた。
「私の名前は、みさき。あっ。でも今は、ウサぴょンです」
みさきちゃんか。
よし、これでやっとウサギの着ぐるみに名前がついた。
「10月生まれで、血液型はAB型。好きな食べ物はお祭りの屋台のリンゴ飴! 納豆はネギと卵を入れる方です!」
次々と個人情報を披露するみさきちゃん。調子に乗って頼めば、もっとセンシティブな情報も教えてくれるかもしれない。でも紳士はそんなチャンスを活かしたりはしない。
「みさきちゃん、ついでにバイトの内容も教えてよ。この場で教えてくれれば、君の期待に応えられるかもしれないし」
「本当に?」
みさきちゃんの顔がパッと輝いた。が、すぐに曇る。
「でもまだ、部外者のあなたにそこまでは……」
「こっちだって、謎のバイトを引き受けるなんてできないだろ?」
「でも1200円ですよ? 850円より、350円も高いんですよ!? 時給が高くなることに対して、あなたにデメリットがあるんですか?」
「デメリットはないけど」
「でしょ? 断る理由ないですよね? じゃあ今すぐサインをっ!」
みさきちゃんは怪しいセールスの常套句を操りながら、どこからともなく契約書を取り出した。
「でもね、やっぱり仕事の内容が分からないと無理だよ」
「そ、そんなぁ~」
ウルウルウルウル、ウルルルル~……
またしても、ウルウル光線が襲ってくる。あと数秒これを喰らったら、どんな契約書であろうとも、鼻歌交じりにサインしてしまいそうだ。
「みさきちゃん、その攻撃は反則だぞ!」
「こうげき?」
「いくら時給が高くても……いや、むしろ時給が高すぎるからこそ、怪しすぎて受けられないって言ってるんだ」
「うぅ……たしかに、それはそうですよね」
ようやく納得したのか、みさきちゃんはコクリと頷いた。
お読みいただき、ありがとうございます!
本作は毎週水曜日と金曜日に更新を予定しています。
これからも、着ぐるみだらけの物語を楽しんでいただけたら嬉しいです。




